ある騎士の夢 1

 見慣れぬ天井に、はっと息を飲む。


 ここは、何処なのだろうか? 全身を巡る微かな痛みと気怠さを脇に押しやりながら、リディアはこれまでのことを思い出そうと努めた。確か、兄であるラウドの遺体が首を斬られた状態で無惨にも晒されているのに激高して、守備の任に着いていた東の塔から飛び出し、塔を包囲していた新しき国の兵達を次々と屠った所までは覚えている。深手を負ったところで部下達に塔まで無理矢理連れ戻され、騎士達が立て篭る一室で魔術師から回復の魔法を受けたことも。そして、その、後は? 自分は何故、見知らぬ部屋のベッドの上に横たわっている?


「リディア様! 気付かれましたか!」


 聞き知った高い声に、ゆっくりと首を動かす。小さな顔を黒色の頭巾で包んだ少女が、リディアの方へ腫れた瞳を向けているのが、見えた。この、子は。ラウドの従者だった。


「アリ」


 何とか、唇を動かす。


「貴方は、無事だったのね」


 リディアの小さな声に、アリはこくんと頷き、そしてうわっと泣き出した。


「良かったです、リディア様、気が付かれて。もう、このまま目覚めないのかと……」


 そのアリの、頭巾が乱れて白金色の髪が垂れている頭を、リディアは軽く叩いた。そして訊きたいことを尋ねる。


「ここは、何処なの?」


 リディアの問いに、アリは唇を噛んで下を向いた。どうしたのだろう? アリの態度をリディアが訝るより先に。


「意識が戻ったのか?」


 低い声が、耳を打つ。ほぼ同時に視界に入って来た人影に、リディアははっと飛び起きるなりアリを庇うようにアリと人影の間に立った。途端、全身に痛みが走る。それでも何とか、リディアは傍らのベッドを支えにして足を安定させ、目の前に立ち塞がる大柄な人影をきっと睨んだ。肩で揺れる濃い黄金色の髪、リディアを睨みつける冷たい眼光、そして全身を覆う威圧感。この場所に武器が見当たらないのが口惜しい。剣があれば、こいつの身体を叩き斬ってやるのに。ラウドの仇として。


「元気だな。塔の倉庫で見つけた時には死体と間違えそうになったが」


 リディアの目の前の人物、新しき国の王である獅子王レーヴェは、リディアを一瞥してフンと鼻を鳴らすと、窓辺へと歩を進めた。そして手招きで、リディアを誘う。何の用が、有るのだろうか? 心の中の怒りを押さえ込み、冷静を保つよう心がけながら、リディアは身体を庇うようにゆっくりと一歩を踏み出した。鎧を付けていない獅子王レーヴェが闊歩している所を見ると、この場所は彼の拠点、おそらく新しき国の首都に建つ彼の居城の中、だろう。と、いうことは、古き国の騎士であるリディアもアリも、彼の捕虜ということになる。何故レーヴェは、『熊』騎士団の副団長であるリディアを殺さず、自身の王城内で療養させていたのだろうか? その謎は、レーヴェ王の傍らに辿り着き、窓から外を見ることですぐに解決した。リディアの瞳に映ったのは、殺風景な中庭と、大きな切り石を運ぶ、緋色と黒の服を身に着けた男女。古き国の騎士であった者達だ。リディアにはすぐ、見分けがついた。


「王城の周壁を直させているところだ」


 おそらくまともに食べさせてもらっていないのであろう、ふらふらと重い石を運ぶ元騎士達に胸を突かれるリディアに、獅子王レーヴェの声が残虐に響く。


「だがその作業ももう終盤だ」


「何が、言いたいのです?」


 身体と心の痛みに震えつつ、横に立つ王を睨みつける。獅子王レーヴェはそのリディアの視線を軽く受け流すように口の端を上げた。


「リディア。そなたが私に仕えるのなら、あの者達を解放してやっても良い」


 元々、獅子王レーヴェが古き国を滅ぼす決心をしたのは、『古き国の女王が新しき国を滅ぼす』という世迷い事のような予言を信じたが故。


「だが、古き国の女王も、女王の血を引く者も全て、この手に掛けた」


 リディアの怒りを増幅させる言葉を、レーヴェはいとも簡単に吐いた。


 古き国の女王であることを証明する三種の宝物、王冠、首飾り、剣は未だ見つかってはいないが、時間と人手を掛ければそのうち見つけることができるだろう。とにかく、『女王』となることができる者は、既にこの世に居ないのだ。予言は成就されないとみて良い。だから、現在捕虜となっている古き国の騎士達を解放しても差し障りは無いだろう。王はこともなげにそう言った。


「断ったら、どうされるおつもりですか?」


 できるだけ平静を装って、そう、尋ねる。リディアの問いに、レーヴェはふっと目を細めると、リディアを見詰めたまま言った。


「明日の朝、全員処刑する。勿論、後ろの従者も一緒だ」


 リディアの後ろに立ち、リディアを支えていたアリの腕が震えるのが、分かる。それならば、自分に選択肢は、無い。


「どうする? 私のものになるか?」


 王の言葉に、リディアは浅く息を吐いた。この王は、……諦めていないのだろう。レーヴェはかつて、リディアの前でラウドにも同じことを言った。「私のものになれ」と。それが永遠に叶わなくなったから、リディアで代用しようとしているのだろう。それが何となく、……癪に触る。だから。


「ラウドの、代わりに、ですか」


 半ば無意識に、意地悪な言葉が、口をつく。リディアの言葉に、目の前の王と、背後に居るアリの腕が同時に震えたのが、分かった。


「貴方が、貴方が殺したのに!」


 不意に、アリがリディアの前に出る。


「アリ!」


 とっさにリディアは、アリの腕を掴み後ろへ引いた。目眩がして踏鞴を踏んだが、それでも何とか態勢を立て直す。息を吐いてから顔を上げると、王の顔が怒りに赤く染まっているのが見えた。……言い過ぎたかもしれない。後悔が、胸を噛む。


「分かりました」


 静かに、それだけ口にする。


 怒りを顔に浮かべたまま、それでもレーヴェが頷いたことに、リディアはほっと胸を撫で下ろした。

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