廃城地下の図書室 2

 細い廊下を、何度か左右に曲がる。しばらくすると、少し遠くに、明るい場所が見えた。その明るい場所の方へ、影のような男は無言のまま進んで行く。その沈黙が重苦しくなり、ルージャは何度か声を出して息を吐いた。その度に、前を行く男がルージャを睨むが、息苦しいのだから仕方がない。そうこうしながら辿り着いた場所は、炎とは違う色が灯るランタンに照らされた廊下と、その先にある黒っぽい扉。蔓草らしい模様が描かれたその重そうな扉を、男は静かに叩いた。


「何?」


 すぐに、細い声が聞こえてくる。男が大きく扉を開けたので、ルージャにもすぐに、声の主が見えた。


「どうしたの、サク? こんな夜更けに?」


 ルージャとライラの前方に居たのは、濃い色の髪を綺麗に切り揃えた小柄な少年。少年だけを照らす少し白っぽい光の所為か、少年の顔色は病的なまでに蒼く見えた。この部屋は、何なのだろう? 闇に隠れた部屋の中を、ルージャはぐるりと見回した。しかし少年と少年が座っている大きな椅子以外の部屋の備品は全く見えない。黴臭い匂いと、妙な圧迫感を、感じるだけ。


「誰?」


 ルージャとライラを見た少年が、誰かに似た灰色の瞳を大きく見開く。


「珍しいね。サクがお客さんを連れて来るなんて」


 少年の言葉に、サクと呼ばれた件の男性は声一つ立てずにルージャの肩を強く掴んだ。


「おい!」


 いきなりの男の行動に思わず暴れる。しかしルージャの戸惑いも驚きも総無視した男は、ルージャが男の目的を察して抵抗するよりも素早く、ルージャの腰に差した木剣を取り上げ、ルージャを片手で床に押し付けてから、剣を少年の方へ恭しく差し出した。


「これは……」


 痛みを堪えて起き上がるルージャの瞳に、ルージャの木剣を見詰めた少年の瞳が、再び大きく見開かれるのが映る。少年は座っていた大きな椅子から立ち上がると、あっさりとルージャに木剣を返し、そして傍らの棚の上に載っていた簡素な箱から何やら円環のようなものを取り出した。


「これを」


 そしてその、キラキラと揺らめくように見える円環を、ライラに向かって厳かに差し出す。


「被ってみて」


 ライラはルージャを見てから、恐る恐る少年の手から円環を受け取り、おっかなびっくりとした調子で頭に乗せた。


 次の瞬間。


「えっ」


 辺りの光量が倍以上に増えた気がして、思わず目を瞬かせる。ライラ自身が、輝いているのだ。それが分かるまでにしばらく掛かった。


「やっと、見つけた」


 その声と共に、光が収束する。目をぎゅっと閉じて光を追い出してから再びライラを見ると、ライラの傍で少年が円環を持ってにこりと笑っているのが、見えた。少年の背は、ルージャやライラとほぼ変わらない。年齢も似たり寄ったりだろう。ルージャはそう、推測した。


「僕の名は、リヒト。君達は?」


 ライラを見、ルージャを見てから、少年が名乗る。


「ライラ」


「ルージャだ」


 礼儀正しく、二人もそれぞれ自分の名前を名乗った。


「ライラ。君は『古き国』の『女王の力』を受け継いでいるね」


 リヒトの問いに、ルージャとライラは同時に頷く。ラウドの言葉を、寝込んでいるライラにルージャは話した。話さなければ。そう思ったのだ。そして、ルージャの言葉を、そして懸念を、ライラはすぐに理解した。ライラが持つ『力』が意味するところも、その力を忌む新しき国がライラをどのように扱うのかも。


「そして『力』の源である『剣』と『王冠』が揃った。言い伝え通りに」


「言い伝え?」


 首を傾げたルージャに、リヒトは再びにこりと笑った。


「この場所には、『古き国』の歴代の女王と騎士達の記憶と想いが眠っている」


 リヒトの言葉に、明るくなっていた辺りを見回す。ルージャとライラを取り囲む、部屋の全ての壁には高い天井まで届く本棚が設えられている。そして本棚のどの場所も、様々な色の背表紙で一杯だった。その本の中から、一冊をリヒトが抜き出す。


「最後の女王の言葉にある。『剣と王冠が揃う時、後継の女王が生まれる』、と」


 あれ? リヒトの言葉に違和感を覚え、ルージャは思わず首を傾げた。確か、ルージャが見た古き国の女王は、王冠を被り、剣を剣帯で腰に吊るし、そして血のように濃い赤色の宝石が嵌った首飾りをしていた。


「首飾り? うん。女王になる為には首飾りも必要だよ」


 かつてこの地を支配していた『闇の王』を倒し、古き国の初代の女王となった者の記憶を記した本にはそう書いてある。ルージャの問いに、リヒトはあっさりとそう答えた。


「でも、最後の女王リュスは、剣と王冠だけで良いと言っている」


 そこが、分からないんだけど。リヒトの声が、急に小さくなる。


「おそらく、君たちが過去に飛ぶか誰かが過去から飛んで来るかして、首飾りのことは何とかなるのかもしれない」


 それならば、納得がいく。ルージャはこくんと頷いた。


「悪しきモノを封じ、滅ぼす為に、女王はどうしても必要だからね」


 リヒトの言葉に、ルージャもライラも大きく頷く。悪しきモノに取り憑かれ、仲間であるはずのルージャ達に襲いかかってきたアルバの顔が、不意に脳裏に浮かび、ルージャはその記憶を払い落とすように首を強く横に振った。しかし記憶は次々とルージャの思考を支配する。ルージャを殺そうとしたアルバの首を刎ねたラウドの、俯いた泣きそうな顔。唯一の友人であるアルバを殺したラウドを刺そうとした、ユーインの醜く歪んだ顔。そしてルージャとライラで見た、おそらくアルバが埋まっている新しい土盛りの冷たい姿。ずっと昔の記憶も蘇ってくる。悪しきモノに取り憑かれ、味方を襲う騎士の瞳に宿っていた何処か底知れぬ空虚さ。そしてついさっきまで部下であった者の首を刎ねざるを得なかった、レイの震える唇。悪しきモノさえいなければ、これらは全て起こらなかった。ラウドの言う通り、悪しきモノは滅ぼさないと、いけない。悪しきモノに対抗できるのは、古き国の女王と、女王から任命された古き国の騎士のみ。そして。幼馴染みのライラが古き国の女王であることを、ルージャは誇りに思っていた。


 と。ルージャの身体に、ライラが凭れ掛かる。しまった! ライラが青白い顔をしていたことをルージャが思い出すより前に、隅で控えていたサクという名の男がその太い腕でライラを抱き支え、扉近くのベッドに見えるソファにライラのぐったりした身体を横たえた。


「ライラ!」


 叫びたいのを我慢して、ゆっくりと、ライラの汗ばんだ額に手を伸ばす。


「眠っている、だけだね」


 ライラを見たリヒトが、明らかにほっとした笑みを浮かべた。


「もう遅い。ルージャも、眠ったら」


 サクがライラの身体に毛布を掛ける横で、リヒトがルージャにもう一枚の毛布を渡してくれる。


「ここで眠ったら、悪夢を見ると言われているけど」


 リヒトのこの言葉を最後まで聞くことなく、ルージャは冷たい床に座り込むと、ライラが眠るソファの傍らに重い頭を乗せて目を瞑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る