アルウの思い
あの恐ろしき貴族の元で忌むべき日々を送る中で、アルウは自分の命の意味を問うようになった。
なんのために産まれて来たのだろう。苦しむために産まれたのなら、そんな命は壊してしまえばいい。死んでしまえばいい。
だけど自分の手で破壊するのはおそろしい。
死ぬときくらいは苦しまずに死にたい。恐さを忘れたい。
絶望に光が差し込み、魔法使いがアルウを助けたあとも、この漠然とした命への疑問が尽きることはなかった。
深い叡智を持ち、温かい慈悲を知り、なんでも出来る偉大なる魔法使いアルバス・アーキントンは、アルウに多くのものを与え、多くの幸せをもたらした。
しかして、アルウのほうは何一つとして恩返しが出来ていない。少なくとも彼女はそう思った。
自分はどこまでいってもアルバス・アーキントンにとって庇護される対象であり、その逆はありえない。輪廻がぐちゃぐちゃに絡まって、天と地がべっこう飴のように甘くとろけてまじりあおうともアルウがアルバスを助けることはありえない。ただの可哀想な奴隷のエルフが、偉大な魔法使いを守ることはない。決して。
チャームを作ってみたし、お料理だってつくってみた。
でも、納得できる結果はもたらされない。
剣を習おうとしたのは、アルバスの旅に同行し鋼で彼の役に立とうと思ったから。
未熟な自分だけど、練習すればきっと立派な剣士になって見せる。そう思った。サクラやクレドリスのような女だてらに凄まじい実力を誇る剣士の姿がアルウに勇気をもたらしたのだ。
しかし、アルバスは「ダメ」と言う。
アルウにはいつまでも「可哀想なエルフ」でいて欲しいと言う。
もちろん彼はそういうつもりで言っているわけではないのだが、自立と貢献をしたいと願うアルウにとって、挑戦をさせてくれないアルバスの言葉は、アルバスが彼女になにも期待していないことを暗示しているように思えたのだ。
大きく恐ろしい騎士がアルウの力を必要だと言った。
アルウは選ばれし者で、英雄になれるほどの器だと言われた。
それを聞いてアルウは嬉しかった。
ついに自分の命の意味を見出したのだ。
しかし、アルバスはそれを快く捉えなかった、
アルバスはまるで喜ばず、そんなものはアルウのためにならないと頭ごなしに否定する。しまいには喧嘩になって、大きく恐ろしい騎士は剣を抜くではないか。
アルバスはその驚異的な実力で大きく恐ろしい騎士『北風の剣者』ウィンダールを打倒し、いまトドメを刺そうとしていた。
アルウは必死にアルバスを止めた。
なにもわかってくれないアルバス。
偉大な力を持っていて、優しい心をもってはいるが、その実えらく臆病だ。
「わたしは産まれた意味を知りたい……この命を無意味に終わらせたくない……」
アルウとアルバスは宿屋の奥の客室でふたりきりで話していた。
「あいつらはお前の力が欲しくてたかってるんだ。お前がどんだけ酷い目に遭おうが助けなかったのに、どうしてお前はあいつらを助けてやる必要がある」
「わたしを苦しめたのはあの恐い貴族だよ、国じゃない……アルバス……わたしは……憎しみをいつまでも抱えていたくなんかない……その憎しみを関係のない王国の全土へ差し向けることもないよ……?」
アルバスは目を細め、閉じ、両手で頭を抱えた。
「アルバス、わたしは役に立ちたい……その昔、魔法使い族は世界を救った……わたしもアルバスみたいになりたい」
「…………」
翡翠の真摯な眼差しがアルバスを見つめる。
アルバスは間違いを認めれない頑固者のように腕を組み、アルウとは視線を合わせず、そのおでこあたりを見つめて口を開いた。
「…………いまのままじゃ、なんの技能もないただの奴隷エルフだ。剣を持たせてモンスターの前へ放り出したところで、惨めに食われるだけだろうな」
「それは……これから強くなって、たぶん強くなれるから」
「お前みたいな細くて、ちいさいエルフがか? 無理だ。無理だ。とてもじゃないが、すぐに死にそうだ。大事な成長期に十分に栄養を取れなかったからお前はこの先のちいさいままだ。俺は知ってる。お前みたいなやつはごまんといた」
アルウはうつむく。
アルバスの確信めいた言いぐさは確かに納得できるところがある。
どうして自分のような奴隷あがりが英雄の器などと判断されたのか。
予言者とやらはなにを考えているのか。冷静になるほどに恥ずかしくなってくる。
いまもあの騎士たちは自分をからかい「あいつ本気で自分が英雄の器だと思ってるのか?笑」と、腹を抱えてゲラゲラと笑っているではなかろうか。そうとさえ思う。
「ごめん、なさい……」
否定され、考え直したアルウはちいさく言葉を搾りだす。
が、それを遮るのは他ならぬ最大の否定者アルバスであった。
「だから俺が同行する。俺の奴隷は選ばれし英雄の器だ。常々言って来た。お前は天才だ。俺はその才能に気が付いていた。あんなどこの馬の骨ともわからないクソカス騎士どもに世界最高の天才を預けることなどできない」
言ってアルバスは腰をあげ、部屋を出て行こうとする。
アルウは目を白黒させ、ぽかんっとする。
もしかして……と口を開く。
「アルバス、わたしがどこかに行くのが嫌だから……」
「あんまり自惚れたことを抜かすエルフだ。貴様は奴隷の分際で調子に乗っているな。お前のような悪い奴隷エルフは……死ぬまで平和で平穏なあったかおふとぅん地獄を送ってしまえ」
「おふとぅん恐い」
「よろしい。さあなにをしている、すぐに腰をあげ旅の支度をしろ。お前は英雄の器から本物の英雄になる。そうすれば奴隷としての商品価値は飛躍的に増し、もはやお前を売り払った時の値段は子孫三代まで遊んで暮らせるほどの物になるはずなんだ。はは、もちろん、すべての富は俺一人で使い倒すがな。1シルクとてほかの奴に使わせるつもりはない」
「アルバスはなんて冷酷……拝金主義者!」
「よろしい」
アルバスは愉快そうに邪悪なる計略に思いを馳せ、高笑いして階段を部屋を出て行ってしまった。
アルウは遠ざかる笑い声に思わず涙をこぼした。それは温かい雫であった。
自分はなにかをなせるかもしれない。
暗く、冷たい、床のうえで、虫に集られ、腐り死にゆく運命だった。
何の意味もない命だと絶望した。
しかしもう違う。自分の命は確かな使命を帯びたのだ。
遥かなる賢者との出会いは、自分をいい方向へ連れて行ってくれる。
いましが流した温かい涙は、そのおおいなる優しさへの無言の感謝なのだ。
言葉は口にしない。ありがとうと言ってはいけない。なぜなら、彼は口に出してしまえばきっとすぐに悪態をつくだろうから。
「……ありがとう、アルバス」
だから十分に彼の足音が遠ざかったのを聞いたあとで、少女はつぶやくのだ。
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