包囲された拠点 2
「レイさん!」
聞き知った声に、顔を上げる。ルージャの目の前に、歩廊を走ってここまで来たらしいライラが、頬を紅潮させて立っていた。
「これ」
そのライラがレイに、持っていた太矢を手渡す。赤く塗られた矢柄に物珍しさを感じ、ルージャはじっとその矢を見詰めた。
「さっき中庭に飛んで来たって」
矢柄に色を塗った矢は、珍しい。それに気付いた砦を守る者の一人が、身体の弱いリヒトや戦えない者達と共に広間で震えていたライラの前にこの矢を持って来た。ライラの声が、ルージャの耳に響く。
「リヒトが、レイのところに持って行った方が良いって言うから」
ライラの説明を聞いたレイは、矢をじっと見詰め、そして少し手荒にその矢を振った。カラカラという音に、はっとする。
「中に何か入っているな」
半ば強引に、レイは矢を半分に折る。そして、中空になっていた矢柄の中から、レイは小さな羊皮紙をつまみ出した。
「手紙?」
羊皮紙を広げたレイの瞳が、大きく見開かれる。
「ラウドからだ」
「えっ?」
「ラウド、さん?」
驚愕が、ルージャの身体を走る。ラウドはいつも、ルージャ達のピンチにタイミング良く現れていた。しかし今回はタイミングが良過ぎる。しかも、何もできそうにない砦の内部ではなく、砦の外に飛んでくるとは。
「自分に関連する過去や未来の人々を助ける為の方法、それが『飛ぶ』こと」
ルージャの耳にラウドの声が蘇る。ラウドが書いたという手紙を、ルージャはレイの横から盗み見た。
「砦の側面に、敵勢力を集めろ」
羊皮紙に書いてあったのは、その一行。何をする、つもりなのだろうか? ラウドの意図を図りかね、ルージャはむーっと呻いた。
「おそらくラウドは、外から跳ね橋を落とすつもりだろう」
しかしレイの方は、数瞬でラウドの意図を見抜く。砦の外壁に穿たれた矢狭間から矢を多量に射れば、砦をぐるりと囲んだ敵は攻撃された場所に集中するだろう。二ヶ所以上を同時に攻撃されれば、勢力は分散する。
「弓矢は有るか?」
エルの方を振り向いて、レイが問う。
「勿論」
どんな時でも、食料と武器は必要だから。エルは今度は自信のある声で答えた。
「射手を集めてくれ。エルが西側、ルージャは東側を頼む」
「えっ!」
降って湧いた任務に、驚愕が先に立つ。まだ十四のルージャに、年上の人々の指揮ができるだろうか?
「弓や弩と矢を渡せば、あいつら勝手に射るから、大丈夫さ」
そのルージャの心を見抜いたかのように、エルが気楽な声を上げた。
「ルージャも練習通りに矢を射て、外の様子にだけ、注意すれば良い」
続くレイの言葉も、ルージャの心を落ち着かせるのに十分だった。
レイに一礼して、砦の東側に向かう。エルの素早い指示通りに集まった、ルージャより年上の男女に、ルージャは震える声を出した。
「とにかくたくさん、切れ目無く矢を射かけて」
「分かりました」
できるだけたくさんの矢を手に矢狭間に向かった人々が、一斉に外へ向かって矢を射る。いきなりの攻撃にたちまちにして、砦を囲んでいた騎士達の塊が動転するのが、ルージャの耳と目で確認できた。逃げ惑う人々の影に、先程までは正門の方にあった旗が重なる。ラウドの思惑通り、正門から敵勢力を減らすことができているようだ。自身も矢狭間の前に立ち、援軍の到着で何とか体勢を立て直した新しき国の騎士達が砦に射かける矢に注意しながら習った通りに弓を引くルージャは、正直ほっとしていた。自分も、ある程度役に立っている。
と。正面からの援軍の塊から、騎士が一騎、離れていくのが見える。兜の裾から流れる髪の色は、黄金。リールだ。正門の方へ向かっている。何故? そこまで考えたルージャは、自分も矢狭間から飛び出して正門の方へと向かった。歩廊の壁に不規則に穿たれた矢狭間から、リールが正門へと急ぐ様子が見える。そして、ルージャの危惧通り、リールは馬に乗ったまま、跳ね橋を吊っている鎖の一つを断ち切ったラウドの背中へ右手の槍を叩き込んだ。
「ラウド!」
砦の正門の方へ走りながら、思わず、叫ぶ。しかし流石と言うべきか、ラウドは汚物で滑り易くなっている跳ね橋に足を滑らせながらリールの槍をギリギリで躱し、低くなった体勢のままリールの乗る馬の足を手にした剣で薙いだ。横様に倒れる馬から、リールが身軽に飛び降りるのが見える。そしてそのまま、リールは腰の剣を抜くなりラウドの何もつけていない頭に振り下ろした。その攻撃を、ラウドはやはりギリギリで、自分の手の中の剣を使って留める。大柄なリールが繰り出す剣技は重く力に満ち、小柄なラウドの防御に見せかけた攻撃は、詐術に満ちているようでそれでいて無駄な動きは一つも見えない。異なる二人の、どちらも見事な剣技に、ルージャは思わず見惚れた。だが。
「ラウドさん! 後ろ!」
正門上の盾壁の中で、ルージャと同じようにラウドとリールの戦いを見ていたらしいライラの声に、はっと我に返る。何処からか現れた、大柄で華美な鎧を身に着けた騎士が、馬上からラウドに向かって槍を繰り出すのが、見えた。背後からのその攻撃を、ラウドは身体を傾けて躱す。しかし無茶な躱し方で身体のバランスを崩したのか、ラウドは俯せに地面に倒れた。そのラウドの背に、もう一度、派手な騎士が槍を叩き付ける。しかしラウドはすぐに地面を横に転がり、鋭い槍は跳ね橋の木板に深く突き刺さった。
「あいつ!」
非難するようなレイの声が、耳に響く。派手な騎士の攻撃は、下手をすると味方であるはずのリールに当たっていた。リールの幼馴染みで、心の奥底でリールを慕っているらしいレイが怒りに震えるのは、当然。そして。
「ジェイリ! 何をする!」
怒りに満ちたリールの声が、ルージャの居る場所まで響いてくる。リールに答える騎士の声は、聞こえない。だがリールとラウドの戦いの邪魔をした騎士が第三王子ジェイリであることは、ルージャをさもありなんと納得させた。父達をあんなに無残に殺し、ライラを捕らえようとし、ライラを庇ったレイを鞭で打った。他人を目的無く嗜虐するという性癖も、聞いている。リールの手柄を横取りしようとする魂胆ぐらい、ルージャでも分かる。
リールとジェイリが対峙している間に、ラウドが動く。地面から起き上がるなり、跳ね橋を吊っているもう一本の鎖の方へ走るのが、ルージャが居る場所からもはっきりと、見えた。
「なっ!」
「待てっ!」
戸惑いの声を発するジェイリより先に、リールがラウドの影へ飛びかかる。危ない。ルージャは無意識のうちに弓に矢をつがえ、矢狭間からリールとラウドの間に矢を射た。ルージャの矢に、リールの足が止まるのが見える。その間に、ラウドは走って跳ね橋を渡り、跳ね橋を吊っている鉄の鎖を一発で断ち切った。そのまま、正門前の僅かな地面にラウドが立ち、跳ね橋を峡谷に蹴り落とせば、砦は孤立する。だが。ラウドが砦の正門に辿り着く前に、ジェイリが投げた槍がラウドの背を襲った。
「ラウド!」
再び叫ぶ。しかしやはりラウドはラウド、ルージャの危惧には構わず、ラウドはジェイリの投げた槍を身体を傾けて躱した。だが。バランスを崩したラウドの腰が、跳ね橋に落下する。その衝撃で、跳ね橋はラウドの身体を乗せたまま斜めに傾ぎ、ラウドと共に慣性のままに峡谷へと落下した。
「ラウド!」
聞こえてきた叫びは、レイのものかライラのものか。信じられない思いで峡谷を見詰めたルージャは、不意にあることを思い出し、大慌てでライラが居る場所へと走った。ラウドが死ねば、ライラは消える。
「ライラ!」
しかしすぐに、ルージャの目は呆然と外を見詰めるレイの横にライラを見つける。
「ルージャ……」
おそらくラウドが落ちるところを目の当たりにしたのだろう、涙が溢れかえった瞳でルージャの方を向いたライラを、ルージャは持っていた弓ごと抱き締めた。
「大丈夫」
ライラに、というよりルージャ自身に言い聞かせるように、声を出す。
「多分、ラウドは自分の時代に帰った。自分の時代で生き延びている」
ルージャの言葉を信用したのか、ライラが頷くのが感じられる。そう、ライラがここに居るから、ラウドも無事だ。ルージャは何度も、心の中で自分にそう、言い聞かせた。
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