歪みの時計
冒険者ギルドで登録を済ませ、晴れてFランク冒険者としての身分を手に入れ、クエスト『野ブタ狩り』を受注した。
狙うのは俺が眠っていた森で一度見かけたことのある野ブタだ。
あの時は豚がなんで森にと思ったものだが珍しい話でもないようだ。
異世界だと野ブタこそが庶民にとって肉のオーソドックスらしい。
数時間かけて森まで戻ってきた。
宿屋の汚らしいエルフのもとにはパンを置いてきたし、宿屋の娘ジュパンヌに部屋に鍵をかけ誰も入れさせず、出させないように頼んでおいた。
「アルバスさん、あんなボロボロな子を助けてあげるなんて……私、感動しました……!」と、嫌な勘違いをされてしまったのは損失だが、まあ、許容範囲としておこう。
あとで誤解は解けばいいのだから。
俺はポケットより懐中時計を取りだす。
金色のチェーンが付いた黄金の懐中時計だ。
錆が浮いている年季の入った品だが、手入れはされている。
これの前の持ち主は前世を思い出す前の俺だ。
この懐中時計の名はたしか『
この時計は魔法使いの制約である。
厳密に言えば魔法使いの制約というより”魔法使いの制約を計測する”魔法の道具だ。
この時計は0時または12時よりスタートし、魔法を1回使うごとに1時間針が進む。
一周まわったら──つまり、12回魔法を使い、12時間経過したら”終わり”。
魔法法則とはいわば、世界の法則を歪めることを意味する。
歪みは度を過ぎれば修正される。
修正とはすなわち魔法使いの存在が世界から抹消されるということだ。
『歪みの時計』の長針は1日経過することで1時間巻き戻る。
そのほか細かい制約と約定があった気がするが、詳しい事は思い出せない。
いまは時計は8時を示している。
つまり8回”歪みの負債”が溜まっている。
あと4回魔法を使ったら俺は消される。世界に。
「節約するか」
俺は森を探索し、2時間ほど経って、野生動物の山盛りのフンを見つけた。
こんなデカいうんこを安心してするということは、かなり肝の座った奴が近くいるということだ。
異世界転生1カ月の新米だが、20余年の記憶と経験値は俺の身体に蓄積されている。
俺は長い眠りにつく前に、世界を旅しており、その過程でかなりサバイバルに長けた技能を身に着けていたようなのだ。
ゆえに俺は直観で動く。
あった、デカい足跡を発見だ。
「あっちか」
俺は足跡を追いかけ、その先で見つけた。
見上げるほどの高さの化け豚を。
嘘だろ。全長4mくらいないか?
「思ったよりデカいな……」
俺は懐をまさぐり、ちいさな短剣をとりだす。
「……。よし」
俺は短剣をそっとしまい、咳払いをひとつ、魔法を発動する。
使うのは『銀霜の魔法』。
胸の前で手を叩き合わせ、次に右手で地面を思いきり叩いた。
地面から氷柱が数十本一気に飛びだし、化け豚を串刺しにすると、一瞬で周囲数メートルもろとも凍結を完了した。
これもエルフのため。
卑怯とは言うまいな。
その夜、ギルドへ帰還した。
1日で森とグランホーの終地を往復できるのはありがたいことだ。
俺は登山用リュックサックみたいな馬鹿ほどデカいバックに瞬間冷凍された肉を詰めるだけ詰めて──約40kg。これ以上は体力的に持って帰ってこれなかった──クエストの完了を報告した。
「はーい、次の方どうぞ~……って、ひえ!? 朝の、殺人鬼の人?!」
なんだその覚え方は。
今朝方、俺の登録をしてくれた受付嬢はおびえた表情で「命だけは……!」と懇願してくる。
「野ブタの頭だと大きすぎたんで、ひづめだけ持って帰ってきました。ひづめでも討伐の証として使えるんですよね」
「……へ? あ、ぁぁ、もしかして、今朝のクエストの報告ですか……?」
「はい、そうですよ。これ」
「もしかして人間の頭を取り出す気じゃ……?」
どんな嫌がらせだ。
「あれれ? これはなんですか?」
「野ブタのひづめです」
「……いや、デカすぎなのですが……え? 大きすぎて頭を持ち帰れなかった? お肉の納品は……うわ、すご、これどういう状態なんですか……?」
「魔法の道具で凍らせました」
嘘をつくのには理由がある。
失われた記憶が囁いてくるのだ。
魔法を使えることを公に知られてはいけない、と。
それは人間がゴキブリを恐がるのと同じような感覚で、必然の反応のように俺の中に刷り込まれている行動規範だ。
以前の俺がなんで魔法使い族であることを知られるのを嫌がっていたのか、なんとなくは覚えている。
魔法使いの族の力はすでに100年の前に失われているのだ。
魔法使い族の絶滅によって。
ゆえにこそ、俺の力は貴重なもの。
味方になれば最大の貢献をし、敵になれば最悪の損失をもたらす。
権力者は俺を支配下に置くか、殺したがる。
それを嫌ったのだと……そう思っている。
「はい、確かに野ブタ肉20kgの納品を確認しました。しかし、すごい手腕ですね……このひづめのサイズ、きっと森のヌシクラスの野ブタですよ」
「運がよかったんですよ。それじゃあこれで」
はやく帰らなければ。
パンをちいさく千切ってスープに浸して食べさせてあげるよう、ジュパンヌに指示はしてあるが、もしかしたら忘れているかもしれない。
今頃、あのエルフはお腹を空かせているかもしれない。
そう考えると気が気でなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます