襲撃者
その晩、グランホーの終地周辺を治める貴族ルハザード・ボルザレフはご機嫌だった。
1カ月前に使い潰してしまった奴隷エルフが今はすっかり綺麗に回復し、自分の手元に戻ってくるとわかったからだ。
こんな幸運なことがあるだろうか。奴隷なぞ使い終われば死ぬだけの命。どんなに可愛がってやっても死んでしまっては同じものは手に入らないのだ。金や銀の雅な調度品とは違うのだ。割れた壺とは違うのだ。買い直すことはできない。
「っふっふ、私は本当にツイている。そうは思わんか、ルドルフ」
「ルハザードさまは天王の御子さまであらせられます。星はあなたのもとへ向いている。当然のことかと」
ルハザードはご機嫌に笑い、使用人の理容師に髭を綺麗に剃らせ、風呂では地方の村から連れて来た村娘のメイドに身を清めさせる。
拙い手つきでメイドは主の身体を洗った。嫌な顔はしない。慣れたのではない。そんな顔すればどんな酷い目に遭うかわかったものではないだけだ。
メイドたちは自分の仕事が終われば、ルハザードいないところでこらえていた吐き気を思い出し、涙をぽろぽろとこぼす。屋敷なかでごく当たり前に起こる風景だ。
地方から連れてこられた村娘同士「家に帰りたい……っ」と我慢できずに泣く者がいれば、互いに肩を支え合って励まし合った。逃げれば殺される。耐える他ない。
「カイとハンジはなにをしておる。ずいぶん待たせるのう」
「もう帰って来てもよい頃合いですが」
ルハザードは豪奢な寝室で使いの者たちを待っていた。
憲兵の服を着せておくりだした剣客のふたりだ。
『殺人鬼』なる泥棒を処し、奴隷エルフを取り返してくる算段であるが、どうにも帰りが遅い。
「まあよい。野暮用でも済ませるか」
ルハザードは犯罪組織との取引に関する金の勘定をするため、執務室へ移動し、ペンを紙面に走らせる。
「ん? ここに確かに入れて置いたような気がするが……」
「どうされましたか?」
「……ルドルフ、お前私の取引目録に触ってはおらんだろうな?」
「もちろんでございます」
「ふむ。どこかへやってしまったか。最近は妙なことばかりが起こる。妾どもの服は減っているような気がするし、ベッドもひとつ消えていた。棚の本は減っているような気がするし、領地運営と闇取引の書類もどこかへいってしまっている……」
困っていると、部屋の外が騒がしくなってきた。
ひとりの憲兵が扉を勢いよく開いて飛び込んでくる。
「大変です、ルハザードさま!」
「なんだ、こんな夜中に騒ぎ立ておって」
「え、エントランス、や、やつが……っ!」
でっぷり太った屋敷配属の新米憲兵がぷるぷる震えて玄関の方を指さす。
「やつだと?」
「や、やや、やつです! さ、殺人鬼が……っ!」
「なに?!」
ルハザードは側近ルドルフと顔を見合わせ、すぐさま階下へ降りた。
玄関ホールへやってくると、憲兵に囲まれた男がいた。
手にはカバンを持っている。
男のすぐ横には巨大なバケモノが直立不動の姿勢を保っている。
腐敗と死を濃密にまとった暗黒の戦士である。片手で大きな戦斧を握る。人類なら両手斧であるが、規格が違うせいでコンパクトな手斧にすら見えてしまう。
「な、なんだあのバケモノは……ッ」
「とてつもない覇気だ……強い」
ルドルフは眉根を潜め、剣に手を伸ばす。
騎士団では中隊長を務め、のちにルハザード仕えの剣客になったルドルフには、強者を識別する嗅覚があった。
「あんたがグランホーの領主か」
「貴様が殺人鬼アルバス・アーキントンか!! なぜここにいある、そのバケモノはなんだ! カイとハンジはどうした! 貴様は死んでいるはずなのに!」
領主はまくしたてる。
アルバスはカバンから紙の束をだすとエントランスにばらまいた。
次々に取り出しては、大ニュースを配る新聞配りのように派手にばらまいていく。
「な、なにをしている……」
アルバスは無視して、書類をばらまき続ける。
「これはお前が富をたくわえるために行った汚ない取引の証拠だ。7年前のから先月まで、全部そろってる」
アルバスはぼそっとつぶやく。
「ッ!!? き、貴様が私の取引目録を盗んでいたのか!!?」
ルハザードはこの1カ月間のモヤモヤが晴れると同時に怒りに支配された。
「ふざけやがってぇえええ! 私はいま巨人の火山のごとき煮えたぎる憤怒を感じているぞォおお! こんなことをして生きて帰れると思うなよォおお!!!」
「いやなに。いつかお前のことはスキャンダルで叩き潰してやろうと思って準備はしていたんだ。だがもう必要なくなったんでな」
「なんだとォ!?」
アルバスはコラプション・ウォリアの腰にくくりつけてあった生首をぽいっとエントランスに転がした。べちゃっと落ちる首。ひとりは顔面を両断されており、脳みそがこぼれている。
「予言しようルハザード・ボルザレフ。お前は今夜おぞましく死ぬ」
アルバスはつまらなそうな顔で告げた。
淡々と決定事項をつげる裁判官のように。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます