廃城の中にいた人々

「は、入るよ」


 ライラから手を離し、隙間に慎重に手をかけ、ゆっくりと城内に足を踏み入れる。


 城内も、城の外と同じく、ぼろぼろに荒れ果てているように見えた。ルージャが現在立っているところは、見上げれば、かつては吹き抜けの広間であった場所だと推測できたが、床に敷かれていた絨毯は僅かしか残っておらず、壁に掛けられているタペストリーも真ん中から無惨に破られている。そして床には、金属片や石や暗い染みが、生えた僅かな草の間に散らばっていた。


 恐る恐る、足下の金属片らしきものの一つを拾ってみる。カンテラの明かりに照らして見ても、ルージャが拾ったものは街中にも落ちている、ただの小さな塊にしか見えなかった。……これでは、廃城に入ったという証明には、ならない。しかし、辺りを見回しても、めぼしいものは既に全て採られてしまっているのか、特にこれといったものはない。どう、するか、ルージャはもう一度、ぐるりと辺りを見回した。


 と。右脇に、小さな階段を見つける。広間にある階段には蔓草が絡み付き、段面もぼろぼろで登るのに勇気が要りそうだが、こちらの小さな階段は陽の当たらない場所にある所為か、あまり損傷は見られない。これなら、登れるかもしれない。ルージャは後ろに居たライラの手を再び握ると、階段をそっと登った。


 小さな階段は、壊れることなく、ルージャとライラを上の階へ運んでくれる。階段が終わったところには、広間の吹き抜けをぐるりと巡る廊下と、金色に光る狼の形をした飾りがついた大きな両開きの扉があった。この飾りを取ってライラと二人で分ければ、廃城に入った証明になる。ルージャは扉に近付き、ぐっと背伸びをして、狼の飾りに手をかけた。


 次の瞬間。


「誰だ?」


 誰も居ない筈の空間に響いた声に、飛び上がる。いきなり扉が向こう側に開いたので、扉に預けていたルージャの身体は前のめりに倒れた。


「おっと」


 そして何か固いものに当たる。


「大丈夫か?」


 耳に響いた優しげな声に、怖々と、顔を上げる。カンテラが要らないほど明るくなっている空間で、倒れかけたルージャを支えていたのは。


「親父……?」


 思わず、呟く。しかし二度見して、ルージャはすぐに、目の前にいる人物が父親に似てはいるが父親ではないことに気付いた。ぼさぼさの赤い髪を肩まで垂らし、緋色の上着に黒の脚絆を身に着けた目の前の人物は、まだ若い。ルージャよりも二、三歳くらい年上なだけだろう。そのような人物が、父親であるはずがない。いや、父が若い頃は、こんな感じだったのかもしれない。


 一方、ルージャが父親と見間違えた若者の方は、片腕だけでルージャを立たせると再び部屋の中へ入っていった。


「ラウド兄者、騎士見習い志望の奴らだぜ」


 そう言いながら、若者は扉傍の椅子に座り、テーブルの上のコップを取り上げる。テーブルの周りには、緋と黒の、同じ色合いの服を着た何人かの男女が座り、テーブルの上に置かれた砂糖漬けや焼き菓子を食べていた。美味しそうだ。場違いにも、ルージャはそう、思った。


「それだけか、ルイス」


 呆れた声が、部屋の奥から響く。その声に釣られるように部屋の奥を見たルージャは、丁度机から立ち上がった人物にあっと声を上げた。あの人は、かつての夢で見、そしてルージャとライラを助けてくれた、騎士団長に見えない騎士団長!


「ようこそ、『狼』団へ。俺のことはラウドと呼んでくれ」


 敏捷そうな小柄な身体に不敵な笑みを浮かべた、騎士団長に見えない騎士団長が、意外に小さく見える手を差し出しながらルージャに向かってくる。


「待っていたよ」


 どうして良いか分からず、ルージャはその騎士団長の手を握った。


「そちらのお嬢さんも、ようこそ」


 ラウドという名の騎士団長は次に、ルージャの後ろに隠れていたライラに握手を求める。ライラは少しだけルージャの背後に身を引いたが、意を決したように唇を引き結ぶと、ラウドの小さな手をそっと握った。


「良いなぁ」


 テーブルの方から、溜め息に似た柔らかい声が聞こえてくる。


「『熊』団にも、可愛い志願者が来てくれると良いのに」


 大柄で短髪の、しかし線が丸く見える若者が、ルージャ達を見て口を尖らせているのが見えた。


「こちらの扉に現れれば『狼』団、向こうの階段から向こうの扉をノックすれば『熊』団。それは昔から決まっている」


 ラウドが、若者の声に静かに反論する。


「だから諦めるんだな、リディア」


「むぅ」


「ところで、何時までここで喋っているつもりだ?」


 そして。テーブルの上をぐるりと見たラウドは、呆れたような声を出した。


「任務はどうした?」


「えー!」


 ラウドの言葉に反論の声を上げたのは、リディアという名の若者の横にいた、赤いローブを纏った小柄な少女。


「せっかく、リディア姉様がお城に来てくれたのに。それに、ミヤ姉様とマイラが、オーガスタ伯母様が作って下さったお菓子を持って来てくれたのに」


「なら自分の詰所で食べなさい、ロッタ」


「私はまだ『竜』騎士団の見習いだから、ラウドお兄様みたいに個室を持ってないの」


「自分の宿舎で食べれば良いだろう。ここは執務室。宴会場ではない」


「けち!」


 テーブルに座っている他の若者達も、ロッタという少女の言葉に賛成しているようだ。リディア以外は、あからさまではないが、文句を言いたそうにラウドを見ている。それでも、ラウドは横を向いて、机の傍に立っていた、黒色の頭巾で頭をきっちりと包んだ少年に鋭く声を掛けた。


「アリ、俺が謁見の間に行っている間に、こいつらを片付けておいてくれ」


「分かりました」


 アリと呼ばれた少年はラウドの言葉に頷くと、テーブルの上の物を容赦なく片付け始めた。


「さあさあ、お仕事に戻ってください」


「ちぇっ」


 扉を開けた若者が舌打ちする中で、ラウドは壁に掛けられていた黒のマントを羽織り、椿を模した銀色の留め金と狼を模した金色の留め金でマントを左肩で留めると、ルージャとライラを手招きして部屋の外へ出た。その後を、ルージャもライラも何故か何も考えることなく付いて行く。


「煩くて悪かったな」


 歩きながら振り向くことなく、どちらかというと優しい口調で、ラウドがぽつりとそう、呟く。古き国には『竜』、『熊』、そして『狼』という三つの騎士団がある。男装の麗人、リディアは、ラウドの実妹で戦闘を担当する『熊』騎士団の副団長。その横に居たローブを着た少女、ロッタは、ラウドの異父妹で女王の身辺を守る『竜』騎士団に所属している。扉を開けてくれた若者ルイスは、ラウドの異父弟、そしてルイスの横に居た女性は、ルイスの従姉で婚約者に当たるミヤと、その妹のマイラで、三人ともラウドと同じ、探索を主たる任務とする『狼』騎士団に所属する騎士。塵一つ無い廊下を歩きながら、ラウドはルージャとライラにそう、説明した。


「リディアとは、会う機会がそう無いから、はしゃいでしまって」


 そう言いながら、ラウドはキラキラと光る綺麗なタペストリーが規則正しく並んでいる廊下を通り、三階へと続く吹き抜けの階段へとルージャ達を誘った。


「行こう。女王が待ってる」


 いつの間にか辺りが明るくなっていることも、城内に陰惨さや雑然さが無くなっていることも、ルージャは疑問に思わなかった。自分とライラが何故か、既に滅びてしまったはずの古き国にいることも、そしてラウドの後に付いて行っていることも。


 だが。


「そうだ」


 君達が君達の時代へ戻る前に。そのラウドの言葉で、現実に引き戻される。そうだ。ルージャとライラは、この『廃城』に肝試しに来たのだ。


「君達に肝試しの『証』を渡しておかないと」


 そう言いながら、ラウドは自分の上着のポケットから大きめの金貨を取り出し、ルージャの掌にポンと置いた。


「それを半分にしたら、二人分になるだろ」


 古き国の金貨だ。そう、ラウドが言う。


「女王陛下からも宝物を貰えるけど、そっちは、隠しておいた方が良いだろうから」


 自分の小遣いが無くなるのは辛いが、仕方無い。ラウドの言葉の悄気た響きに、ルージャは思わず吹き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る