騎士叙任 2

 はっとして、我に返る。どうやら再び眠り込んでしまったらしい。そして。傍らのソファで眠っているはずのライラの姿が無い! 何処へ行ったのか? ルージャは大慌てで寝ぼけた頭を左右に動かした。いた! ソファのすぐ側にある、出入り口の扉の前に、ライラは青白い顔で座り込んでいた。


「ルージャ」


 何が、有ったのだろう。一飛びでライラの傍に駆け寄ったルージャに、ライラは悲しげな声を出した。


「扉が、開かないの」


「出たいの?」


 何故? ルージャが疑問を口にする前に、ライラは涙に濡れた瞳をルージャに向けた。


「レイさんを、助けないと」


 うとうとしていたライラの耳に入ってきたのは、リヒトとサクの声。古き国を支持し新しき国に害を為す者達を匿ったという罪で、レイは父の代わりに副都を守護する第三王子に捕らえられ、副都の王宮地下にある牢に閉じ込められている。そう話すサクの声に居ても立っていられなくなり、ライラはリヒトとサクがこの図書室を出たのを見計らって外に出ようとした。しかし、やはり、というべきか。扉には鍵が掛かっている。ルージャが強く押したり引いたりしても、唐草模様が刻まれた扉は頑として開かない。どう、すれば。ルージャは正直途方に暮れた。しかしライラが出たいというのであれば、どのような手を使ってでもここから出なければ。


 と。ルージャとライラの固い意志に答えるかのように、今までびくともしなかった扉が音も立てずに開く。あっけにとられたルージャとライラの前には、ここに来た時と同じ石造りの床と壁を持つ、細く薄暗い廊下が伸びていた。


「行きましょう、ルージャ」


 明らかにほっとした表情でにっこりと笑い、ライラが立ち上がる。ルージャはそのライラを制すると、自分が先に立って図書室を出た。


 薄暗いが、ルージャやライラが歩けるほどの明るさの廊下を、音を立てずに歩く。しばらく歩くと、二人の目の前に螺旋階段が現れた。


「これを上れば、地上に着くかしら?」


 首を傾げるライラの声を背に、ルージャは螺旋階段の一番下の段に足を掛け、手すりを持って上を覗き込んだ。随分と高く、長い。天井らしき暗闇が、ずっと遠くに見える。これを登って、大丈夫だろうか? ルージャはそっと、足の下の段を確かめた。金属板らしき階段は、強く踏みつけるとカラカラと軽い音を立てた。階段自体は、丈夫そうだ。ルージャとライラが乗っても壊れないだろう。問題は、この階段が何処に続いているか。しかし躊躇している時間は無い。リヒト達が何時図書室に戻ってくるか分からない。図書室にルージャとライラが居なければ必ず探しに来るだろう。リヒトの従者、サクは、屈強な男を完膚無きまでに叩きのめした奴だ。地面に押し付けられた時の腕と肩の痛みは、今も覚えている。そのサクに見つかってしまったら、古き国の女王の血を引くライラはともかくルージャはどうなるか。図書室からここまでの間に、脇道は無かった。となれば、ここを登るしかない。


「行こう、ライラ」


 ルージャはぎゅっと覚悟を決めると、ライラに向かって手を伸ばした。


 ライラの手を握り、ゆっくりと、螺旋階段を上る。螺旋階段は確実に、二人を上へ上へと連れて行った。


「どこまで、続くのかしら?」


 疲れたのか、息を切らせたライラの言葉に、足を止める。確かに、上を見ても、天井はずっと先。そして下を見ると、ルージャ達が居た地下の廊下はずっと下にあった。そして途中には、他の階に出るような廊下も隙間も無い。細長い空間に、階段だけがぐるぐると続いていた。


 と。不意に、頭上が少しだけ明るくなる。


「やっと来たな」


 薄明るい空間に、ほっそりとした影が見えた。


「早く登って来るが良い」


 この静かな声は、知っている。古き国の最後の女王、リュスの声だ。いつの間にか、ルージャとライラは過去へ飛んでしまっていたらしい。女王の声に操られるように、ルージャは螺旋階段を上りきり、朝靄が漂う謁見の間の床に足を下ろした。続いてライラも、ルージャの横に立つ。


「この隠し扉を開けるのも、久し振りじゃ」


 疲れた目で二人を見た女王が、右手に握った留め金を振る。微かな光を反射して、椿を模した留め金がきらりと光った。


「古き国の騎士の証であるこの留め金が、全ての鍵となる」


 謁見の間に設えられた、今は何故か見窄らしげに見える玉座に、女王リュスは厳かに、しかし溜息と共に腰を下ろす。そして徐に、女王リュスはその紅玉のような燃える瞳でルージャとライラを見詰めた。


「もうすぐ、妾を殺そうとする者達が来る」


 衝撃的な言葉を、淡々と、女王は綴る。


「ラウドもリディアも、妾に地下に逃げるよう、言った。しかし妾一人が逃げたところで、何になる」


 そう言うと、女王は玉座から立ち上がり、立ち尽くすルージャの傍に滑るように歩み寄った。


「今一度、問う。ルージャ、そなたは騎士になって、何がしたい?」


 女王リュスの言葉に、考えるように俯く。父親と伯父伯母の仇を討ちたいという感情は、ルージャの中では小さくなっていた。彼らのことを大切に思う気持ちが、無くなったわけではない。だが、あの時、自分にもう少し力や知恵があれば、父親も伯父伯母も、ライラと一緒に助けることができたかもしれないと、今のルージャは思っていた。そして。これまでのことが、走馬灯のように蘇る。リディアという人も、そしてラウドも、自身に降り掛かる物事を運命として受け止め、そしてある意味『諦めて』いるようにルージャには、思えた。それが、ルージャの中のもどかしさ。だから。


「俺は、これ以上の悲しみを、作りたくない」


 女王に答える、というより、自身に言い聞かせるように、そう、口にする。ルージャの言葉に、女王リュスは満面の笑みを浮かべた。


「宜しい。そなたを我が騎士として認めよう」


 跪くが良い。女王の言葉に操られるように、冷たい石畳の床に膝をつく。項垂れたルージャの右肩に、女王は自分の腰から外した木剣をぴたりと当てた。


「古き国の騎士として、その血と力で以て、この世界を守れ」


 三度、剣で肩を叩かれる。叩かれる度に、言い知れぬ力がルージャの中に入って来るのを、ルージャは戸惑いと共に感じていた。


「立つが良い」


 女王の言葉に、顔を上げる。女王はルージャに笑いかけると、今度はライラの方を見て言った。


「次の女王は、そなたじゃ」


 そう言って、女王は首から重い宝石の付いた首飾りを外すと、ライラの首にその首飾りを掛けた。赤く光る首飾りを見、そして女王を見詰め、ライラがこくんと頷く。そのライラの表情に決然とした表情を読み取り、ルージャははっと息を吐いた。確かめるように、もう一度、目の前の女王に目を向ける。先程まで身に付けていたはずの王冠と木剣が、女王の周辺に見当たらない。いつの間に、外したのだろうか? ルージャは思わず首を傾げた。


 次の瞬間、不意に、視界が半透明に染まる。響いてきた鎧の音に、ルージャは慌てて、傍のライラを自分の方へ引き寄せた。白い服の上に銀色の鎧を纏った、新しき国の騎士達が次々と、女王の謁見の間に入ってくる。彼らはルージャとライラを無視し、真っ直ぐに女王の方へと向かった。そして。金の髪を揺らした、威圧感のある巨漢が、女王の細い腕を強く掴む。そしてそのまま、巨漢が女王をバルコニーまで引き摺っていき、そこで女王の首を刎ねるのを、ルージャはライラの震えを感じながらただ呆然と見詰めて、いた。


「……リュス」


 小さな声に、はっとして振り向く。いつの間にか、ルージャとライラの後ろに、ラウドの真っ赤になった瞳があった。


「歴史は、知っていたけど。……やっぱり、何もできずにただ見ているだけは、辛い」


 ラウドの言葉に痛みを覚え、こくんと頷く。静謐だった謁見の間は、今は暗く、微かな血がこびり付いた無残な空間に戻っている。ルージャ達の時代に、戻ったのだ。まだルージャの服に掴まって泣いているライラの、乱れた白金色の髪を、ルージャはそっと撫でた。


「ルージャ、ライラ」


 不意に、床の一部がぽっかりと開く。その空間に現れたリヒトの頭に、ルージャはしばらく呆然とし、そしてライラを自分の方へ抱き寄せた。


「何もしないよ」


 そのルージャをにっと笑ってから、リヒトは謁見の間の床に立つ。


「逃げたことも、怒ってないし」


 鍵を掛けた扉が開いたということは、この城が自分の意志で、女王の血を引くライラと古き国の騎士の子孫であるルージャを外へ出したということだから。ラウドから視線を逸らしながら、リヒトは静かにそう言った。そして。


「女王になったんだね、ライラ」


 ゆっくりと顔を上げたライラに、リヒトは持っていた女王の王冠を渡す。私を、騎士に任命して欲しいという、言葉と共に。ライラは、どうするだろうか? ルージャはそっとライラを見詰めた。リディアやラウド、そして女王リュスのような悲しい目に遭わせたくないという理由で、拒否するだろうか。それとも。


「良いわ」


 ライラはリヒトに向かって強く頷くと、ルージャに笑いかけた。


「私は大丈夫。剣を、ルージャ」


 勿論、ライラが良いのなら、ルージャに異存はない。ルージャは腰に吊り下げた木剣を外すと、唇を引き結んでライラを見詰めた。


 リヒトから受け取った王冠を被り、ルージャが差し出した木剣を掴む。首飾りの赤い光が、ルージャの目を眩しく射た。大丈夫だ。ライラも、自分も。何の根拠も無くそう感じ、ルージャは静かに息を吐いた。


「リヒト、あなたは騎士になって何がしたいの?」


 女王リュスがルージャに尋ねたのと同じ問いを、ライラがリヒトに尋ねる。


「私は、全ての思いを次へ繋ぎたい」


 リヒトの言葉は、澱みがなかった。


「良いわ」


 リヒトの答えに、ライラはこくんと頷くと、女王リュスがルージャにしたように、リヒトの右肩を木剣で三度、優しく叩く。


「ありがとう」


 立ち上がったリヒトは、ルージャの最初の印象通り弱々しかったが、それでも、どこかルージャよりも頼もしげに、見えた。そして。


「ラウドさん」


 木剣を下ろしたライラが、腕組みをして騎士叙任の儀式を見ていたラウドの方を向く。


「レイさんを、助けたいの。協力お願いします」


「一介の騎士に、頭を下げないでください。女王陛下」


 ラウドに頭を下げたライラに、ラウドは膝を折った。


「女王陛下の御心のままに」

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