雨の夜の決断
砦の主塔にあった地下道は、砦からずっと北の方へ離れた洞窟へと繋がっていた。
「ここからだと、廃城へは背後の谷から入った方が早いな」
廃城の正門は新しき国の騎士達が見張っているかもしれない。第三王子をはじめとする新しき国の騎士達に見つからないようにするには、少人数に分かれて行動した方が良い。レイとエルが出した結論に従い別行動を取るエルとその仲間達と別れ、レイの指示通りの道を進む。人里離れた暮らしが長かった所為で、ルージャもライラもリヒトも大陸の地理には強くない。だから、レイに従う他無いのだが、それでも、心配が無いのは、レイへの信頼が回復したから、とルージャは思っている。
そして。
「あの橋を渡れば、廃城の裏に着く」
ルージャ達は何とか、追っ手に会わずに廃城の裏手、峻険な谷を刻む小川に掛かる小さな橋の傍まで辿り着いた。
「渡るか?」
物陰に隠れたルージャ達に、レイが問う。時は、夜。月明かりが小さな吊り橋を煌々と照らしている。月の光があるから渡りやすそうに見えるが、追っ手が現れた時に弓矢で攻撃される可能性も倍増している。それでも、できるだけ早く、ライラを隠すことができる場所へ辿り着いた方が良い。それが、ルージャの本音。だから。レイの言葉に、ルージャは無言で首を縦に振ると、ライラに向かって右手を差し出した。
「行こう」
ルージャの言葉に、ライラがこくんと頷いてルージャの右手を握る。ライラの手の温かさにほっとしつつ、ルージャは月明かりの中に歩を進めた。
吊り橋は思ったよりも細く、少し動いただけでゆらゆらと揺れる。足下のすぐ横に川の白い流れが見えて、ルージャの心臓は縮み上がった。だが、ライラに、自分の怯えを見せるわけにはいかない。少しずつ冷たくなるライラの手をぎゅっと握ると、ルージャはしかし慎重に歩を進めた。ライラを、落とすわけにはいかない。ルージャとライラの後ろには、少し及び腰のリヒトと平然としたレイがいる。その後ろを何気なく見て、瞳に映った人影に、ルージャの全身は総毛立った。
「レイ、後ろ!」
そう言って、不意に降り出した土砂降りの雨の中をライラの手を引いて走る。そのルージャの背後から、多くの者が放つ叫び声が迫って来た。こんな急に、追っ手が。何故? そこまで考えたルージャの足が、濡れた橋桁に滑った。
「わっ」
バランスを崩し、横滑りする。だが、橋から落ちる前に、ルージャの左手は強い力に引っ張られた。
「気をつけろ!」
聞こえるはずの無い声色に、耳を疑う。ルージャの腕を引っ張り、橋から地面に飛ばすように下ろしてくれたのは、確かに、……古き国の鮮やかな制服を身に付けたラウドだった。
「リヒトもレイも、早く」
ルージャにしたのと同じように、ラウドはリヒトの腕を掴むと対岸の地面へと下ろす。そしてレイが橋を渡り終えるや否や、ラウドは橋の片端に立ち、緩慢にも見える動作で吊り橋を支えるロープを剣で切り落とした。
「ラウド!」
思わず、叫ぶ。ラウドは、橋を渡ってくる新しき国の敵兵達を、橋を落とすことによって全滅させようとしている。ラウド自身の身の危険も、顧みずに。させない! ルージャはライラの手を離すと、支えるものを失って煽られる吊り橋のロープの一つを掴み、両足で崖に突出する岩の一つに足場を確保しながら、もう片方の手で橋と共に落ちていくラウドの剣を持っていない方の手首をしっかりと掴んだ。何もできずに見ているだけは、一度でたくさん。
「ルージャ!」
崖上と崖下から、声が上がる。雨の所為で、手が滑る。ルージャはありったけの力を込めて、ロープとラウドの手首を握った。
「離せっ! ルージャっ!」
崖下からの声が、耳を打つ。
「お前も一緒に落ちる!」
幸い、明かりが乏しいので喚くラウドの顔は見えない。答えの代わりに、ルージャはラウドの手首を更に強く握った。
と。不意に、ロープを持っていた方の手が緩む。あっと思うまもなく、ロープを持っていた方の手が宙を掻いた。だが次の瞬間。その手を、冷たく強い手が掴む。
「大丈夫か?」
レイの声に、ルージャは胸を撫で下ろした。
「レイ、まで……」
ラウドの溜息が、風に乗って聞こえてくる。
「ライラ、リヒト、風の魔法を使えるか?」
次のラウドの言葉に、ルージャは今度は心底ほっとした。
「竜巻系のヤツで、持ち上げてくれ」
リヒトの魔法で、ラウドをルージャごと持ち上げ、固い地面に下ろす。とりあえず、ラウドが無事で良かった。そう、胸を撫で下ろすルージャの襟を、ラウドはいきなり片手で締め上げた。
「このっ、バカっ!」
息が、詰まる。ルージャの鼻先に、ラウドの鼻が当たる。ルージャを見詰めるラウドの瞳は、怒りで燃え上がっていた。
「過去を変えたら、ライラもレイもおまえも消えるんだぞっ!」
ラウドの言葉で、ようやく、ルージャは自分達が過去に居ることに気付いた。ラウドが無謀な作戦を敢行し、『統一の獅子王』に殺される、その時に。それでも。いや、それならばなおのこと。ライラも大切だが、恩人であるラウドを、見殺しにはできない。
「ラウドに、いや誰にも、死んで欲しくない」
ラウドを、睨み返す。
「それが俺の我が儘でも、構わない。諦めたくないんだ」
睨み合ったまま、時が流れる。先に目を反らしたのは、ラウドだった。
「だ、だが、しかし」
躊躇う声が、響く。ルージャは確かめるように、後ろを振り向き、そしてラウドの襟元をぎゅっと掴んで引き寄せた。
「見ろよ。あんたを助けても、俺もライラもレイもリヒトも消えていない」
ルージャを見詰めるラウドの口から細い息が漏れるのが、確かに、聞こえた。
その時。
「ラウド様!」
雨が上がり、少しだけ明るくなった崖上の道から、甲高い声が上がる。岩場の間から緋色の服に黒い頭巾の少年が現れるなり、ラウドとルージャに向かって手槍を構えた。
「あ、新しき国の兵士達! ら、ラウド様にそれ以上無礼を働くと、許しませんよ」
従者らしきこの少年、何を言っているのだろう? 思わず、首を傾げる。しかしレイの服に目を留め、ルージャはすぐに納得した。レイもルージャもライラも、白色のチュニックに青色のマント、完全に新しき国の騎士の格好をしている。だから知らない人が一見しただけでは、新しき国の騎士達がラウドを襲っているようにしか見えないだろう。
「あ、こいつらは味方、だから」
従者の少年の思考にルージャより先に気付いたラウドが、ルージャのマントを留めている椿を模した銀色の留め金を引っ張って少年に見せる。そういえば、この従者を前に見たことがある。ラウドが「アリ」と呼んでいた、男装の従者だ。ルージャがそれを思い出すより先に。
「ラウド様!」
アリが手槍を投げ捨てるなり、ラウドの胸元へ飛び込む。
「えっく、えっく、ラウド、様、心配、しました。勝手に、無謀なことをして、勝手に、私を置いて、死んでしまうんではないかと」
アリの言葉に、ラウドは気まずそうに顔を上げ、ルージャの方を見た。どうすれば良いのか分からない、ある意味情けない顔をしたラウドに、思わず吹き出す。しかし味方はできない。無謀にも命を投げだそうとし、アリを泣かせてしまったのは、ラウドなのだから。
「あらあら、泣かしてしまいましたね」
ルージャ以外の三人もそう思っているらしい。あくまで冷静に、リヒトが呟く。
「それでもご立派な騎士さんなんだろうかねぇ」
ルージャも、助けを求めるラウドを、軽蔑した目でじっと見つめた。
「あー、もう、わーったわーったわーったわーったわーったわーったわーったわーったわーったわーった!」
皆のその想いに、折れたのはラウドの方。
「分かったからそんな目で見ないでくれ!」
ラウドはふっと肩を落とすと、まだラウドの胸で泣いているアリの頭を撫でてから、諦めたように言った。
「何とかしましょう。みんなの命を、助ける為に」
そして少し唸ってから、再びルージャ達の方を見る。
「とりあえず、城に戻るか」
濡れた服を着替えたいしな。ラウドの言葉に、ルージャはふっと息を吐いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。