俺だけが魔法使い族の異世界

ファンタスティック小説家

『すごく優しい男』アルバス・アーキントン


 

 優しさとは呪いであると俺は思う。


 前世での仕事は施工管理をしていた。

 いわゆる工事現場の監督である。

 

 生ぬるい現場ではなかった。

 言葉を選ばずに形容するならクソの掃き溜めだった。

 毎朝6時50分に起床して現場へ向かい、お昼休憩もなく、18時に職人さんたちを返し、そこから図面作成、翌日の作業の段取り確認、帰宅して時計が23時を示していたら幸運である。だいたいは日をまたぐ。


 同期がは最初の2年で俺ひとりになった。

 上司からは現場作業の遅延を怒鳴られ、現場の職人さんたちからは上司の連絡ミスによる作業の不都合を怒鳴られ、ギスギスした現場で毎日耐え続け、頭を下げ続ける。


 工事現場には予想外が日常茶飯事だ。

 まだ進めちゃいけない工程を職人さんが進めてしまったり、そのせいでほかの工程が遅れたり、資材の搬入が遅れたり。

 材料が届かないのは俺のせいじゃないのに、作業が進まないのは他人のミスなのに、皆の不満を一身に浴びせられる。


 現場監督は普段から職人さんたちに差し入れをしたり、小銭を渡してコーヒーを驕ってあげたりして関係を作ることが重要だと俺は思ってる。

 つらいのはみんな同じなのだ。だからそういう時こそ、優しさでもってお互いに助け合おう。そう思って、いつだって優しくして、裏切られて……。


 7年現場で耐え抜いたある時、壊れてしまった。

 ヒステリックになって職人と喧嘩になった。

 で、死んだ。

 事故だ。完全なる事故。だけど、俺は救われたと思った。


 目が覚めると、そこは知らない世界だった。


 いかなる論理、いかなる摂理、いかなる宇宙法則が働いた?

 どんな諸神秘の作用がこの結末を用意した?


 異世界転生して1カ月が経ったいまでも俺には理解できないでいる。


 とはいえ、悪いものではない。

 むしろ良い。ずっと良い。

 前世の知識と教訓を焼きつけ、二度目の人生をはじめることができるのだから。


 法外の幸福である。


 後悔ばかりの前世だった。

 いつの間にか、なんのために生きているのかもわからなくなっていた。

 親が昔から他人に優しくしろと言うものだから、その通り生きた。

 物語の主人公はいつだって優しくて、だから、それが正しいのだと思いこんでいた。


 実際は違った。親は間違えていた。世の中の規範も違っていた。

 それは扱いやすい人間を作り出すための呪いなのだ。

 ”優しい人間は素晴らしい”

 その呪いのせいで、ムチャなお願いを断れない人間が量産された。

 NOと言えない都合のいい、使いやすい、便利な人間が搾取されるようになった。


 俺は学んだ。

 優しさは呪いだ。

 支配者が被支配者へ囁いた甘く、恐ろしい呪いなのだ。


 かくして、学びを得た俺の第二人生がスタートした。

 深い森の荒れ果てた小屋、その地下室で目が覚めた。

 鏡を見れば年齢は20代後半の、人相がめちゃめちゃ悪く、目が殺人鬼な、体格に恵まれた青年が映っていた。俺である。ちょっと恐い。


 この世界での記憶はうっすらとある。

 俺は異世界で20余年を生き、ある段階で前世の記憶を取り戻したのだ。

 ただ、記憶を取り戻した影響か、やたらこれまで生きて来た記憶のほうがあいまいになってしまったが。

 

 俺はあいまいな記憶を頼りに、辺境の街『グランホーの終地』へと足を運んだ。

 バスコ・エレトゥラーリア人間王国という人間族の国、その辺境であるこの『グランホー終地』は、王都から遠い事もあり騎士団の腐敗と、貴族の横暴さが目立つ。

 はっきり言って危険な街なのだろう。俺はほかの町のことを思い出せないが、ここはたぶんだがとても治安が悪い。そんな気がする。


 荒れ果てた古小屋には、いくらか金はあった。

 シルク。それが異世界の貨幣だ。

 俺の手元には5,000シルクほどがあり、この1カ月はそれで宿屋に止まったり、飯を食ったり、この世界に馴染むように努力してきた。


 いまはシルクが底を尽きそうなので、冒険者ギルドなる労働派遣を行ってくれる場所へ赴いて仕事をしようと思っているところだ。


「汚らしい娘だ……もういらん、出ていけ、二度と我が屋敷に近寄るな!」


 ギルドへの道で、貴族の屋敷のまえを通りがかった。

 敷地から痩せた汚らしい娘が転がり出て来る。

 耳が長い。汚れているが肌も真っ白。

 森に住むエルフ族だろうか。


 エルフは見目麗しい種族なので、奴隷商が大好物な獲物である。

 そして貴族はそんな奴隷を買うのが大好きだ。

 

 あの汚いエルフは捨てられたのだろう、

 かつての俺みたいにどっか壊れたのだろう。


 俺には関係のない命だ。

 さっさとギルドへ行って仕事を探そう。

 あーお腹空いた。まじで腹減った。お昼は何食べようかな。


「へへへ、馬鹿な貴族だぜ、このエルフまだまだ使えそうじゃねえか」

「おい、おら、聞こえてんだろ。立てよ。俺たちが新しいご主人様だ。立てっつってんだろ!」


 別に気が変わったとかじゃない。

 なんとなくうるさいから振り返るだけだ。

 あんな汚い娘を助けようとかじゃない。


 奴隷商、いや、その小間使いか。

 人攫いだな。

 奴隷商の手先の卑しい奴らだ。

 彼らはエルフの手首をつかんで立たせ、馬車に乗せようとしてる。


 俺は損得勘定で動く人間だ。

 前世は違ったが、今回の人生はそう生きようと決めた。

 優しさだの、情だのは他人に搾取される隙を与えるだけだから。


 俺にはエルフを助ける手段がある。

 俺はどうにも魔法使い族という魔法をあつかえる伝説の種族らしいのだ。

 もちろん魔法なんて他の誰にも使えやしない。少なくともまだ見たことはない。

 その存在を知っている者もいない。この1カ月でさりげなく調査したのでわかる。


 魔法を使えばどうとでもできる。

 でも、肝心なのはそのあとだ。

 

 助けた場合のメリットは?

 なし。

 助けた場合のデメリットは?

 処分に困る。


 ほらね、助けてどうする。


 これを猫に置き換えて考えてもみろ。

 猫は拾ってきたら餌をやらなくちゃいけないし、汚れた猫砂だって臭いのを我慢しながら交換してあげて、構ってくれと言ってきたら撫ででやらないといけない。椅子に座っている時に猫が膝に乗って来ようものなら、立ちあがれないし。


 どう考えても負担だ。

 助けても良い事なんてなにもない。


「ほら、行くぞ!」


「ちょっと待った」


「あ? 誰だてめえは──うおオ!? な、なんだてめえその目は、俺を殺しに来たのか!?」


 ビビりすぎ。そんな人相が悪いかよ。


 俺はなけなしの100シルク硬貨を3枚と10シルク硬貨を2枚差し出した。


「そのエルフ、これで買わせてくれないか」

「あ、あ? な、なんだ買いに来たのか……。って、てめえは馬鹿か。こんな汚くてもエルフだぞ。欲しいんならその1,000倍はだせ!」


 そうかそうか。

 汚いエルフの相場は320シルクの1,000倍か。

 であるならば、320,000シルクとなるな。

 このエルフを俺が盗み、売っぱらえば320,000シルクが俺のものになるとな。


 助ける理由ができてしまったな。

 メリットがあるなら仕方ない。うん。仕方ない。


 俺は『人祓いの魔法』をかける。

 手のに人差し指をたて、クルリっと円を描くようになぞる。

 魔法法則が動きだし、この場に適用される。

 20秒ほどで周囲の人間は皆いなくなった。


「けっ、この貧乏人が! 用が無いんなら、もうどけ! おら邪魔だ、どけ!」

「やめとけよ、相棒、こいつを怒らせんな、見ても見ろ、この顔つき、確実に6人、7人あやめてるぞ……!」

「殺めてない。いや、いまから2人ふたりほど殺めるか」

「あッ?」


 言って、俺は馬に『錯乱の魔法』をかけた。

 馬へ視線をやり、じーっと見つめる。

 馬車に括りつけられた馬は狂ったようにいななき、後ろ足で飛び蹴りを見舞う。

 ちょうど人攫いのひとりの首がへし折れ、崩れ落ちる。


「う、うあわああ!? な、なんだいきなり、なにが起こったんだ!? おい、おい、しっかりしろ……! ひ、ひぃいい、し、死んでる……?!」

「足元気を付けたほうがいいんじゃないか」

「な、なんなんだよ、てめえは!」


 馬は暴走して走りだす。

 残されていた人攫いの脚に手綱が絡まった。

 そのまま馬車は爆走しだし、男は地面に引きずられて擦られていく。

 あのまま隣街まで行かせる。

 その頃にあの人攫いがどうなっているか……語る必要はない。

 

「あ……え……?」

「ついて来い」

「あ……わたし、は……ころし、て、ください……」

「ダメだ。今から俺がご主人様だ。死ぬことは許さない」


 言って宿屋に連れて行く。

 宿屋の主人には大変に嫌な顔をされた。

 

「……」


 なにもかもが見るに堪えない。


 一度も洗われていない服。

 体中垢だらけ。

 爪は伸びていて、割れている。

 なにより匂いが最悪だ。

 くたびれた服のからのぞく四肢は枯れた枝のように細い。


 不衛生。不健康の極みと言ったところか。

 性的搾取もされたことだろう。

 だが、俺は同情しない。

 弱いから虐げられる。優しいから奪われる。

 

「まずはお前を身体を拭いてやる。温かいお湯で濡らした柔らかい布でな。きっと傷にしみるだろう。恐れるがいい」

「……たすけて、くれるん、ですか……?」

「そんなわけがないだろう。現状でお前の価値は320,000シルクだ。身体を洗うだけでもしかしたら420,000シルクの値段がつくかもしれない。その、そう、つまりそういう理屈で俺はお前を洗う」

「…………ころ、して、ください」


 俺は彼女をお湯で濡らした布を用意し、彼女の身体を、まずは腕を拭くことにした。

 

「い、い、たっ……ぃ……」

「あ、ごめん」


 じゃなかった。なに謝ってんだよ、俺。


「これくらい我慢をしろ。捨てるぞ、殺すぞ」

「……ごめ、ん……なさい」

「ゆっくり吹くからな。ほら、傷口を拭く。拭かないと黴菌が膿を呼ぶ。だから、痛くてもこれは必要な処置なんだ。わかるな」

「……は、い」

「よし、今から拭くからな。歯を食いしばって痛みを恐れろ──どうだ、痛いか」

「……そん、なに」


 そんなこんなで服を脱がし、身体を拭いてやった。

 死んだような目。死んだような身体。髪はぼさぼさでシラミだらけだ。

 ふざけやがって、あの貴族……。


「次は飯を食え」


 俺は320シルクで買って来たパンと、宿屋の主人の娘さんに頼んでつくってもらったスープを汚いエルフへ差しだす。


「……たべ、れ、ない……」

「この飯を食うことで肉付きが良くなり、お前の商品価値がもっとあがるかもしれない。投資だ。はやく食べてたくさん栄養をつけろ」

「……か、たい……」


 パンを嚙み切る力がないだと?

 どこまで衰弱しているというんだ!


「ええい、いまからひと口サイズに千切って、お前の口に詰め込んでいく、情け容赦なくな。お前が嫌だと言っても俺はパンを千切っては、口に詰め込む事をやめない」

 

 俺は言いながら、パンをひと口食べさせ、スープをスプーン一杯飲ませ──そんなことを60回ほど繰りかえし、汚いエルフに食事をとらせた。


「俺のローブを貸してやる。あんな汚い服を着られては商品価値が落ちるし、衛生状態が良くないからな。これ以上変な病気になられたら、苦しいのはお前だ」

「…………どう、して」

「?」

「…………どう、して、やさしく、してくれる、の……」

「とんだ勘違い娘がいたものだな。俺は利益の追求をしてるんだ。優しさは俺の一番嫌いな言葉。二度と口にするな。もう眠れ。たくさん眠れ。すやすや眠ってしまえ」

  

 俺は言ってちょっとはマシになったエルフを布団に押しこんだ。

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