恩返しがしたいアルウさん



 アルウは子供の頃のことをよく覚えていない。 

 過酷な経験のせいで記憶が壊れたのだ。

 気が付けばすでに人間の世界で飼われていた。


 妖精のような危うい儚さ、ピンと立った耳、白い肌。

 エルフという種族がこの世界のどこかにはいて、自分はその種族の一員である。

 そのことはわかっていた。


 奴隷商のもとででは、日がな一日、暗い大きな牢屋に閉じ込められていた。

 ほかにもたくさんの奴隷が混ざっていた。

 

「お前、エルフか……?」


 ほかの奴隷たちはアルウがエルフだとわかるなり、なにかとつけて彼女を虐待した。配られる不味いパンも奪われ、渡さないと頑なになれば殴られた。

 アルウはすぐにほかのちいさな牢屋に移されたが、今度は奴隷商人から弄ばれた。


「商品の具合は事前にたしかめておかねばならぬ」


 好きに触られた。

 だがその頃は、アルウもまだいつか森に戻れると希望を持っていた。


 性的な嗜好に使われ、暴力性の捌け口にされても、人間じゃないからと尊厳を冒されても、きっと大丈夫だと、耐えて耐えて耐え抜いた。

 

 ある時、貴族がアルウを買った。

 貴族に飼われるのは幸運だ。

 言う事さえ聞いていれば生活自体の質は保障される。


 しかし、アルウを買った貴族は一般的ではなかった。

 加虐趣味の持ち主だった。

 貴族の変態的な趣向はどんどん加速していき、やがて痩せ細り、身体と精神は疲弊しきった。

 元来、明るい性格のアルウは、希望を捨てずに生き抜くことを諦めなかったが、人の悪意に触れつづけ、いよいよ、心が折れてしまった。


 最後には飽きた貴族に捨てられた。

 その頃にははやく死にたいと思うようになっていた。


 そんな時。

 アルバスが彼女の手を優しく握ったのだ。


 温かい人であった。

 悪意に触れて来たアルウだからこそわかった。

 ずっと恐い顔していて、言動も人を馬鹿にしたり、貶めたりするようなことばかり言うが、その実、優しさに溢れていると。

 本人のまえでこの事を言うのは恥ずかしいし、言っても嫌がられてしまうため、アルウは口にすることはなくなったが、常々、アルバスに感謝をしていた。


 アルウを更に驚かせたのは、アルバスが伝説の魔法使い族の生き残りだということであった。


 ずっと昔に姿を消してしまったいにしえの種族。

 アルウはおおきな尊敬を抱いた。


 エルフは魔法使い族とかつて交流をもっていた伝説がある。

 魔法使い族が伝えた神秘が、エルフにチャームをつくる術を閃かせたという。

 自分にできる恩返しを考えたすえに、アルウは真心を込めてチャームを編んだ。

 なんとか恩義に報いたいと思っていたのだ。


 アルウは1日を宿屋のなかで過ごす。

 人気のない寂れた宿屋だ。

 宿泊人は常連のアルバスをのぞけばおらず、旅人がたまに泊っていくくらい。

 宿屋主人のグドもまた恐ろしく無愛想であるが、悪い人ではなかった。

 その娘のジュパンニは恐ろしく愛想が良く、当然、良い人であった。


 アルバスにべっこう飴という甘味なる石をもらった翌日、アルウはジュパンニに料理の作り方を教えてもらっていた。

 

 というのも、前々からおいしい物を食べると心が温かくなることをアルウは知っていた。なので、自分のおいしい料理をつくってアルバスに食べさせてあげたいと思っていたのだ。

 

「まず大事なのはスープですよ、アルウちゃん。立派なお嫁さんになるには温かいスープで旦那さんの心を癒してあげるんです。胃袋をがしっと掴めばこっちのものです!」

「おいしいスープ……お嫁さん……」


 アルウは気合いを新たにした。

 ジュパンニに教えてもらいながら、野菜をよく煮込んでいく。

 ついでにお肉も投入だ。細切れにして、たくさん入れていく。


「アルバスさんのおかげでお肉たっぷりスープが作れます。本当にありがたいことですね」


 お肉をたくさん使えるほど食事情が豊かになっている宿屋は、グランホーの終地でもほかにない。あったとしてもこんなボロ宿屋の食事情が豊だとは誰も想像しない。


「完成ですよ」

「できた……ジュパンニ、ありがと……」

「いいんですよ。さあ、アルバスさんに持って行ってあげてください」


 この数日はアルバスは宿屋にいる。

 アルウに人間語を教えためと息巻いているのだ。


 アルウはスープをボウルに入れて、わくわくした様子で戻っていく。

 キッチンをでて、階段を登り、廊下をぬけて──そこで、人にぶつかった。

 

「ご、ごめん、なさい……」

「貴様、この俺のマントに汚いスープをかけてくれたな?」


 ぶつかったのは眉間にしわの寄った男だった。

 頬がこけ、目の下に深いクマがある。怪しげな風貌だ。


 男はアルウの胸倉をつかんでもちあげた。 

 するとフードがはらりとめくれてしまった。


「ん、貴様、エルフ族か……?」


 アルウは怯えて声がでなかった。

 

「ともすれば、儀式の触媒にちょうどいい……か」


 ひとりでぶつくさとつぶやき、男は思案げな顔をすると、アルウを舐め回すような視線で観察した。

 アルウはわなわなと震えて恐怖にすくみあがる。この町にはヤバイのが多いのだ。

 エルフの娘など、どうとでもされてしまう。


「おい、うちの子になにしてる?」


 その時、男の背後からアルバスが恐い顔をしてあらわれた。

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