役に立たない騎士達と、手助けする騎士 2
「……暑い」
石の多い川原にへたり込むように座り、雲一つない秋空を睨む。ルージャの横では、ライラが青い顔で俯いていた。
レイや家令の言う通り、使えない奴らだ。イライラを込めてそう呟きながら、ルージャは振り向いて川沿いの街道を見やった。ルージャより裾の短い制服を着た、第三王子が持っている騎士団に所属する騎士達の姿は、まだ見えない。何をやっているのだろう。ルージャより大柄なくせに体力が無いのか? それともこの一本道の街道で迷子になったのか? 考えるだけでイライラして、ルージャは手近の石を川に投げた。
レイの命令通り、第三王子ジェイリが連れて来た騎士達の一隊を案内して、街道の治安維持にあたっているところである。だが、暑いだの飯が不味いだの良い女がいないだのとぐちぐち文句を言いながらだらだらと歩き、街道脇で小鬼の小集団が暴れていても剣すら抜かない彼らに、ルージャは既に愛想を尽かしていた。挙げ句の果てにライラにちょっかいを出そうとするのだから、尚更。ライラは、大丈夫だろうか? そっと、隣を見る。青い顔をしているのは、小鬼を倒す時に魔法を使ったからだろうか、それとも、騎士達から引き離す為にルージャが早足で引っ張ったからだろうか? ルージャがそう思った、丁度その時。街道からの叫び声に、はっと立ち上がる。騎士の一人が街道を走ってこちらに向かっているのがはっきりと見えた。
「何かあったのかしら?」
ルージャの横で立ち上がったライラが、レイから貰った魔法使い用の小さな杖を握り締める。ルージャも弓を構えると、彼が何故走っているのか、その原因を探した。だが、人気の無い街道を走るのは、騎士一人。濃い青色のマントを靡かせたその騎士の背中に黒い靄のようなものが揺らめいていることに気付き、ルージャははっとしてライラを自分の方へと引き寄せた。あの靄は、前にレイの部下が、ルージャの先輩騎士が背中にくっつけていたものと同じものなのでは? 逃げなければ。そこまで考えるよりも早く、ルージャとライラの目の前に黒い靄を背負った騎士が立ち塞がった。
「ルージャ!」
叫ぶライラを突き飛ばすなり、騎士の急所を蹴り上げる。ルージャの蹴りが的確だったのか、騎士は声も上げずに川原に倒れた。
「大丈夫?」
ライラの声に頷いてから、倒れている騎士を見る。「黒い靄に取り憑かれたものは、首を刎ねて殺さなければならない。そうしなければ、例え致命傷を負っていても再び立ち上がり、他の人間を襲う」。そう言いながら、レイはさっきまで一緒に歩いていた、目の前に倒れている騎士と同じように黒い靄に取り憑かれてしまった者の首を刎ねた。自分も、そうしなければならないのだろうか? 震えが、ルージャの全身を襲った。その時。
「ルージャ!」
悲痛なライラの言葉に、はっとして顔を上げる。ルージャが逡巡している間に、先程まで近郊を案内していた騎士達がルージャとライラの周りを取り囲んでいた。皆、背後に黒い靄のような影を背負っている。ルージャがそれを確かめるより早く、騎士の一人が持っている剣の切っ先がルージャの眼前を切り裂いた。
「ルージャ!」
その切っ先を、危ういところで躱す。躱しながらライラを自分の背中の方へ隠すと、先程までライラが居た空間を別の剣が薙ぐのが見えた。ルージャだけでなく、ライラも守らなければ。左腕と背中でライラを庇い、腰に差してあった短刀を抜いて自分を守りながら、ルージャは考えに考えた。しかし短刀しか使えないルージャ一人に、相手は三人。どうすれば? 解決策が思いつかない。だが。ルージャが絶望するより早く、目の前の騎士が呻きながら倒れる。その騎士の背後に居たのは、緋色の制服の青年。
「ラウド、さん?」
ライラが青年の名前を呼ぶ前に、ラウドはライラとルージャを引き離そうとしていた騎士の脇腹を蹴り上げ川原に沈めると、最後の一人の腹に肘を入れて気を失わせていた。ラウドの、鮮やか過ぎる手並みに、呆然とする。自分も、このくらい戦えたら。ルージャは初めてそう、思った。
「大丈夫か?」
そのルージャの目の前に、ラウドの顔が現れる。小柄な背格好といい、女性のような顔立ちといい、この前廃城で見た通り、ラウドは全く騎士には見えなかった。
「怪我は、してないな」
ルージャとライラを上から下まで確かめるように見やってから、ラウドは何処か不敵な笑みを浮かべる。そしてラウドは、川原に転がった四人の騎士達を見て溜め息をついた。
「『悪しきモノ』だな」
「あしき、もの?」
ラウドが発した、聞き慣れない言葉を、繰り返す。それが、この、人に取り憑いてその人を狂わせる黒い靄の名前なのだろうか? 首を傾げるルージャには構わず、ラウドはいきなり何も身に着けていない左手甲の皮膚を噛み切り、流れ出た血を倒れている騎士達に振りかけた。
「『古き国』の騎士の血と力で以て命じる。『悪しきモノ』よ、去れ!」
静かな声が、川原に響く。騎士達に纏わり付いていた黒い靄のようなものがラウドの血に触れてゆっくりと消え去るのを、ルージャは瞠目して見詰めていた。
「これで、良し、っと」
「ほ、本当、に?」
にっこりと笑うラウドに、尋ねる。
「ああ」
まだ悪しきモノが憑いて間も無いようだから、これだけで大丈夫。気絶から覚めれば、ルージャとライラを襲ったことなど綺麗さっぱり忘れているさ。ラウドはこともなげにそう言った。
「……こ、殺さなく、ても」
「『古き国』の騎士の血と力で『悪しきモノ』は祓ったから、平気さ」
後で『悪しきモノ』の本体を探し、『核』を叩いておかないといけないけれども。ラウドの言葉に、ルージャはほっと胸を撫で下ろした。
不意にラウドが、少し考えるような顔をする。そしてルージャとライラ、二人をじっと見詰めてから、ラウドは不敵に見える笑みを浮かべた。
「後学の為に、これから本体を叩きに行くか」
付いておいで。但し、俺の前に出てはいけない。ラウドの言葉に得体の知れない恐ろしさを感じ、一瞬、動作が止まる。しかし二人に背を向けたラウドの後ろを、何かを決意した瞳の色をして付いて行き始めたライラを見て、ルージャも慌てて足を動かした。ライラを、危険に晒すわけにはいかない。ライラを害するような危険は、知っておいた方が良い。
ラウドの小柄な背中を見ながら、しばらく歩く。歩くラウドは、やはり、腰に剣を佩いた騎士の格好をしてはいるが、体格的には騎士に見えない。ただ、茫漠としているにも拘わらず油断の無い雰囲気は、確かに、戦士のものだ。
「……あ、あった」
しばらく街道を戻った先で、不意にラウドが木々の間を指し示す。
「あれが、『悪しきモノ』の『核』」
地面から煙のように立ち上る黒い靄が、林の中の下草の合間に見えた。
「悪しきモノに魅入られた人間は、理由無く他人を襲うようになる。悪しきモノに深く魅入られた者は、首を刎ねない限り永遠に他の者を襲う。……悪しきモノ自体も、境界を越えて人々を喰らう」
淡々としたラウドの説明に、背筋が震えるのを感じる。しかし見た目はただの黒っぽい、柔らかそうな靄だ。この靄が、人々に害を成すのだろうか。ルージャのその疑問に答えるかのように、下草の間を漂っていた靄は急にその動きを止めると、一瞬にしてルージャの背より高く伸びた。
「下がって!」
靄の動きに驚愕して動きが止まったルージャの前に、ラウドが飛び出す。ルージャとライラを背中で庇うようにして剣を構えたラウドは、先程第三王子のなまくら騎士達に取り憑いた靄を祓う時と同じように左腕を傷付け、流れ出た血を剣に流した。
「『古き国』の騎士の血と力で以て、『悪しきモノ』を鎮める」
その言葉と共に、ラウドは血の付いた自分の剣と、ラウドの背丈の倍の大きさに膨らんでいた悪しきモノ本体の、一段と濃い部分に突き刺す。震えと共に悪しきモノが消え去ったのは、その後すぐのことだった。
「これで、良し」
背中が震えたままのルージャに、振り向いたラウドが不敵に笑う。余裕に満ちたその笑顔が、ルージャには悔しかった。だが。
「これで当分、ここには悪しきモノは現れないだろう」
古き国の騎士の血で封印を施したのだから。笑うラウドの顔色の悪さに気付き、ルージャは思わずラウドを見詰めた。
「ラウドさん、怪我!」
ルージャの横にいたライラの腕が、先程ラウドが自分で傷付けた左腕の方へ伸びる。古い傷跡が多く見えるラウドの左腕がライラの回復魔法の優しい光に包まれても、ラウドの顔色は悪いままだった。
「いや」
ルージャとライラの心配に気付いたのか、ラウドが静かに首を横に振る。
「悪しきモノを退治したときは、いつもこうなるんだ」
悪しきモノを退治する古き国の騎士達には常に、二つの危険に晒されている。悪しきモノに喰われる危険と、悪しきモノに体力を奪われる危険。悪しきモノに魅入られた人間から悪しきモノを引き剥がすときも、悪しきモノの本体である核を叩くときも、その危険は常に付いて回る。ラウドは静かにそう、ルージャ達に話した。
「だから、なるべく悪しきモノには近づかないようにして欲しい。特に、本体には」
古き国の女王から見習い騎士の任命を受け、古き国の騎士の証である椿を模した留め金を授けられたルージャとライラにも、悪しきモノに対処する血と力は備わっている。しかし、まだ若く経験も少ないルージャとライラには、悪しきモノは危険過ぎる。ラウドの言葉に、ルージャもライラも頷かざるを得なかった。
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