包囲された拠点 1

 次の日の、朝早く。


「大変だっ!」


 再びの大慌てのエルの声が、砦の城壁の中に用意された部屋で眠っていたルージャを目覚めさせる。


「砦が、囲まれている!」


「なっ!」


 開けっ放しだった部屋の扉の向こうに、上着に袖を通しながら足早に廊下を進むレイを認め、ルージャも床の服を掴んで部屋から飛び出した。服を着ながら、砦の唯一の門へと向かう。小走りで進む歩廊の壁に穿たれた狭間から外を見ると、確かに、副都の騎士団を示す青地に銀色の獅子が刺繍された旗が多数、ぼやけた青色の空に翻っていた。


「おそらく、つけられていたんだろうな」


 ルージャの前を速歩で進む冷静なレイの判断に、頷く他無い。昨日廃城の様子を見に行き、副都を守護するリールと第三王子ジェイリの前であれだけの騒ぎを起こしたのだから、戦乙女騎士団の見習いであったルージャのことに第三王子が気付くのは時間の問題だろう。考えたくないことだが、ユーインが告げ口したのかもしれない。しかし尾行される可能性にまでは、昨日の段階では思い至らなかった。自分の迂闊さで、ライラを、砦の人々を危険に晒してしまっている。後悔に、ルージャは唇を噛んだ。そして。門の上の、盾壁の狭間から見えたのは、白地に金色の獅子が刺繍された、青い房が垂れ下がる旗。第三王子ジェイリの、旗だ。身体全体が熱くなるのを感じ、ルージャは再び唇を噛みしめた。目の前に、ルージャの父と伯父伯母を屠った張本人が、いる。できることなら、今すぐここを飛び出して第三王子を屠り、父と伯父伯母の仇を討ちたい。焦燥感が、ルージャの心を焦がす。だが。


「闇雲に突っ込んでも、死ぬだけだ」


 おそらくエルから事情を聞いたのだろう、レイが不意にルージャの震える腕を掴む。


「死んだら、ライラは守れない」


 引っぱたくようなレイの言葉に、ルージャは頷かざるを得なかった。


「あの跳ね橋は、上げられないのか?」


 ルージャの腕を掴んだまま、空いている方の手で降りたままの砦と外とを繋ぐ小さな跳ね橋を指差し、レイがエルに問う。確かに、砦の周りは底が見えないほどの天然の峡谷で囲まれてはいるが、跳ね橋が架かったままでは、門が幾ら頑丈で二重になっていても、敵は案外簡単にこの砦に侵入できる。実際問題、間に合わせで作ったと思われる、削られた面がまだ白い木製の衝角を肩に担いだ歩兵達が、静かに門へと近付いて来ているのが見える。


「装置が古くて、全く動かない」


 跳ね橋を吊っているのは鉄製の鎖だから、そう簡単に切ることもできない。レイの質問に、エルは悔しそうに首を横に振った。


「ならば」


 少し考えて、レイがルージャの腕を放す。


「何か投げ落とすものは無いか? 火の点いたタール桶とか、熱した鉄の玉とか」


「畑用の肥料になる前のものなら」


「それで良い」


 エルの答えに、レイがにこりと笑う。


「ルージャ、エルを手伝え。まずは橋の上の奴らを追い払うんだ」


 そして。レイは再びルージャの腕を掴み、決然とした声で言った。


「ジェイリの件は、必ず何とかする。今は、砦を落とされないことが、最優先事項だ」


 覗き込んだレイの瞳に、静かな怒りを見る。ルージャは唇を引き結ぶと、エルの後を追った。レイの言う通り、今はとにかく、砦を、ライラを守ることが重要。


 口と鼻をスカーフで防御したエルとルージャ、そして砦の男手で、盾壁まで重い桶を運ぶ。そして、桶の中にたっぷりと入った、匂いのきつい茶色のどろっとした液体を、城門の斜め上に穿たれた穴から跳ね橋の上にいる敵騎士の頭上に容赦なくぶっかけた。


「うわっ!」


「な、何だ!」


 思いも掛けぬ上からの攻撃に、敵兵達が門を破壊する為の衝角を取り落とし、自分の陣地へと逃げ帰っていくのが穴から見える。跳ね橋の上に落ちた衝角が転がって峡谷へと落ちていく様に、ルージャはスカーフの下で歓声を上げた。


「とりあえず、当面は何とかなるな」


 ルージャと同じように口と鼻をスカーフで防御したレイが、顔を歪める。


「しかし汚物が尽きれば、門を壊されるのも時間の問題だな」


「出そうと思えばすぐ出せますがね」


 エルの言葉に、レイがエルを睨む。しかしレイの懸念は、ルージャにはすぐに分かった。先程の攻撃は、不意打ちだったから成功した。矢狭間から降ってくる矢から身を守ることができるよう、屋根と車輪が付いた衝角があるらしい。そのことを、ルージャは戦乙女騎士団の詰所に置いてあった本からの知識として知っていた。そのような装置で守りを固めた衝角と騎士達には、汚物攻撃は効かない。どうすれば。ルージャは正直途方に暮れていた。

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