古き国の騎士を憎むもの 2
「あー、やっぱ俺、騎士に向いてないのかなぁ」
副都近郊、街道を外れた森の中の小道に、ユーインの声が響く。
ルージャとライラ、そしてユーインは、レイに命じられて副都周辺の探索に向かっているところであった。
「従者は失格だが、ならず者の始末ならできるだろう」
戦乙女騎士団の詰所を出る前の、怒りと幻滅が入り交じったレイの言葉を思い出し、心が沈む。ルージャも、元々は人里離れた集落に父と伯父伯母と暮らすただの少年だった。小さな畑を耕し、鶏を飼い、集落の周りに広がる深い森で薪や薬草を採取する、ほぼ自給自足の生活。保護者とライラ以外の人間を、レイが団長を務める戦乙女騎士団の見習いになるまで、ルージャは知らなかった。剣や弓の使い方は父や伯父に習ったが、それ以外の技術は、おそらくユーインより足りていない。社会性や世の中の慣習といったものに至っては、未だに戸惑いを感じてしまう。ユーインが騎士や従者として失格なら、自分はどうだろうか。おそらく失格の烙印を押される前にレイの怒りを買うに違いない。
「俺、元はただの農民だしなぁ。アルバは、レイの母親の乳母の孫だっていうから多少は騎士とか貴族社会とかっていうのに慣れてんだろうけどさぁ」
苛立ちと、少しの自虐と諦めを含んだユーインの後ろ姿を、ルージャは黙って見詰めて歩いた。
と。小道から少し離れた木の陰に人影を認め、立ち止まる。悪しきモノか、それとも悪しきモノに取り憑かれた人か。手足を身体の方に引きつけて横たわっているように見える人影が纏う黒さに戦きながら、ルージャは小道から離れ、人影の方へ近付いた。だが。近付くにつれて、人影が纏う黒さが羽織っているマントの色であることが分かり、ほっと胸を撫で下ろす。更に近付くと、マントの下に、どう見ても緋色にしか見えない上着が見えた。マントを留めている椿を模した留め金と、狼を象った留め金、そして血に濡れた左肩を押さえて震える小柄な身体と、同じように震える濃い色の髪。髪の間から見える、左こめかみに走る古い傷が、ルージャの目に映った。この人、は。
「ラウド?」
思い当たる人の名を、呟く。ルージャの声が聞こえたのか、ラウドらしき人影は薄く目蓋を上げ、ぼうっとした灰色の瞳でルージャを見詰めた。間違いない。ラウドだ。おそらく、ラウド自身の時代からルージャ達の時代に『飛んで』しまったのだろう。
古き国の騎士達には、多かれ少なかれ、思いがけない時に自身と繋がりのある人物が居る、過去又は未来の、自身が今居る場所と同じ場所に飛ばされてしまうという、ある意味厄介な『力』が備わっているらしい。その力を封じる術は勿論有るが、何故かラウドにはその術が通じないらしい。そう言って低く笑ったラウドの顔が、ルージャの脳裏を過ぎった。だが、その『飛ぶ』力がラウドに強く備わっているからこそ、ルージャとライラは何度かラウドに助けられている。そのことも、確か。
ルージャが様々なことを思い出している僅かな間に、ラウドが低く呻く。どうやら左肩の他、足にも怪我をしているらしい、黒の脚絆が破れ、色濃く濡れているのが、ルージャの瞳にもはっきりと映った。
「ラウドさん!」
ルージャの後ろにいたライラが、叫んでラウドに駆け寄る。ライラの手から零れる温かな光が、怪我をしたラウドの足を包んだ。しかし、次の瞬間。
「止めろっ!」
ルージャの横から飛び出したユーインが、ライラを乱暴に地面に押し倒す。
「ライラっ!」
ライラに乱暴をしたことに対する怒りと、ラウドを癒やそうとするライラの行動を止めたユーインに対する戸惑いが、ルージャを支配する。無意識のうちに、ルージャは地面に尻餅をついたライラを庇うようにしてユーインに対峙していた。
「何をっ!」
「こいつは」
ユーインが、倒れているラウドに唾を吐く。
「古き国の騎士を騙るならず者だっ! 邪悪な女王を復活させる為に罪無き人々の首を刎ねている!」
そして。ユーインが吐いた言葉は、ルージャの心を悲しみと怒りに突き落とした。
「俺の両親も、こいつらに殺されている。お前達の保護者もこいつらに殺されたのかもしれないんだぞ!」
ユーインの両親は、ユーインが街へお使いに行っている間に行方不明になった。半狂乱になって両親を探したユーインが見つけたのは、暮らしていた村の外れにある林の中の二つの土の山と、その中に埋められていた両親の首を斬られた無残な屍。その後すぐ、ユーインはレイに拾われ、戦乙女騎士団の見習いとなった。
「そんな奴らに情けを掛けてどうする!」
「でもっ!」
ユーインの言葉に何も言えなくなってしまったルージャの代わりに、ライラが常に無い大声を上げる。
「大怪我して苦しんでるのよ。助けなきゃ」
「助けたって、縛り首になるのがオチさ」
古き国の騎士を騙る者は、理由は何であれ絞首刑に処すのが、統一の獅子王レーヴェの時代からの新しき国の掟。そう言って、ユーインはもう一度、ラウドに対して唾を吐いた。
「とにかく、俺達だけじゃこいつを副都まで運べない。レイ様かリール様を呼んでくる」
荒く息を吐くラウドを一瞥して、ユーインがルージャとライラを睨む。
「見張ってろ。逃がしたら、お前達もこいつの仲間だって言うからな」
強い言葉をルージャ達に吐きかけてから副都の方へ走り去るユーインの怒りに満ちた背中を、ルージャは呆然と見詰めていた。
「ルージャ」
そのルージャの腕を、柔らかいものが掴む。ライラの震えが、ルージャの心を落ち着かせた。今は、とにかく。
「大丈夫だよ、ライラ」
そう言ってから、気を失ってしまってぐったりしているラウドの方を向く。
「とにかく、ラウドの怪我の手当てをしよう」
ルージャの言葉に、ライラは濡れた瞳でこくんと頷くと、すぐにラウドの傍に跪き、足の怪我に白い手を当てた。ライラの回復魔法がラウドの足の怪我を癒やしている間に、ラウドの褪せた緋色の上着の釦に手を掛ける。ライラに、男性の服を脱がせるようなことはさせたくない。そう思いながら、ルージャはラウドの上着の釦を半分ほど外し、傷に障らないように左肩部分だけ脱がせた。
「……あ」
見えたものに、はっと息を呑む。ラウドの左肩にあったのは、獅子の横顔に見えるはっきりとした、痣。新しき国の王の血を受け、王位を継承する為の証。ライラが持っているものと同じ、その痣が、何故、古き国の騎士団長であるはずのラウドの左肩にある? 混乱が、ルージャの心を支配した。そのルージャの瞳に、ラウドが薄く目を開ける様が映る。ルージャの視線がどこにあるのかにすぐ気付いたらしく、ラウドは身を捩り、右手で左肩を隠した。
「大丈夫です、ラウドさん」
その行動で痛みが増えたらしく、呻き声を上げるラウドの右手に、ライラの白い手が触れる。ラウドの左肩の傷をライラが回復魔法で癒やしている間、ルージャはずっと、ラウドの傷の下の痣を見詰めていた。そして。治療が終わり、ライラがラウドの肩から手を離した瞬間、ラウドは素早く上半身を起こし、上着に腕を通した。
「あの」
そのラウドに、ライラが意を決したように口を開く。
「その、左肩の痣」
「ああ、これ。生まれた時からあるんだ。厄介な痣さ」
ライラの言葉に、ラウドは例の不敵な笑みを浮かべた。しかしラウドの言葉には、明らかに舌打ちが混じっている。ルージャはそう、感じた。そして。
「あの、……私にもあるんです。その、同じ痣」
意を決したライラの言葉が、耳を打つ。ライラの告白に、ラウドは改めてライラを上から下までじっと見詰め、そしていきなりライラをぎゅっと抱き締めた。
「きゃっ!」
「ラウド!」
戸惑うライラとルージャの声が、木々の間に響く。ラウドについて色々考えていたことが、一瞬にしてルージャの頭から消え去った。
「ごめんごめん」
ルージャとライラの戸惑いにラウド自身も戸惑ったのか、ラウドはすぐにライラを放す。そしてラウドは、どこか照れたような笑みを浮かべた。
「でも、嬉しかったから」
ラウドが発した言葉の響きが、奇妙に思えてならない。ルージャはまじまじとラウドを見詰める他、無かった。
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