暗黒の羊 2 『俺だけが魔法使い族の異世界2 遺された予言と魔法使いの弟子』

 

 ウィンダールがもらってきた面倒ごとは、モンスター討伐に関するものだった。

 なんでも風のニンギルはただいま絶賛危機に直面しているところなのだとか。


「これは1年越しの依頼なのだよ、貴公。ずいぶん依頼主を待たせてしまっている」

「1年? ずいぶん気が長いやつがいたもんだな」


 ことの発端は最初に風のニンギルを訪れた時のことだという。

 ウィンダールたちがこの街を通って東へ向かう時に、つまりグランホーの終地方面へ捜索を進めているとき、この街の領主にモンスター討伐を願われたらしい。その時、ウィンダールは依頼を断った。なぜなら、まだ英雄の器を捜索中だったからだ。風のニンギルにとどまれる時間は限られていたのだ。

 ただし、戻ってきた時、まだその厄介事が残っていれば必ず対処すると約束をしたらしい。


「不運にも厄介事は生き残ってたわけだ」

「そういうことだよ、貴公。だが、幸運なこともある」

「どこに」

「今回は貴公がいる。このウィンダールに果たし合いで優る豪傑だ」

「俺のことを働かせるのは高くつくと言ってあったと思うが」

「大丈夫、基本は我々で対処するつもりだ。貴公はあくまで保険。我々の力が至らなかった時の第二プラン。高くつくからな。だから、貴公の手を煩わせないよう騎士隊は全力でのぞむつもりだ」


 ウィンダールは澄ましたウィンクをしてきた。


「領主殿はずいぶん疲れた様子だった。事態は深刻なようだ」

「なにが問題だっていうんだ」


 街を歩きながら隣のウィンダールにたずねた。

 彼は腕をひろげ「こーんなに大きなひつじだ」と要領を得ない返事をする。


「ひつじ?」

「あぁひつじだとも、貴公。ひつじなんだ」

「どういう意味だ。わかりやすく説明しろ。さもないとこっちの芋女がミンチになるぞ」


 リドルを睨みつける。「ひええ……っ、なんで私なんですかぁ、ぁ」と情けない声が漏れてくる。


「この地には古い碑文が残されていてな『水黒く濁る時、大地を埋め尽くす魔羊が席巻す』と」


 広場の真ん中でウィンダールは足をとめた。眼前のそれは精巧な彫刻があしらわれた噴水だ。まるで芸術作品のようだ。風化の具合から数百年はこの地にありそうな威容を誇っている。


 噴水から湧きでる水は黒ずんでいる。墨汁を混ぜ込んだみたいに。

 水から嫌な気配を感じる。

 威厳ある噴水にはどこか見覚えがある気がした。


「この噴水は風のニンギルに古くよりあるものでな。なんでも魔法使い族が残したものとされているらしい。この街に禍が近づけば、それを知らせる役割をもっているとか、いないとか」


 俺は水をすくって顔を近づける。やはり嫌な感じがする。視覚的にもすでに邪悪なものなのだが、それ以上に、感覚器官で「危険」と感じるのだ。よくない魔力を感じるというか……。


「さっきの碑文をなぞるなら、水が濁ってるから、次は魔羊が席巻しそうってわけか」

「そのとおりだ。噴水が濁りだし、領主は兵を動かし調査をした。のちに依頼をギルドにだしたらしい。羊が湧きでる地を見つけたんだ。古い文献を引っ張りだして伝承を確かめたらしくてな。問題が起きる前に根源を叩いてしまおうという魂胆だったわけだ」

「悪くない考えだ。なにかされる前に潰してしまうのが一番効率的だな」


 それが危ないとわかっているのなら尚更だ。

 俺たちは街の冒険者ギルドにやってきた。ここのギルドは、グランホーの終地にあった冒険者ギルドよりずっと大きかった。それだけ酒場もでかいし、人の出入りも多い。冒険者どもが持ち帰った獲物の角だとか、頭骨だとか、そういったものもこれみよがしに壁一面に飾られている。


 そんな立派なギルドのなかは、いまや怪我人で溢れかえっていた。


 ギルドの受付嬢たちはせっせと怪我人を運び、包帯を巻いたり、薬草を塗りこんだり治療をおこなっている。空になった治癒霊薬の瓶が木箱のなかに詰められ、それが積まれて端っこによせられているさまは、どれだけの傷と血がこの場にあったのかを雄弁に語っていた。


「どうだ、貴公、これを見てもまだ保険でいられるか」

「全然余裕だが?」

「心は痛まないのか?」

「あぁまったく痛まないな。俺は冷徹だと言っているだろう」


 俺たちは怪我人たちの間をぬけて、血で汚れた包帯で顔半分が隠れている男のもとにきた。

 男はこちらに気づくとベッドから腰をあげようとする。ウィンダールはそれを手で制止した。


「貴公が『風竜の峰』のリンボル・アリックであっているだろうか」

「え、ええ、私がリンボルです……えっと、あなたたちは?」


 まわりからの視線を感じる。ウィンダールを先頭に騎士たちがぞろぞろ入ってきているので、最初から注目はされていたが、いまはもう希望に満ちた眼差しに変わっている。


「まさか白神樹の……? バスコから助けにきてくれたのですか? 救世主だ‼」


 沸き立つ民衆。何人かこっちを見てきた。


「ひええ、殺人鬼が背後に⁉」

「救世主に失礼なことをいうやつだ。見捨てられてえのか」


 一歩踏み出すとウィンダールは俺と冒険者のあいだに割ってはいった。


「んっん、失礼、こちらの男は顔こそ殺人鬼なうえ、言動は悪逆非道、心は凍てつき、歩く姿は血を求めて獲物をさがす獣のようだが、悪人ではない。安心してほしい」

「悪人ではない、の一言で打ち消せないほど邪悪じゃないではありませんか……⁉」

「おっと、事実を陳列しすぎたようだ」


 この騎士隊長に俺を擁護する気がないのはわかった。

 ウィンダールは金色の髪をなでつけ片眉をあげ、情報提供者へ向きなおる。


「リンボル殿が討伐隊で魔羊を相手に活躍した冒険者パーティのリーダーだと聞いたのだが」

「もう胸を張れる肩書きではないですが、そうです、あってます」


 リンボルを足先から頭のてっぺんまで見やる。


「ボコボコにされてるな」

「ええ、ボコボコにされました……『風竜の峰』は風のニンギル最大の冒険者パーティですし、鷲獅子等級ですし、過去10年クエストに失敗したこともなかった、だからきっと大丈夫だって、そう驕っていたんです、うぅ、いまでも、あの悪魔たちのことを思い出すと、震えがとまらない」


 瞳は怯えで染まっている。自分の身体がこの場にあることを確かめるようにそっと己を抱く腕にぎゅっと力が込められ、指先は震えている。どれほど恐ろしい経験をしたというのか。


「大丈夫だ貴公。ここにその悪魔はいない。だから話してくれるか、その魔羊とやらについて、討伐隊と貴公のパーティ『風竜の峰』が経験したことを」


 ウィンダールは憔悴しきったリンボルから話を聞きだした。

 内容はこうだ。討伐隊が組まれ、ここから半日の距離にある遺跡に向かった。そこは普段ならとりたてて珍しいものもない、古い文明の跡地にすぎないが、その日は違ったという。


 近づくにつれ黒い瘴気があたりを包んでいく。天気もだんだん悪くなり、草木は暗く枯れ、風は生ぬるく、酸っぱいような不快な香りを放っていたという。


 現れた怪物たちと討伐隊は戦った。だが、遺跡よりあふれだすそれらに対処することはかなわず……ボコボコにされ、多数の怪我人を連れて帰ってくるのが精いっぱいだったという。


「めぇ、めぇぇ、めえぇぇえ────って鳴くんです。手で耳を塞いでも魂に鳴き声が響いてきて、遠くにいてもずっと聞こえていて、まるですぐ後ろにいるみたいに……やつらは、勇敢なやつから狙われるんです、斬りつければ耳をつんざくような声で鳴いて……あたりの羊たちがいっせいに向かってきて‼ 『風竜の峰』は一番勇敢に戦った、だから一番羊たちにボコボコにされたました」


 リンボルは頭をかかえ悲痛な涙をながしはじめた。

 彼の仲間たちは命こそ取り留めたが、いまも意識を失ったままだという。

 あれ? 思ったよりとんでもないのと戦わされそうになってないか?

 おかしいな、ちょっとしたモンスター退治のつもりだったんだが?

 鷲獅子等級がやられているんだって? それって『桜ト血の騎士隊』と同ランク帯なんじゃないのか? 目の前で心折れているこの男はスーパーエリート冒険者なんだろう? あれ?

 俺は腕を組んで瞳を閉じ、思案し、結論をだし、ウィンダールの肩にそっと手を添えた。


「いこう、もうこの街は救えない」

「貴公、それでも人間か」

「あぁ人間だ。だからこそ理性で判断した」

「諦めるのがはやすぎるぞ」

「いいや早くない。めぇめぇ鳴く悪魔どもの遺跡はすぐそこにいるんだろ? こんな危険な街にはいられない。のどかで平和だと思ったが残念だ。グランホーよりもホットな場所だったとは」

「それほどの剣技をもっていて恐れるのか、貴公」

「冷静になれウィンダール、強い弱いじゃないだろう。戦いなんてものはいつだって紙一重だ。剣の太刀筋を右へ避けるか、左へ避けるか、それだけで運命が決まるものだ」


 二度目の人生における命題は、楽をして生きる、だ。可能な限り働かないのが大原則。

 楽して生きるためには、そもそも生きていないといけない。命あっての物種。けれど異世界には危険がいっぱいだ。モンスター、人間、信用ならない衛生観念、治安の悪い街、悪徳の領主、禍の予言、まるで危険物のウィンドウショッピングをしている気分になる。


 君子危うきに近寄らず。まず危ないことを避ける。生死が関わるイベントそのものを避ける。俺はたしかにちょっと強いし、ポリシーの都合上、他人と衝突することはある。でも、それは進んで危険に飛び込むとはすこし意味がちがう。


「どんな剛の者でもふとした時に死ぬ。ある戦国武将は戦では100戦100勝だったが、用を足すためトイレにいるところを襲われ死んだという。つまりそういうことだ」

「どういうことだ、なんの話をしてる?」

「わからないかウィンダール、俺はめぇめぇ鳴くその怪物とやらとは戦わないって意味だ」


 俺は言って、冒険者ギルドの出口へむかう。

 周囲からは視線が集まっている。救世主とでも思ったか。

 だが、残念、この俺はその場のノリで人助けに命をかけるほどお人好しではない。


「ウィンダール? ウィンダールだって?」

「そうか、どこかで見たことあると思ったら、前にきたあの白神樹の騎士だ‼」

「北風のウィンダール‼ ルガーランドの懐刃‼」


 騒がしくなりはじめ、皆が黄色い声をあげる。ウィンダールは有名人なようだ。グランホーの終地でも、自分のネームバリューを存分に活かして捜索していたみたいだし、この街でも同様に捜索をしていたのだろうか。あるいは元々名前が知れ渡るほどの人物なのか。


「ウィンダールが俺たちを助けてくれるのか?」

「王子の剣……バスコに使える騎士たちならあるいは、やれるのか」

「それに比べあの恐ろしい顔のやつは人の心とかないのか……」

「白神樹の騎士といっしょに来たのに自分だけ戦わないって堂々と宣言しやがったぞ……」

「馬鹿、やめとけ、聞かれたら臓物ひきずりまわされるぞ……‼」


 ウィンダールの株があがる陰で、急速に俺の株がさがりまくっている。

 だからどうということはない。他人からの好感度などどうでもいい。

 俺は冷徹で利己的な人間だ。自分の利益を見極められるのだ。


「あ、アーキントン様、本当に、本当にいっしょに戦ってくださらないのですか……⁉」


 騎士リドルが呼び止めてくる。


「戦わない。俺はこの街になんの思いいれもない。救う義理がない」

「そ、そんなぁ……‼」

「だが、貴公、騎士隊が全滅したらどうする。バスコへアルウ殿を連れて向かってくれるのか」

「アルウ次第だ。俺はそもそもバスコになんざ行かなくてもいいと思っている派だぞ」

「この街が滅ぶほどの危機だとしたら貴公の隠れる場所もないのでは」

「幸いデカい街だ。ほかが羊にしばきまわされている間に、逃げるも隠れるも選び放題だ」


 ウィンダールの騎士たちと、周辺の冒険者から冷たい軽蔑の眼差しを向けられる。


「隊長、やっぱり、アルバス様は相当なクソ野郎なのでは……?」

「人間性は顔にでるっていうが、まさにその通りだな」

「強いだけじゃねえか。他が終わってやがる」


 ウィンダールは腕を組み、顎をしごき、半眼で見つめてくる。


「やれやれ、貴公という人間はどうしてそう……まぁよい、戦う気のない者に隣に立たれても困る。貴公はアルウ殿を守るつもりはあるのだろう。あれは貴公の大切な……そう、資産なのだからな。我々としては彼女さえ守ってもらえれば十分だ。もともと貴公はイレギュラーだ。労働力を勘定にはいれないと約束し、世界の滅びさえどうでもいいと言い切った男だ。我々に貴公を無理に動かす道理はもとより存在しない。行きたまへ」

「当然、行かせてもらう」

「────」


 俺は冒険者ギルドの扉に手をかけた。誰かが怪訝な声をだした。

 なにかが聞こえる。どこから聞こえてくる。くぐもった、振動の塊のような。

 それぞれが視線をあわせる。俺も耳を澄ませ、いちはやくその声の正体に感づいた。


 まわりはまだ気がついていない。俺は周囲の表情がどう変わるのか観察してやることにした。


「──────めえ」

「────めえ、めぇえ」

「──めえ、めえめえ、めぇめぇ~」

「めえめぇ、めぇめぇめえめえ~‼」


 者どもの表情がみるみるうちに変わっていく。

 それは悪魔の鳴き声の集合体だった。ひとつふたつどころじゃない。

 怪我を負った冒険者たちが、狂ったように声をあげ取り乱すのに時間はかからなかった。

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