ある騎士の夢 9
刺すような風に、震える。リディアは馬の手綱を緩めて片手で持つと、空いた片手で厚手のマントを身体の周りに巻き直した。
北西方向以外を海で囲まれた大陸の、北西部分。陸続きの隣国から嫁を娶る準備の為に馬を走らせる獅子王レーヴェの供を、リディアは幾人かの近衛兵と共に仰せつかっていた。何故自分が。そう思いながら、ずっと前を走っている王の背を睨む。大陸の南側育ちの自分には、大陸北側は寒過ぎるというのに。しかしレーヴェに仕えると決めたのは自分なのだ。仕方が無い、諦めねば。でも。これまで何度繰り返したのか分からない問答を、リディアは再び繰り返した。
と。王を乗せた馬の速度が、急に遅くなる。何か有ったのだろうか? リディアが訝るより先に、レーヴェがリディアの隣に並んだ。
「古き国は、隣国と交易が有ったのか?」
大声で、王が尋ねる。そのことか。リディアはふっと息を吐くと、首を横に振った。
「支配者が女性であることを馬鹿にされたので、丁重にお引き取り願いました」
隣国と古き国とで、獅子王が支配する新しき国を挟み撃ちにすれば、古き国が滅びることは無かっただろう。だが、古き国の女王は、その方法を採らなかった。プライドを捨ててまで組む相手では無かったし、古き国の存在理由は、この大陸を支配することではない。そういえば。ふと、思い出す。隣国の使者が女王を言下に愚弄した時、怒り狂う騎士達を宥めたのはラウドだった。使者を丁重に隣国まで送り返したのも。おそらく、女王を侮辱されて一番怒っていたのはラウドだった。だからこそ、ラウドは怒りを顔にも出さず、使者を隣国まで送り届けたのだろう。ある意味ラウドらしい。リディアは少しだけ微笑んだ。
「そうか」
一方、レーヴェはリディアの言葉を半分ほどしか聞いていない様子で俯くと、それでもいつもの通り集団の先頭を走るでもなくリディアと並んで馬を走らせた。
「まだ何か御用ですか?」
その様子を訝しく思い、思わず尋ねる。王はリディアの方を見、そして前を向いて言った。
「うむ。……実は迷っている。隣国の姫を正室に迎えて良いものだろうか、と」
王の言葉に、正直驚く。女と見れば容赦なく襲う(リディアの偏見も入っているが)好色な王が、何を躊躇っているのだろうか?
「昔は、周りの辺境伯の娘を正室として迎えていた」
新しき国も、かつては女王に心服する辺境伯の一つだった。隣国と陸続きだった為、交易や戦争を経て、「国」として大きくなってきた国なのだ。そして。初代の女王が悪しきモノを封じ、この大陸に新たな国を打ち立ててからずっと、初代の女王と『同じ血』を持つといわれている辺境伯はその『力』を維持する為に、辺境伯同士で婚姻を繰り返して来たと、養父ローレンス卿から聞いている。と、すると。王の懸念が分かり、リディアは思わず笑い出しそうになった。王は、これまでずっと受け継がれて来た辺境伯としての『力』――その中には現在の王が纏っている威圧感やカリスマ性も含まれるであろう――を失うことが、怖いのだ。
「女王を弑したのに、昔の慣習に囚われているのですか?」
揶揄するように、尋ねる。怒るかと思ったが、王はリディアの言葉に、息を吐くように俯いた。そして何も答えない。風の音だけが、リディアの耳に響いていた。
と。風の中に微かな血の匂いを感じ、思わず手綱を引く。地平線の前に、靄のような黒いものが揺らめいている。あれは、まさか、悪しきモノ!
「止まって!」
風に逆らうように、叫ぶ。次の瞬間、先頭に居た近衛兵が、急激に大きくなった黒い影に馬諸共飲み込まれるのが、見えた。
「何だ?」
「ここに居てください!」
前に行こうとした王を制し、馬を降りる。
悪しきモノだけがこんなに大きくなってここにあることが、信じられない。悪しきモノを見つけ、封じるのが、古き国の騎士達、特に『狼』騎士団の役割だった。だが、新しき国との戦いに明け暮れていた所為で、こんな国境沿いまで流石のラウドでも手が回らなかったのだろう。そのことが、口惜しい。だから。リディアは腰の剣を抜くと、手袋を嵌めていない左腕を傷付け、流れ出た血を剣に擦り付けた。
「我が血と、剣で以て、彼らを封じる。女王よ助けたまえ」
誰にも聞かれないように、いつもの呪文を唱える。そしてリディアは、裂帛の気合いと共に悪しきモノの黒い影の直中に飛び込んだ。
リディアを絶好の『餌』と見て取った影達が、次々とリディアに向かって黒い手を伸ばしてくる。その細い影を際限無く切り落としながら、リディアは封じる為の『核』を探した。有った。周りより一段と濃い、どす黒い塊に、リディアは自分の血の付いた剣を突き刺した。途端に、周りの影が無くなる。普通の草原の風景が戻って来たことに、リディアははっと息を吐いた。
次の瞬間。景色が回る。リディアの視界に、空の青が遠く映った。おかしい。動かすことのできない自分の身体に、首を傾げる。今までは、どんな戦いでも、身体が痛くなることはあっても冷たくなることはなかった。風が冷た過ぎるからだろうか? それとも。
「リディア!」
不意に、レーヴェ王の顔が大写しになる。
「リディア、しっかりしろ!」
王がリディアの上半身を持ち上げ、抱き締めたことが、微かな温かさで分かった。
そうか。視線が移動したことで見えた、大地を濡らす黒さに、息を吐く。自分は、死ぬのだ。この地に蔓延る悪しきモノをその血で封じてきた、かつての古き国の騎士達のように。それならば、構わない。薄れゆく意識の中、リディアは満足げに笑った。
唯一つ、不満があるとすれば。……リディアを抱いて、その命が尽きることを泣いているのが、ラウドだったら良かったのに。
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