恩人を救うために 2

「……この辺りか?」


 どのくらい、緩い上り坂のように思える地下通路を歩いただろうか。地下らしい湿っぽさが少しだけ薄れた辺りで、ラウドがリヒトに問う。リヒトは背負った小さい頭陀袋から再びあの地図が書かれた羊皮紙を取り出すと、カンテラの明かりで確かめて小声で言った。


「もう少し、向こう」


 頭陀袋の中の、古き国の女王を示す印の一つである王冠が、カンテラの光を反射して鈍く光る。腰に差してある、もう一つの女王の印である木剣を、ルージャは手で触って確かめた。ちゃんと、腰の定位置にある。古き国の女王の証である三つの宝物の最後の一つ、赤い石が嵌め込まれた首飾りは、ライラが襟付きのローブの下に隠して身に着けている。


「あ、あった」


 ルージャの五歩ほど前の、荒削りの空間を調べていたラウドが、不意に声を上げる。マントを留めていた椿を模した留め金を外したラウドが、天井近くの凹みにその留め金を差し込むと、天井の一部が、音も無く動いた。この天井が、副都の太守の館にある地下牢の床になっていると、図書室でリヒトから説明を受けた。天井を少しだけずらしたラウドが、その隙間から外を覗き込む。ラウドと同じように荒削りの壁に足をかけてラウドの横に立つと、ルージャも隙間から地下牢の様子を覗き込んだ。


 目が慣れると、明かり一つ無い地下牢の隅に、暗闇とは違う小さな薄黒い影が見えてくる。微かに白い、広い肩には、見覚えがある。左肩にある、獅子の痣にも。


「レイ!」


 叫ぶ前に、ルージャは片手で自分の口を閉じた。


 冷たそうな地下牢の石床に、上半身裸のレイが横たわっているのが見えてくる。どうやら誰かに酷く鞭打たれたらしい、冷たい空間に剥き出しにされたレイの背中は、無数の赤黒い線で汚れていた。


「レイさん!」


 いつの間にか、ルージャと同じ方法で横に立っていたライラが、声を上げる。そのライラの口を、ラウドの小さい手が塞いだ。


「ごめんなさい」


 ライラの謝る声が、切なく耳に響く。しかしレイにはライラの声は届かなかったらしい。レイの身体は身動き一つしなかった。


「まずは、レイの傷を癒やすのが先か」


 そう言いながら、ラウドが隙間に手を掛け、身体を隙間の方へ持ち上げる。しかしすぐに、ラウドは隙間から身体を引っ込めた。


「誰か来る」


 ラウドがカンテラを吹き消すと同時に、別の明かりが、蝶番がきしむ音と共に地下牢に現れる。大きめのカンテラを手に現れたのは、金の髪を小さく靡かせた大柄な人物。その人物の名前を、ルージャはすぐに思い出した。リールだ。


「レイ。大丈夫か」


 意外に優しく、リールがレイの上半身を抱き起こすのが見える。リールの言葉に、レイが呻くような声を発した。


「聞きたいことがあるんだ、レイ」


 体力が無くなってしまっているのか、項垂れてリールの胸に頭を乗せるレイに、リールが静かに尋ねる。


「ジェイリの言う通り、君は本当に、新しき国を裏切ったのか? 古き国に肩入れして、古き国に繋がっている見習いを自分の騎士団に入れたのか?」


「私は、古き国に肩入れした覚えは無い」


 リールの問いに、レイは顔を上げ、リールの顔を睨んで答えた。


「私はただ、親を無残に殺されて途方に暮れていたルージャとライラを助けただけだ」


「レイ、さん」


 呟いたライラの、震える唇を、ラウドが人差し指で塞ぐのが見える。レイの答えは、ルージャの胸を確実に抉っていた。この人を、助けなければ。しかし、リールがレイの傍に居る今の状態では、何もできない。思わずラウドの方を見る。ラウドはルージャに向かって首を横に振って見せた。ラウドの判断も、今は動くな、だ。ルージャはぎゅっと唇を噛みしめると、再びリールとレイの方へ目を凝らした。


「そうだよな」


 不意にリールが、大きな笑みを浮かべる。ポケットから取り出した小さなものを、リールはレイの右手に握らせた。


「この留め金だって、副都の裏の古戦場でたまたま見つけただけだもんな」


 レイの右手の留め金が、リールが床に置いたカンテラの明かりできらりと光る。その留め金には見覚えがある。レイの執務室で、ルージャがひっくり返した小さな箱の中に入っていた。


「あれは」


 今度はラウドが、自分で自分の口を押さえる。そのラウドのマントを裏から留めている、狼の騎士団長の証である金色の留め金に、レイの手の中にある留め金は似ていた。


 小さい頃、歴史を一緒に習っていた時に、朽ち果てるまで柱に縛り付けられて晒された古き国の騎士団長の話にもの悲しさを覚え、リールとレイは二人で、副都裏の古戦場へ向かった。骨などが落ちていれば、きちんと埋めてあげるつもりで。だが風雨にさらされた古戦場には昔の戦闘の激しさを示すものは何も無かった。見つけたのは、血が黒く染みついた、狼を象った小さな留め金だけ。


「昔の遺物を大切にしていただけで、敵である古き国に通じていたなどと言いがかりをつけるとは、ジェイリもバカなことをする」


 吐き捨てるようなリールの言葉が、狭い地下牢に響いた。


 レイを見詰めているリールの顔が、徐にレイの方へと向かう。レイとリールの唇が重なる光景に、ルージャはギリギリで叫ぶのを堪えた。次の瞬間。ルージャの横にいたはずのラウドが一瞬で隙間から飛び出し、レイとリールの間に割って入る。突然の乱入者に目を丸くしたリールは、しかしすぐにラウドの手刀を首に受けて石畳に伸びた。


「ラウド!」


 驚きつつ、ルージャも隙間から地下牢へ身体を出す。俯せに倒れているリールの背から、黒い靄がレイの方へ伸びているのが、カンテラの明かりだけでもはっきりと見えた。


「これ、は……」


 倒れているリールを見、そしてラウドを見たレイの唇が震えているのが分かる。レイが持っている、危惧も。悪しきモノに、リールが取り憑かれてしまっている。悪しきモノに魅入られたものは、首を刎ねるのが定め。リールの背中の靄を一瞥したラウドが、静かに腰の剣を抜く。


「や、止めて」


 今まで聞いたことの無い、レイの弱々しい声が、ルージャの耳に響いた。


 ルージャの予想通り、ラウドの剣はラウドの左腕を切り裂く。いつもの呪文を唱え終えると、ラウドは左手まで流れ出た自分の血を、黒い靄へと振りかけた。たちまちにして、靄は四散して見えなくなる。


「全く、無粋なんだから」


 せめて恋人達が愛を語り終えてからリールを気絶させれば良かったのに。息を弾ませながら隙間から身体を上げたリヒトの言葉に、ルージャは思わず微笑んだ。


「それでは、レイに悪しきモノが乗り移ってしまう」


 一方、ラウドの言葉は無粋なまま。


「とにかく、レイを外へ運ぼう」


 リヒトの後に続くライラに手を貸すルージャの横で、ラウドは小柄な身体に似合わぬ力で大柄なレイを肩に担ぎ上げた。その時。


「リールは? ……殺したのか?」


 弱々しいレイの声が、空間に響く。


「いや」


 そのレイの声に短く答えると、ラウドは危険が無いかどうか確かめる為に一瞬だけ耳を欹て、そして静かに地下牢の扉を開けた。

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