暗黒の羊 4 『俺だけが魔法使い族の異世界2 遺された予言と魔法使いの弟子』

  

 アルウは自身の無力を知っていた。

 そのことをアルバスが気にかけていることもわかっていた。

 いま風のニンギルには恐ろしい怪物が迫っているという。


 だからだろう、人々は怯え、冒険者たちは殺気立ち、ウィンダールたち白神樹の騎士たちは慌ただしくどこかへ行ってしまった。仕事に行ってくるといって一度はどこかへ行ったアルバスも、いまはアルウのそばに戻ってきて、彼女のそばを離れないでいる。


 アルウは聡かった。アルバスが自分を守るために、きっとみんなに必要とされているのに、まわりに嫌われながらも、そばにいてくれることを選んだのだろうと。


「アルバスはすごく優しいから、きっとわたしのために近くにいてくれているんだよね」

「この俺が優しいだと? お前のためにここにいるだと?」

「あっ、違った。そう、アルバスは自分の資産を守ることばかり優先して、街のみんなのことなんかどうでもいいと考える悪逆非道なんだよね」

「危ない危ない、流石の俺も今のはキレそうだったぞ。次から絶対に間違えるなよ、アルウ。俺のことを優しいなどと言ったあかつきには、こうッ、するからな。こうッ、だぞ?」


 アルバスは拳を握りしめ、シュッとちいさく空を殴る。


「アルバス、ウィンダールたちが死んじゃったら、わたしは英雄になれないと思う」

「ウィンダールも騎士たちもこの1カ月ずっと働きぶりをみてきた。あいつらは高度に訓練された兵士たちだ。だから大丈夫だ。ここで待っていればゴタゴタは勝手に終わってるはずだ」

「アルバス、わたしは大丈夫だよ。ちいさい子供じゃないから」


 アルウはクッキーをハンカチで包んでポケットにいれ、椅子からぴょんっと飛び降りる。


「おい、どこへ行く」

「教会。とても頑丈な建物で、街のみんなが避難しているって」

「だめだ、そんな他人だらけのなかにポツンとお前ひとりいれるわけがない」

「リドルがいるんだ。避難民を落ち着かせるために白神樹の鎧をまとった騎士がいたほうが統制はとれるからって。だから、リドルにそばにいてもらうよ」


 アルウはアルバスの手をぎゅっと握る。空を見上げた。轟音がたびたび響いている。

 城壁の向こう側で怪物が暴れ、それを食い止めようとしている者たちが戦っているのだ。


「アルバス、みんなを助けてあげてほしい」


 アルバスは瞳を閉じて考える。

 大事な資産であるアルウをおいて、この街のために命を懸けることに意味はあるのか。


(この場でアルウを守り続けることは俺の資産を直接守れる。だが、前線が崩壊すればどうだろう。ここは城壁に囲まれている。だが、いつか門は突破される。怪物が流れ込んでくる。相手はもしかしたら大地を埋め尽くすほどの大群かもしれない。そうしたら瞬く間に城壁より内側が羊でいっぱいになり逃げ場がなくなるかもしれない。相手の規模感がわかっていないと逃げる時に想定外もおこる。その時、アルウを守り切れるだろうか)


 アルバスは己の行動原理をひとつずつ構築し、パチッとまぶたを持ちあげた。


「前線の様子をみてくる。勝てそうだったらすこし手助けしてくる。ちょっとだけな」

「うん! ありがとう、アルバス。頑張って」


 アルウはぎゅーっと抱き着き無事を祈る。アルバスはちいさな軽く背中を優しく抱きとめた。


 ──────────────


 アルウに言われて城壁の外に出てくれば、ウィンダールのやつめ、さっそくデカい羊に踏みつぶされそうになっていやがった。どうしていつも俺が最後には働くことになるのだろう。


「なにを羊なんぞに手こずっているんだ。王子の剣? 北風のウィンダール? 二つ名なんか名乗るんじゃねえ。呆れてものが言えない。お前は今日からただのウィンダールだ」

「貴公には面目ない姿を見せてばかりだ。せめてこの片目が見えていればもう少しやれたのだが」

「また当てつけか? もう1か月も経っているだろ。いい加減に片目の世界に慣れろ」


 とはいえ、ウィンダールの片目を奪ったのは事実だ。ずっと前から「距離感がつかめなくなった、もう騎士は引退であるな」と俺のそばで聞こえるようにボヤいていたのも事実だ。


「マタ、ナモシラヌ、エイユウ、カ」

「んあ? このごわごわラム肉ケルベロスは。お喋りができるのか?」

「らしいな。……言っておくが、アレは手強いぞ」


 黒い羊たちのなかでも、ひと際デカい喋る羊が「めぇぇぇぇええ──‼」と空へ轟く鳴き声をあげた。途端、周囲の羊たちがむかってくる。ウィンダールは重たそうに腰をあげ、後方へ飛びのいた。自力で避難できる程度には元気がある。あのデカい図体を守ることにならなくて助かった。


 俺は剣を抜き放つ。ちいさい魔羊を手始めにぶった斬る。

 手応えありすぎ。羊毛が固いのか?


 でも、まあ別に斬れなくはない。それに羊たちも動きが素早いわけじゃない。

 どこら辺に手こずっていたのかわからないが、油断は禁物だ。俺はリスクを最小限におさえ、群れのなかにつっこまず、後ろへさがりながら、最接近してきたやつの首を叩き落としていく。


 斬っていると段々、剣の切れ味が悪くなってきた。

 そこへ巨大魔羊が突進をかましてきた。避けざまにその首を落とす……と思ったが、俺が使っているのはグドからもらった刃渡り90cmの騎士剣だ。度重なる研磨で刃は薄くなっている。


 直観的に「この剣じゃこいつの太い首は落とせない」と感じ、4つ顔があるうちのひとつを斬りつけてやることにした。ペキン‼ 剣が折れた。硬い。見た目よりずっと硬い。最悪だよ。


「グロ、ロロ、マヌケ」


 俺は剣を失った状態で魔羊たちに取り囲まれてしまった。


「やむを得ないか」


 『歪みの時計』の針の位置を思いだす。今朝確認したかぎりでは短針は4時くらいを差していた気がする。十分に攻撃魔法を使う猶予はある。

 周囲にはウィンダールがシュタイルミニスタの奇跡を解放した形跡がある。そしてここは城壁から多少距離があり、なにが起こっているのか悟られにくい。

 ウィンダールにバレたくないが、剣もない状態で頑張って羊どもを一掃する気もない。普通に面倒だし、なにより危険にすぎる。絶対の自信でもない限り、近接戦闘は避けたい主義なんだ。


 そうこうしているうちに魔羊たちが完全包囲網を完成させた。


「キサマ、ソノカオ、ナゼダ、ドコカデ、ミタヨウナ……」

「おいおい、怪物にまで顔のこと言われるのかよ」


 世知辛い世の中だ。さっさと片付けちまおう。

 俺は手をパンっと胸のまえで叩きあわせた。


 法則に踏み入った。強大な魔力を感じる。時間が経つごとに、魔法を使うごとにすこしずつ俺は、俺の身体は、思い出しつつある、その使い方を。いまは前より無駄な消費もなくなった。


 叩き合わせたのち、手のひらで大地を思いきり叩いた。

 符号は成った。『銀霜の魔法』が発動する。


「バカナ」


 俺の手元から巨大な質量を誇る氷塊があふれだし、鋭い氷柱となり、全方位に無数に、無慈悲に、無惨に展開、魔羊たちは何が起こったか理解するまえに貫かれ、血肉を瞬間凍結されていく。


 デカい奴はちょっと遠い。もう魔力を展開しきってしまった。1時間消費のパフォーマンスはずいぶん向上したが、流石にあそこまで届かせるのは無理だ。少なくともいまの俺の技量では。


「デカブツ、少し待っていろよ。これやると体がすげえ冷えるんだ」


 俺は深呼吸を繰りかえし、白い息を吐きだす。連続で使うと俺まで氷像になりそうだから、『銀霜の魔法』はあんまりバカスカ使わないほうがいい。


「アリ、エナイ……ナゼダ、ソレハ、マホウ……」


 巨大黒羊は取り巻きをすべて失い、ただ一匹、後ずさり始める。逃げようとしているのか。


「アッテハ、ナラナイ、コトダ、フカノウナハズ、ダ‼」


 巨大魔羊はふりかえって、来た道をひきかえしはじめた。全力疾走で逃亡しはじめる。


「おい、こら、逃げんな‼」


 俺は再び、符号を形成し、大地を手のひらで叩いた。

 地面とほぼ水平にビューンッと、一本の氷柱が伸び、逃げる巨体を捉えた。

 命中の瞬間、やつはこちらをふりかえって怯えた表情をし──貫かれた。周囲もろとも凍結させれていく。デカい身体ゆえ完全に凍り付くまで時間はかかるようで、すこし口元が動いていた。


「アァ、ソ、ウダ……、ソノカオ、オモイ、ダシタ…………アル、バス、アーキン────」


 冷たい死の御手がついに怪物を完全に包みこんだ。あたりすべては零になり、漂う冷気だけがそれが動いていたことの限りある証拠となるばかりだ。

 こいつ最後にアルバス・アーキントンと言いかけた。どうして俺の名前を知っているんだ。疑問が浮かんだ頃には、すでにデカブツは息絶え、凍てついたオブジェになり果てていた。


「んあ? なんだ、これ……」


 激しい痛みが走ったと思い、腕をみやる。少なくない血が滴っていた。

 どこかで切ってしまっていたのか? 気づかなかったが。いや、違う、この傷……どんどん大きくなっていきやがる。それになんだ傷口が凍りついていく。焼けるような痛みが追撃してくる。


「クソ、なんだってんだ……この羊野郎のおきみやげか?」

「アルバス殿、アルバス殿‼ どこにいる‼ 返事をするんだ‼」


 俺が「こっちだ」と叫ぶと、すぐのち氷岩の向こうからウィンダールが姿をあらわした。痛みはどんどん増していく。骨の髄まで凍り付き、砕けるような──やがて俺の視界は暗くなった。

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