副都と廃城 1
広い街路に溢れ出ている、たくさんの人々に、思わず足を止めてしまう。
「どうした?」
「人混みを見るのは初めてか? 口が開いているぞ」
先輩である見習い騎士、大男のアルバと口の軽いユーインがルージャを見詰めて笑っているのに気付き、ルージャは慌てて口を閉じ、息を整えてから歩き出した。大丈夫、怖くない。初めて街を歩いた時には、正直なところ人の多さに息が詰まりそうだったが、もう、慣れた。レイが団長を務める戦乙女騎士団の本拠地である、この大陸を統治する『新しき国』の、国を支配する王と同じくらいの勢力を持つという、大陸南東部を治める太守の都、『副都』という名のこの街に連れて来られた時も、都を囲む城壁の高さと堅固さに度肝を抜かれたが、見習い騎士として何度も城壁を出たり入ったりしているうちに慣れた。副都を行き交う人混みも、始めは正直怖いと思ったが、今はもう、大丈夫だ。ルージャのすぐ後ろを歩いていたライラの震える手を、ルージャは軽く握った。いや、震えているのはライラの手ではなく、ルージャ自身の手かもしれない。
ユーインとアルバに連れられて、ルージャとライラは副都の繁華街に来ていた。
「こっちだ」
不意に、ユーインがルージャの腕を引っ張って向きを変える。美味しそうな匂いがルージャの腹をくすぐった。
「ここが俺の一押しの食堂」
今日は、いつも騎士団詰所の食事を作ってくれる賄いの小母さんの休暇日らしい。夕食は外で摂るよう、団長であるレイに言われたルージャとライラは、ユーインとアルバに誘われるままここまでやって来た。夕方なのに昼のように明るい通りも、美味しそうな匂いに満ちた視界のぼやけた空間も、これまでずっと山の中の集落で暮らしてきたルージャには物珍しく、ルージャはしばらくきょろきょろと辺りを見回していた。ルージャが呆然としている間に、ユーインが、満員の食堂に何とか四人分の席を確保する。
「おばさん、いつものね。飲み物は子供用エール二つと普通のエール二つ」
ユーインとアルバは、この食堂の常連らしい。ユーインがそれだけ言うとすぐに、ルージャの目の前にある厚板のテーブルの上に美味しそうなものが並んだ。肉の入ったパイ、ソーセージ、パン、ほかほかと湯気を上げる具沢山のスープ。
「ソーセージはおまけしておくよ」
新人が入って来たお祝いだ。そう言ってから、食べ物を持って来た食堂の小母さんは急に声を顰めた。
「アルバにユーイン、あんた達は北に行かないのかい?」
戦乙女騎士団に所属する全ての騎士が、北方にある国境に派遣されるとレイから通達があったのは、今朝のこと。
「見習いは、派遣されないそうだ」
小母さんの言葉に、アルバが静かな声を返す。
「街の噂は早いな」
そして、頭を掻くユーインの横で、ルージャは朝と同じ疑問を考えていた。
レイに拾われ、戦乙女騎士団に所属するようになって、十日ばかり。宿舎を兼ねる騎士団詰所の中庭でアルバやユーインと共に武術を習ったり、副都周辺を歩き回り異状が無いか確かめたりすることで、新しき国の騎士になる為に必要なことを学んでいる。そして、新しき国やこの副都のことについても、大体のことが分かってきていた。
北西の一辺以外を海に囲まれたほぼ四角形のこの地を支配する王国『新しき国』。その王は代々『獅子王』を名乗っており、この地の北方にある王都に住んでいる。王国には王の他に様々な爵位を持つ貴族達がいて、王より与えられた領地を支配している。副都とその周辺を支配しているのは、力が有り、王の信頼も厚い貴族の一人。そして彼は、レイの父親でもあるという。すなわちレイは、副都の太守を父に持つ、ある意味エリートな騎士なのだ。なのに何故、レイは戦乙女騎士団という、副都周辺を守る小さな騎士団の団長なんかをしているのだろうか? いや、副都周辺に暮らす人々を様々な脅威から守るのも、騎士の立派な仕事の一つだ。だが、副都の太守の他の息子達、すなわちレイの兄弟達は皆、副都の周りに領地を与えられているらしい。レイだけが冷遇されているように、ルージャには感じられた。
「なんで騎士を王都や北方に集めているんだろうねぇ」
ルージャが色々考えている間に、テーブルの上が騒がしくなる。
「隣国と戦争になるんじゃないかしら?」
「それは無いだろう。……おい、ルージャ、冷めないうちに早く食べろよ」
今の獅子王は穏やかな人柄で、ただ一国だけ陸続きである隣国の王の妹を娶っている。そんなことを食堂の小母さんと話しながらスープをかき込むユーインを見ながら、ルージャも近くにあったパイに手を伸ばした。香辛料の利いた肉のパイは、ルージャには少し辛い。騎士団詰所の賄いの小母さんがお弁当に作ってくれるパイの方が好きだな。ルージャはそう思い、子供用エールの方へ手を伸ばした。
戦乙女騎士団に所属している騎士の数は、その職務の重さに対して意外に少ない。見習い騎士に至ってはルージャとライラ、そしてアルバとユーインの四人だけだ。騎士団に所属する騎士達が全て居なくなった後、団長であるレイと四人の見習い騎士だけで、副都周辺を様々な脅威から守るという戦乙女騎士団の責務を果たすことができるのだろうか? 甘いエールを飲みながらルージャはそっと首を捻った。副都周辺には現在、二つの問題が跋扈している。一つは、かつてこの大陸を魔術で以て支配し、政を過ったが故に新しき国によって打ち倒された『古き国』の騎士を名乗る盗賊達が傍若無人に暴れていること。そしてもう一つは、人に取り憑き、取り憑かれた人間を狂わせる『黒い靄』の存在。古き国を支配していた女王を復活させる為に罪無き人々の首を斬って女王に捧げているという噂を纏い、特に新しき国の騎士達を選んで残虐に襲っているとはいえ、盗賊の方は一応人間だから、怖くないと言えば嘘になるが対処はできる、と思う。だが、何時の間にか仲間に取り憑き、その人を豹変させてしまう『靄』の方は、……考えるだけで空恐ろしくなってしまう。特に深い森の中に存在が確認される『黒い靄』に取り憑かれた人を助ける方法は、その人を殺すことだけ。昨日も、レイと共に副都周辺を警備している最中に、ルージャの先輩である騎士の一人が何の前触れもなく『靄』に取り憑かれた。その、レイにとっては部下に当たる人物を、レイは自身の剣で彼の胸を刺して殺し、蘇生しないよう、首と胴を切り離した。その処置をし、遺体を街道脇に葬った後の、レイの蒼白く暗い表情を思い出し、ルージャも暗い気持ちになった。
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