暗黒の羊 3 『俺だけが魔法使い族の異世界2 遺された予言と魔法使いの弟子』


 ウィンダールたちと別れたのち、俺はアルウを迎えにいった。

 この街には茶菓子屋があると聞き及んだので、彼女を連れて行ってやることにした。


「アルバス、これすごく美味しい」


 アルウは足の届かない椅子に座し、振り子のように両足をパタパタさせて絶賛する。


「甘い、べっこー飴みたい」


 甘味の比喩対象がべっこー飴しかないことを嘆くべきだろうか。


「でも、べっこー飴のほうが好き。すごく甘くて、ずっと甘かったから」


 異世界におけるべっこー飴の強キャラ感は異常。


「ゲーチルの作ってくれたべっこー飴はおいしかったな」


 俺はクッキーをぱくつきながら言う。うむ、まあ美味い。

 二度目の人生がはじまってからなかなか味わえていない甘味だ。

 甘さ自体はおそらく大したことはないのだろうが、普段から甘さに飢えている分、ちょっとした甘味でもすごく美味しく感じる。


 グランホーにはこんなおしゃれな店はなかった。バスコに近づくにつれ、豊かな村、豊かな街が増えていくのは気のせいではない。ひとつ前の村からは、質素ながら教会があった。そして今回はお菓子屋。お菓子は必需品ではない。つまりこの街には嗜好品を楽しむ余裕があるということ。


 白神樹の祝福やら奇跡はあながち間違いではないのかもしれないな。


「アルバス」


 アルウが足をぶらぶらさせながら見上げてくる。


「アルバスはすごく優しいから、きっとわたしのために近くにいてくれてるんだよね」


 彼女は申し訳なさそうに目を伏せ、そんなことを口走った。




 ───────────




 めぇめぇと不吉な鳴き声が聞こえたのち、ウィンダール率いる白神樹の騎士らは、冒険者と領主の兵を集め、城壁を守るために風のニンギルの最も外側へと駆けていた。


 ある程度は数もいるのだろうと想像していた。だから、最初は動揺することはなかった。


 平原を埋めつくす黒い羊の群れ。悪夢のような軍勢があらわれてからだ。

 唯一の幸運は、手で耳を塞いでも聞こえてくる「めぇめぇ」という鳴き声のおかげで、すでに戦闘区域の住民は城壁の内側へと避難を完了していることだ。


 人々がいなくなった街に黒い羊たちが到達した。平原を走破する勢いはさほど脅威ではないが、恐るべきはその暴力性だ。羊たちはまるでこの地に生きるすべての生物と、すべての建物を破壊しつくさん勢いであった。風のニンギルの最も外側にある家屋にたどり着くなり、外壁に頭を押し付けていき、そのまま数十匹の馬力、否、羊力でもって圧壊させてしまった。


 ウィンダールは城壁うえからその様を観察していた。風に乗る匂いに鼻をひくひくさせる。


(死の香り……こいつら見た目通り邪悪なちからに由来する怪物のようであるな)


 魔羊たちが城壁にせまってくる。城壁外の家屋はほぼ壊滅した。

 城壁上から領主の兵らが弓矢を浴びせる。設置されたバリスタも放たれた。

 それらは十分に効果を発揮し、大量の魔羊たちを死に至らしめた。


 だが、群れのすべてを倒しきることは到底叶わず。

あっという間に城壁の正面門に到達され、羊たちのスクラムによって扉を突き破られてしまう。


「ここを絶対に通すな‼ いくぞ‼」


 ウィンダールたちは城門内部の幅狭な一本道にて無数の羊たちを喰いとめた。

 白神樹の騎士たちは精強だ。羊ごときに遅れをとることはない。

 そう思っていた時期が彼らにもあった。

 なぜ『風竜の峰』率いる冒険者たちが破れて、ボコボコにされたのか。

 剣で叩いてみて、羊の頭突きを喰らってみて理解させられた。

 魔羊は硬く、その突進は人間をたやすくぶっ飛ばすほどの威力をもっていたのだ。


「こいつらの羊毛、まるで鋼のようだ‼」

「斬れない‼ 斬れない‼ ならば刺せ、刺せ‼」


 白神樹の騎士たちは近づくのは危険と判断し、ごく初歩的な奇跡の技をつかうことにした。


「『白光で以って傷をつける』……‼」


 数枚の光の硝子片をつくりだし、それを飛ばして、魔羊たちを喰いとめる。

 聖騎士たる白神樹の精鋭たちの奇跡は、不浄な魔羊たちにとても効果的だった。


「めぇぇえええ‼」


 ただし、光の結晶で同胞を失った羊たちは、逆上し、怒りに狂い、より勢いを増した。

 その結果、迎撃隊の負傷者もまた爆発的に増えた。互いに犠牲を重ねる血みどろの争いだ。


「羊ども、少し生き急ぎすぎであるぞ」


 ほかの者が致命傷を受けるなか、ウィンダールは膂力でもって羊を押しかえし、大剣の一太刀ごとに邪悪な怪物たちを屠っていく。まさしく英雄のごとき戦いだ。

 羊たちは屍を踏み越えて、どんどん押し寄せた。

 ウィンダールは足の踏み場がなくなりつつあることに焦りを覚える。


(勢いを止められない。この怪物たちは死を恐れていない。否、死そのものか?)


 城門内部の通路は縦に20メートルの長さがある。たとえ扉を突破されても、横に狭い通路で敵の攻撃してくる箇所を限定し、迎撃できるようになっている。しかし、羊たちの猛攻はたやすく20メートルの距離を踏破した。人間のか弱い抵抗などもろともせず、城門のなかへ入ってきてしまった。まさしく破竹の勢い。ウィンダールひとりでは群れを押し戻すことはできない。


 皆がもうダメだ、風のニンギルはおしまいだ、そんな絶望に沈みそうになった時、一陣の氷雪の突風がみんなの頬を撫で、羊たちの群れを空高く打ちあげた。

 冷たき風を操るのは一振りの大剣。銘はシュイタルミニスタという。


「諦めるな、皆の者」


 ウィンダールは大剣を大きくふりまわし、まわりの騎士や冒険者を後方へふっとばしながら、前からせまってくる羊たちを押しかえすように氷雪の嵐をコントロールする。羊たちの突撃の第一波を完全に挫くと、今度は広範囲へ散らばっていた風をかき集め、シュタイルミニスタに纏わせた。


 霊峰の凍てつく吹雪は、一点に集まったことで本来の力、風と氷の威力を遺憾なく発揮する。


「北風よ、穿て」


 束ねた凍てつく風は、勢いよく突き出された大剣により、行き先をいましがた突破された城門通路へ定めた。巨大な裂槍となった吹雪の奇跡による一撃は、魔羊たちを砕き、凍らせ、破砕し、肉片と変え、刻み、潰し、狭い城門通路もろとも凍結させてしまった。


「す、すごい……奇跡だ、奇跡の技だ」

「これが北風の剣ウィンダール……王子の懐刃か!」


 風が止んだ。シュタイルミニスタが大地に突き立てられる。

 ウィンダールは手を横へビッとふりはらい大声で指示をだす。


「長くは保てない、第二城壁まで撤退だ‼」


 羊たちの猛攻で負傷した冒険者らを、ほかの冒険者が運ぶ。城壁のうえにいた兵士たちは、城壁上を駆け、急いで次なる防衛地点にさがっていく。


(領主がギルドに依頼をだし、冒険者たちが動いているが……風のニンギルで腕利きとされているパーティはすでに負傷し、この戦場には参戦できていない。いまいるのは二軍以下。加えて魔羊たちのちからは想像以上だった。我々の奇跡は有効ではあるが……状況はかなり悪いな)


 退却する皆のため、ウィンダールは殿としてゆったり退却する。シュタイルミニスタを見やる。蒼い宝石の輝きが弱まっていた。


(シュタイルミニスタの光が減退している……あと1回の使用で限界を迎えるか)


 ズドン‼ 轟音が響きわたる。退却する冒険者も騎士も城壁上の兵士たちもみなが視線をそっちへやった。凍りついた城門通路が割れていた。氷にヒビが走り、大地にまで亀裂が伸びていく。


 魔羊たちが宙を舞った。キラキラと輝く氷の粒とともに、ひと際大きな──それはそれは大きな黒い羊が現れた。最も邪悪な姿をしていた。普通の羊より、二回り、三回りも大きいそいつは、赤黒い瞳をしていて、ねじ曲がった黒角をもっていた。最大の特徴は首が四つもあることだろう。


 人間と同じすり潰すための平らな歯を生え揃えた口はひん剥かれ、怒りに食いしばられているようにみえる。それぞれの首が、その赤い瞳でウィンダールを捉えた。


「グロォォォ、ォォ、オマエ、カ、ワガコラ、ズイブン、コロシテ、クレタナ……」

「喋るだと? ふん、では問う。怪物よ、なぜそんなに怒れる。なぜ街を襲う」

「グ、ロ、ロォォ、ォォォ、グ、ロッ、ロッロッ」


 巨大魔羊は笑っていた。嘲笑っていた。質問への返答はなかった。

 蹄で石畳みを割りながら、突進してくる。まわりの小さな魔羊も猛攻を再開した。


(こちらの意図には付き合わないということか、知性が高い)


 ウィンダールは巨大魔羊と羊たちの群れを喰いとめた。

 それは十分な時間であり、しかし、長すぎた。偉大な英雄でさえ追い詰められるほどに。


 ウィンダールは肩で息をし、傷の増えたシュタイルミニスタを地面についた。

 美しい鎧は凹み、ゆがみ、赤い血で汚れている。流れる金髪は崩れ、前髪の毛束はしおれたように垂れ、その隙間から射貫くような片瞳の蒼い視線が、巨大魔羊を睨みつける。


「グロ、ロロ、ナモシラヌ、キシ、ヨ。サイゴニ、ナノルガヨイ」

「…………怪物にも、名乗りの礼節があるというのか?」

「グロロォ、ツワモノダ、ココデ、コロセテヨカッタ。ナマエ、クライ、オボエテ、ヤル」


(ここで殺せてよかった? こいつらにはこの先の目的があるとでも? なんなのだ、この異様な怪物は、何を目的にしているというのだ?)


「サア、ナノレ」

「……いや、私の名を覚える必要はないだろう。怪物よ、お前はここで死ぬのだ」

「……ツマラヌ、キョエイダ。デハ、シヌガヨイ、ナモシラヌ、キシ」


 巨大魔羊は前脚をふりあげ、硬くおおきな蹄でウィンダールを潰した。

 このおおきな凶器に踏みつぶされれば、圧殺は免れない。

そうであるはずなのに、蹄がふりおろされたあとも、ウィンダールの心臓は動いていた。


 ウィンダールは死の間際までさして焦ってはいなかった。

 この1カ月のあいだに様々な村で厄介ごとを解決してきた。


 決まって彼はこういう風に言うのだ。「この俺がどうして働かなければならない」「お前たちで勝手に解決しろ」「俺は絶対に手を貸さない」「くだらない。どうでもいい」「村人が困ってようと俺はなにも感じない」「絶対に、絶対に、手助けなんかしないぞ」────と。


 ウィンダール隊のほとんどは、まだ彼のことを正確に推し量れてはいない。


 しかし、多くの騎士をたばね、それぞれに寄り添い、個々人のパーソナリティを把握し管理する──そういう風に普段から他人のことを分析・観察する能力を培っている指揮官たるウィンダールには、彼のパーソナリティもだいたい掴めてきていた。

あの男が「絶対に手助けしない」という発言を有言実行した試しはないのである。


「あぁ、来てくれると思っていたよ、貴公」


 巨大魔羊の蹄が大地を潰して、深く地面に埋まっている……そのすぐ横、不機嫌な顔をしているアルバス・アーキントンへ、ウィンダールは尻もちをつきながら苦笑いをむけた。

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