廃城地下の図書室 1

「……ジャ? ルージャ!」


 耳近くで囁かれるライラの声に、飛び起きる。微かに光る、小さな空間で、ライラが青白いながらもほっとした表情を浮かべているのが分かった。


「大丈夫? どこか痛いところない?」


 ライラの言葉に首を横に振り、改めてライラを見詰める。ライラも、怪我をしているようには見えない。落とし穴のことを忘れていたなんて、バカ過ぎる。ルージャは自分を責めるようにふっと息を吐いた。しかし狭い空間でルージャに触れているライラの身体は、普段より少し熱い。熱がぶり返しているようだ。何とかしなければ。焦りと共に、滑り落ちてきた斜面を見上げる。ずっと上の方に、おそらく落とし穴の入り口であろう、小さく切り取られたような四角が見えた。


〈あの場所までは、登れない〉


 斜面の急さと、出口の遠さに、諦める。他に出口は無いのか。ルージャは注意深く、ぐるりと辺りを見回した。すぐに、人一人が通り抜けられそうな亀裂を見つける。大丈夫だろうか? その隙間の向こうの、不思議な程重たげな闇に、ルージャは思わず身を震わせた。しかしながら。……この道を選択するより他、ないだろう。


「ライラ、歩ける?」


 ルージャの言葉にライラがこくんと頷くのを確かめてから、落ちていた木切れに下着の裾を細く破ったものを巻き付け、即席の松明を作る。ベルトに配したポーチには常に、探索に必要な細々とした物が入っている。その中の火打石で火を付けてから松明を暗い隙間の向こうに差し込むと、松明は闇の中で頼りなく燃えた。空気は、大丈夫そうだ。


「行こう、ライラ」


 ライラを、というより自分自身を励ますようにそう言うと、ルージャは先に立って亀裂を超えた。亀裂を超えるライラに手を貸してから、松明を持っていない方の手を伸ばして辺りを探る。どうやらルージャとライラは、石作りの壁に囲まれた細い廊下にいるらしい。その廊下を、ルージャは松明と、庇うように後ろに配したライラの手を握り締めて歩き始めた。地下らしく、辺りは少し湿っている。足下は、障碍物が無いので歩き易い。問題は、廊下がすぐ、右へ曲がったり左へ曲がったりすること。十字路やT字路も当たり前のように出てくる。まるで迷路だ。ここから出られる気がしない。不意に弱気になり、ルージャは慌てて首を横に振った。落ち着け。かつて父に教わった通り、曲がった回数はルージャとライラで数えている。十字路やT字路には爪で印を付けた。戻ろうと思えば、戻ることは可能だ。ルージャは立ち止まり、ゆっくりと息を吐いた。


 と。いきなりの攻撃が、横からルージャを襲う。握っていた松明を床に落とし、ライラを庇うようにして何とか避けたが、ルージャの身体ギリギリを通り抜けた拳が纏っていた重さに、ルージャはびくりと身を震わせた。まさかこいつが、あの案外博学だった騎士隊長の部下の一人を全身打撲にした張本人か? 崩れた体勢を立て直しながら、ルージャは消えかけた松明の外の闇を見透かすようにして相手を捜した。次の瞬間。あっけなく、ルージャの腕は、闇から伸びてきた太い腕に捕まる。腕を背中側に捻り上げられて、ルージャは痛みに大声を上げた。


「ルージャ!」


 ルージャが庇った時に床に尻餅をついていたライラが、両手と足で地面を蹴って起き上がるなりルージャの後ろへ飛びかかる。だがライラがルージャの傍に来る前に、闇から伸びてきたもう片方の腕がルージャの腰にあった木剣を奪い取り、ルージャをライラの方へ投げ飛ばした。


「きゃあっ!」


 ライラの悲鳴が、すぐ側で響く。


「ごめん、ライラ」


 ルージャに突き飛ばされるように再び床に倒れるライラの様子を確認する間も無く、ルージャは木剣を掴んだ影のような背の高い男の方へ体勢を崩したまま飛びかかった。ライラも大切だが、ライラの『力』を証明する女王の宝物、木剣を奪われるわけにはいかない。だが、ルージャのがむしゃらな攻撃は、今回も効かなかった。飛びかかったルージャの身体を、男は木剣を持っていない片腕だけで無造作に止める。そして暴れるルージャを総無視して、男はじっと手にした木剣を眺めていた。そして。全く唐突に、男はルージャから手を離すと、木剣をルージャに返した。


「え?」


 その行動に、ルージャは全く動きを止めてしまった。


「え?」


 驚いたのはルージャだけではない。ルージャと同じ言葉を、男に優しく助け起こされたライラも呟く。その二人を、男はその鋭い目でじっと見つめると、二人に向かって手招きをした。


「どうする?」


 ルージャの方へ近寄ってきたライラに怪我が無いことを確かめてから、男に聞こえないような小さな声で尋ねる。


「出口を、教えてくれるかもしれない」


 ライラの言葉に、ルージャは同意するようにこくんと頷くと、落とした松明を拾い、ライラの手を再び掴むと、背中を見失わない程度に少し離れて男に付いて行った。

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