憎しみの結論 3
傾きかけた陽に気付き、足を速める。ライラに話すことが、たくさんできた。ルージャの話を、ライラはどう思うだろうか。不安と、何故かわくわくした感情が、ルージャの心を支配していた。
だが。
副都近くで、見知った影を発見する。
「ライラ!」
おそらくレイに命じられたのだろう、街道脇の森の、木々の向こうに、ユーインとアルバ、そしてライラの影が見える。ライラを守るのが、ルージャの使命。ルージャは速歩で木々の間を歩いた。だが。もう少しでライラのところに辿り着くというところで、ライラ達の周りを取り囲んだ影に気付き、ルージャは反射的に木の陰に隠れた。
「お前達、レイのところの見習いだな」
下卑た声が、森を震わせる。第三王子が引き連れていた騎士達だ。上着の短さと、青黒い感じのするマントから、ルージャはそう見当をつけた。
「間抜けなことに、怪我をして動けない古き国の騎士を騙る盗賊を逃がしたっていう」
「なんだとっ」
騎士の侮蔑にユーインが飛び出す。だがしかし、小柄なユーインはすぐに騎士達に地面に叩き伏せられた。ライラを守るアルバの方へ、騎士達がニヤニヤとした顔で躙り寄るのが見える。ルージャは即座に足下の石を複数拾うと、アルバとライラを囲む騎士達の頭を目標にその石を素早く連投した。
「痛っ!」
叫んで頭を抑える騎士達と、ライラの間に、躍り出る。そしてそのまま、ルージャはライラの手を引っ張り、騎士達の間をすり抜けた。だが。
「この」
ルージャの目の前を、鋭い光が薙ぐ。鼻先に突きつけられた剣に、ルージャは動くことができなくなった。
「きゃあっ」
その間に、ライラがルージャから離される。
「ライラ!」
大柄な騎士に羽交い締めにされたライラの方へ、ルージャは周りの刃を忘れて飛び込んだ。自分の命は、無くなっても構わない。ライラを、守り通さねば。複数の痛みが身体を走るのを総無視して、ルージャはライラを掴む騎士の太い腕を強く掴んだ。次の瞬間。
「ルージャ!」
ライラの声が、遠くに響く。左腕と背中に走る痛みの次に感じたのは、足から力が抜ける感覚。ルージャは膝を、そして腕を、冷たい地面に落とした。
「ルージャ!」
その身体に飛び込んできた、ライラの身体が、温かい。倒れ込むように、ルージャはライラの温かさに身を任せた。次の瞬間。
「なっ!」
森を震わせた、驚愕の声に、はっと顔を上げる。ルージャの周りにあった刃が、無くなっている。そして、ルージャの横には、ルージャ自身と、ルージャが常に剣帯で腰に吊り下げていたはずの木剣を抱いたライラが、呆然としか顔を何も無い空間に向けていた。そのライラの、白くなった顔で、全てを察する。ルージャに、ルージャが腰に吊り下げていた木剣に触れた時に、ライラは古き国の女王の力を発動させてしまったのだ。
「に、逃げろっ!」
アルバとユーインを羽交い締めにしていた騎士達が逃げる足音が、遠く響く。とにかく、助かった。ルージャは正直ほっと胸を撫で下ろした。背中に当たる、ライラの回復魔法が、心地良い。しかしアルバとユーインに、ライラのことをどう説明すれば良いのだろうか? アルバは分からないが、ユーインは、古き国のことを毛嫌いしている。何も話さない方が、良い。ルージャがそこまで考えた、丁度その時。
「……アルバ?」
大柄なアルバが、地面に尻餅をついたままのルージャとライラの前に立つ。普段の、茫漠としていながらどこか優しげで強い印象が、今のアルバからは認識できない。どちらかと言えば冷たい印象を受ける、ルージャとライラを見下ろすアルバの視線に、ルージャは戸惑いの声を上げた。次の瞬間。
「アルバ!」
ルージャを押しのけ、ライラを掴もうとしたアルバの太い腕を、どうにか阻止する。黄昏の光の下、アルバの周りが黒い靄で囲まれているのが、ルージャの瞳にもはっきりと、映った。まさか、アルバが、悪しきモノに取り憑かれてしまったのか? 混乱が、ルージャの心を支配する。仲間の首を、刎ねなければならないのか? いや、古き国の騎士の血で、ルージャの血で、悪しきモノを祓うことができる。だから。再びライラの腕を掴もうとしたアルバを遠くへ突き飛ばすと、ルージャはまだ止まっていなかった左腕に流れる血を、アルバの周りに漂う黒い靄に叩き付けた。だが。ルージャの血を被ったにも拘わらず、アルバの周りの靄は、消えない。ルージャの力が足りないのか? それとも、ラウドが言う『悪しきモノに深く魅入られた状態』になってしまったのか? 呆然とするルージャの襟を、アルバの大きな手が掴んで引き寄せる。首を絞められて、息ができない。ルージャの視界が、白くぼやけた。と。
「ルージャ!」
鋭い声と共に、ぼやけた視界に濃い色の髪が入ってくる。
「ラウド」
ルージャがそう呟くより先に、ラウドはルージャからアルバを引き離し、よろめくアルバの首を一閃で刎ねた。頽れたアルバの、胴から吹き出す血が、地面を深く濡らす。動くことが、濡れた地面から目を逸らすことが、できない。地面に尻餅をついたまま、ルージャはただ呆然と、近くの草で剣に付いた血を拭ったラウドが剣を鞘に収める様を見詰めていた。
「ごめん、ルージャ」
静かなラウドの声が、ルージャの耳に響く。
「深く魅入られていたから、首を刎ねる他無かった」
ラウドの言葉に、ルージャは首を横に振った。アルバに取り憑いた悪しきモノは、ルージャの血でも祓うことができなかった。そして。ラウドが居なかったら、ルージャの命は無かった。ここに飛んでくる前も、誰かと戦っていたのであろう、服のあちこちが小さく破れている、青白い顔をしたラウドを見上げ、ルージャは今度は大きく首を縦に振った。
と。
「この野郎!」
それまでへたり込んでいたユーインが、ラウドの背中に飛び込む。
「ユーイン!」
ルージャが叫ぶ目の前で、僅かに身を捻ったラウドの脇腹を、ユーインの短刀が切り裂いた。
「ラウド!」
体勢を崩して膝をつくラウドに、飛び起きて駆け寄る。そのルージャに、ユーインは血の付いた短刀を向ける。次の瞬間、ルージャ達から少し離れた場所で青白い顔をしたライラの方へ、ユーインは短刀と共に飛びかかった。
「ライラ!」
間に合わない! 思わず、目を瞑る。
「ラウドさん!」
しかしライラの叫び声に、ルージャははっと目を開き、見えたユーインの背中へ飛びかかった。ライラを庇うラウドから、ユーインを引き離す。左胸を押さえて地面に頽れるラウドに、ルージャの意識は一瞬真っ白になった。
「ラウド!」
ユーインから腕を離し、俯せに倒れるラウドを助け起こす。呻き声一つ立てないラウドの胸は、流れ出る血で濃く濡れていた。
「ライラ、回復お願い!」
顔を上げて、叫ぶ。しかし。ラウドの向こうに、居るはずの姿が、無い。ライラは、どこへ? 辺りを急いで見回しても、ライラの姿は何処にも無かった。重傷を負ったラウドに、ライラの消失。混乱で、身動きができない。おそらく、ラウドを捕らえる為にリールかレイを呼びに行くつもりなのだろう、ユーインがルージャから離れる足音を、ルージャは呆然と聞いていた。
と。吹く風の向きが、急に変わる。
「ラウド様!」
甲高い声と共に、ルージャの身体は地面に突き飛ばされた。
「急に、消えたと思ったら、こんな、酷い、怪我っ!」
仰向けに倒れたラウドの胸の傷に、黒い頭巾で髪を隠した少年が白い手を当てるのが見える。この少年は、何処かで見たことがある。そして、少年の手から発生する光は、どんなに酷い傷でもたちどころに回復させるライラの魔法と同じだ。混乱する頭の隅で、ルージャはそんなことを考えた。その時。
「ラウドさん!」
ルージャの横に、ライラの気配が現れる。ライラがラウドの傍に跪き、脇腹の傷に白い手を当てる様子が、驚くルージャの視界に映った。そのライラの傍に立ち、ライラの気配を全身で確かめる。確かに、ライラは、ルージャの傍に居る。安堵からか、足から力が抜け、ルージャはライラの横にへたり込んだ。
「あなたたちは?」
不審を含んだ声に、顔を上げる。黒い頭巾で髪を隠した少年の赤い瞳が、ルージャの目の前にあった。この少年は、確か、ラウドの従者だった。
「も、もしかして、新しき国の……」
「大丈夫だよ、アリ」
震えながら腰の短刀に手を掛けた少年の肩を、目を覚ましたラウドの小さな手が掴む。
「彼らは、未来の、古き国の若き騎士達だから」
小さいが良く響くラウドの言葉に、少年の目からぽろぽろと涙が零れ落ちた。
「大丈夫だから」
ラウドの胸の上に突っ伏して泣きじゃくるアリという名の少年の頭を、ラウドの小さな手がそっと撫でる。少年の頭巾がずり落ち、ライラと同じ色の髪が、ラウドの胸に広がった。アリの髪の色も、目の色も、そして使うことのできる治癒の魔法も、ライラに似ている。そして、少しだけ顔を上げたアリの胸が僅かに膨らんでいることに気付き、ルージャは顔が熱くなるのを感じた。アリは、レイと同じ男装の騎士。そしてアリを慕わしげに見詰めるラウドの表情から、ラウドがアリに対し、ルージャがライラに持っているのと同じ感情を持っていることに、ルージャは気付いた。と、すると。ルージャと同じようにラウドとアリを見詰めるライラの赤くなった横顔を、見詰める。ライラはおそらく、アリと、ラウドの子孫なのだろう。ラウドが瀕死の重傷を負った時にライラが消えた理由も、これで説明が付く。ラウドの大怪我で、ライラが産まれるという未来が変わりかけた。だからライラは消え、ラウドが怪我から回復したから再び現れた。しかしラウドがあのまま、命を落としてしまっていたら? 不意に湧き上がってきた恐ろしい考えに、ルージャは我知らず全身が震えるのを感じていた。
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