包囲された拠点 3

「……橋を落とせたのは、良いとして」


 考え込むようなレイの言葉に、平静を保つ為に頷く。確かに、ラウドのある意味蛮勇な行動により、砦と外界をつなぐ橋は落ち、新しき国の騎士達の手から砦を守ることはできた。……とりあえずは。


「すっかり囲まれちまってる」


 溜息と共に発せられたエルの声に、主塔にある広間は絶望に包まれた。


 古き国の時代に作られ、古き国と新しき国との戦いの間に見捨てられたこの砦には現在、戦う為の十分な装備や籠城する為の食料はとりあえずの量、有る。しかし、砦と外とを繋いでいた跳ね橋を落としてしまったから、装備や食料を補給する術は、無い。早晩、降伏するより他無いことは明らかだ。しかし、降伏してしまうと。第三王子の醜悪な顔を思い出し、ルージャは思わず身を震わせた。……おそらく、古き国の女王であるライラを、第三王子は嬲り殺すだろう。


「あの、私、行……」


 広間に設えられた椅子から立ち上がって発せられた、決然としたライラの言葉を、ライラの口を押さえて封じる。それは、いけない。


「ダメです、女王陛下。あなたが敵方に渡ってしまっては」


「悪しきモノを封じることができなくなってしまう」


 慌てたエルの言葉に、あくまで冷静なリヒトの言葉が被る。彼らの言葉に納得したのか、ライラが口を噤むのを、ルージャは感じた。しかし心から納得してはいない。その証拠に、飛び出すことを心配して掴んでいるライラの手が酷く震えている。自分と、同じだ。ルージャは少しだけ俯き、怒りと焦りを何とか飲み込んだ。


「ライラ」


 気持ちを落ち着かせるように、そっと、呟く。ライラはルージャに向かってこくんと頷くと、崩れるように椅子に座り込んだ。


「レイの、あの、人をすっ飛ばす魔法は」


 ふと思い出し、レイにだけ聞こえる声で呟く。


「あれは、そんなに遠くへは飛ばせない」


 第三王子に襲われた時、ルージャとライラを廃城前の草原まで飛ばすことができたのは、まぐれに過ぎない。レイは小さい声でそう、言った。それに。


「レイさんの魔法では、レイさんが脱出できないわ」


 憔悴しきったライラの言葉に、ルージャははっと胸を突かれた。この方法では、ダメだ。レイが、犠牲になってしまう。


「身代わりを、立てるか」


 レイの言葉が、残酷に、広間に響く。


「それは」


「だめっ!」


 しかしルージャが反論する前に、ライラの声が広間の諦念を打ち壊した。


「それは、いや」


 自分の為に、誰かが犠牲になることは、耐えられない。呟くようなライラの声に、そっと息を吐く。ラウドが橋から落ちた時に見た、ライラの泣き顔が、ちらつく。「これ以上悲しみを増やしたくない」が故に騎士になったのに、これではダメだ。ルージャは無意識に首を横に振った。


 こんな時、ラウドならどうするだろう? ふと、今ここに居ない奴のことを考え、心の中で首を捻る。ラウドなら、この場にいる者全員が無傷で砦を退去する術、奸計でジェイリを説得する術を持っているだろう。しかし、ラウドは居ない。では、どうしよう? 考え込んだルージャは、人々の間にリヒトを見つけ、はたと手を打った。……この砦が、古き国が建てたものであるのなら、あるかもしれない。


「地下の逃げ道とか、無いのか?」


 傍らのエルに、尋ねる。


「有ったらとっくに逃げ出してるさ」


 ルージャの問いに、エルはいらいらした声を発した。だが。


「でも、ここが古き国の砦なら、女王の城と同じように何かしらの地下の仕掛けがある、はずだ」


 探しに行こう。リヒトの言葉に、エルはむっとした表情で頷くと、広間の皆に外からの攻撃に備えるよう、指示を出した。


「ライラは、ここに居た方が良い」


 リヒトの言葉に、頷くライラ。


「私が、ライラを守ろう」


 レイの言葉に、ルージャは一瞬疑いの目を向けてしまった。


「大丈夫だ」


 ルージャに答えるように、レイが笑う。


「私も、今は『古き国』に忠誠を誓った身。誓約は違えないのが騎士だ」


 レイを疑ったことが、恥ずかしくなる。ルージャはそそくさと、リヒトとエルの後に続いて広間を出た。


 地下室が有るのは、主塔だけらしい。エルを先導に、梯子を使って主塔の地下室に降りる。


「なあ、リヒト」


 エルの後から梯子を降りながら、ルージャはリヒトにそっと尋ねた。


「その、ラウドの、こと」


「ああ」


 ルージャの後から梯子を降りる、どう見ても危なっかしげな様子のリヒトは、ルージャの懸念に控えめに笑った。


「大丈夫。悪運が強過ぎるんだよ、ラウドは」


 記録によると、ラウドは、豪雨の所為で水嵩が正門近くにまで達していた峡谷に落ち、そしてすぐに、この砦を守っていた味方に助け出されたらしい。心配する様子が全く無いリヒトの口調に、ルージャはほっと胸を撫で下ろした。ラウドは、案外運が良い。


 梯子を降りきり、湿った場所を少し歩く。辿り着いた地下室も、少し湿った感じがある以外は砦の他の部屋と同じく荒い石壁で囲まれていた。そして、その部屋の真ん中には、大きめの井戸が一つ。


「水が入ってる」


 その井戸を覗き込んでルージャは落胆の息を吐いた。


「そこから逃げるのは無理だろう」


 むっとした声で、エルが叫ぶのが聞こえてきた。


「うーん。……あ」


 しかしリヒトは、井戸を覗き込むなり大きく頷く。


「ルージャ、じゃなくてエルじゃないと届かないか」


 そしてエルを手招きすると、荒い石造の井戸壁にできた隙間の一つを指して言った。


「あの隙間に、古き国の騎士団章を差し込んでくれないか? ルージャが持っている本物の方を」


 何を見つけたのだろう? 首を傾げつつ、マントを留めていた銀の椿の留め金をエルに渡す。受け取ったエルが前屈で何とかその隙間に留め金を差し込むと、カチャリと音がして井戸が少し、揺れた。次の瞬間。


「……え?」


 エルと同時に、驚きの声を上げる。満々と湛えられていたはずの井戸の水嵩が、音も無く引いていくではないか。しばらくすると、井戸内の水はすっかり無くなってしまう。そして、井戸の底には、綺麗に削られた石で作られている横道が、確かにあった。


「書物の通りだ」


 にっこりと笑うリヒトの小さな背を、エルが叩く。


「よくやったぜ、坊主」


「褒めるのならルージャを褒めるべきだ」


 咳き込みながら、リヒトはそれでも冷静に、ルージャを見てにこりと笑った。


「地下室の話を持ち出したのは、ルージャだ」


「お、俺は、ただ、廃城にあんな複雑な地下室があるんだったら、ここにもあるんじゃないかと」


「それで正解だ」


 褒められ慣れてなく、戸惑うルージャに、リヒトが声を立てて笑う。そしてそのルージャの背を、エルが強く叩いた。


「本当だ。よくやったぜ、ルージャ!」


 とりあえず、何処へ出ているのか調べてみる。そう言って、エルが梯子を取りに地下室を出て行く。後に残ったルージャは、満足の余韻を、噛みしめていた。


「ところで」


 そのルージャに、リヒトの静かな声が響く。


「この通路で逃げられるとして、何処へ行くの?」


「……城へ」


 しばらく考えて、ルージャはそう、答えを出した。ライラを匿うことができる場所は、女王の住まいであった古き国の廃城しか、無い。

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