4.それが開始の

 リアンはアルケイルが断頭台に登ってきたのを待ち構えると、両手を枷に囚われたままでも器用に礼をした。その落ち着き払った姿に、アルケイルは一瞬だけ虚を突かれた顔をしたが、すぐに表情を引き締める。どこかまだ不慣れなその顔のままバルトロスへと向き直る。


「僕を差し置いて、一人で処刑の進行か」

「……この処刑については、儂に一切を任せていただけたのでは」

「僕は処刑の日を伝えて、準備をするように言っただけだ」


 アルケイルがにべもなく言うと、バルトロスは眉間に皺を寄せた。しかし、それを苦笑に置換すると首を左右に振る。


「そうでしたな。年を取ると勘違いが多くていけません。ではここからが陛下が執り仕切るということでよろしいですな?」

「あぁ」


 そう返事をしたアルケイルだったが、その場から動く様子は見せなかった。バルトロスは随分と辛抱強く待っていたが、民衆たちがざわめきだしたことに気が付くと、誰にも聞こえない程度に舌打ちをした。


「陛下、どういたしました」

「考えていたんだ」

「何をですかな」

「この処刑は正しいのかどうか」


 無駄な言葉を省いた台詞を聞いて、リアンは口元を笑みに変えた。アルケイルにしては良い切り出し方だと、素直に感心したせいである。王子だった頃ならば、意味のない言葉で飾り立てて、本質を曖昧なものにしてしまっただろう。

 案の定、バルトロスはどう返すべきか悩んでいるようだった。いつも身に着けている悪趣味な首飾りを右手で弄びながら、何度か瞬きをする。目の前にいる王が、かつての腑抜けの王子と同一人物であることを知っていながら、まだ納得がいっていない様子だった。


「正しい……とは何です」


 バルトロスが漸くそれだけ返した。

 台を見上げている民衆は、何が起こったのかと不審そうな目を向けているが、そこにいるのが王であることから無暗に声を出すのは避けている様子だった。その代わりに、一つの言葉も動作も逃すまいとするように目を見張り、耳を澄ませているのがわかる。


「シンクロスト嬢をこのまま処刑するのはどうかと思う」


 いつもの愛称ではなく、家名で呼んだアルケイルにリアンは顔を向けた。視線が衝突した瞬間、アルケイルの喉が少し上下したのが見えた。まだ少し緊張しているようだったが、リアンはそれに対して文句をつけるつもりはなかった。自分の命が掛かっている局面で、緊張感の欠片もなく来られては困る。かといって緊張で何も話せないのも意味がない。そういう意味で、今のアルケイルの状態はリアンにとっては最良と言えた。


「この者は陛下の命を狙ったのですぞ。そしてそれを認めた。陛下も見ていたではありませんか」


 何を今更、とバルトロスがわざとらしく笑う。だが、アルケイルは全く表情を変えずに口を開いた。


「それは聞いた。確かにリアンは認めたし、それを追求したのも宰相だ」

「でしたら、疑義はないでしょう」

「でも、色々と納得出来ないことがあるんだ」


 アルケイルは一歩だけ、老人の方に歩を進めた。


「本当に彼女は、僕の命なんか狙ったのかな。そう言わされたという可能性はない?」

「どういう意味ですかな」

「宰相が彼女を脅して、そう言わせた可能性はないのかな」


 バルトロスが目を見開いて、顔を紅潮させた。禿げ上がった額の半分ほどまで一気に染まる。老人特有の節の膨らんだ血管が薄っすらと浮かび上がっていた。だが、目の奥には冷静な光がまだ残っている。


「人聞きの悪いことを仰らないでいただきたいですな、王よ!」


 突然大きな声を張り上げたバルトロスは、断頭台の縁まで近寄ると、体を半分だけ民衆の方に向けるようにして右手を掲げた。


「陛下にとって彼女が幼馴染であることは存じております。彼女のことを出来れば救いたいと考えるのも、無理はないことでしょう」


 ですが、と右手をそのまま横に払い、バルトロスは力強く続けた。声の抑揚と挙動を組み合わせて、自分の主張を印象付ける。ありふれた手法であるが、大勢の者を相手にする場合は効果がある。

 リアンはその堂々たる姿を見て、内心で溜息をついた。恐らく、こうなるであろうと予測はしていたが、いざ的中してしまうと面白くも何もない。リアンは、自分が処刑を免れる機会があるとすれば、それは処刑の直前に他ならないと考えていた。民衆の前で宰相を糾弾し、処刑そのものを失効させてしまう。既に決まった処刑を中断して、疑義を口にすることが出来るのは国王であるアルケイルしかない。

 あの日、バルトロスに告発されながら、リアンはそこまで考えていた。そして、アルケイルが実行に移したとしても、すぐに相手が打開策を思いつくであろうことも。敵が民衆を味方に付けようとするのであれば、先に自分の配下に置いてしまえば良い。バルトロスが今行っている、芝居がかった言動の意味はそれである。


「どうか目をお覚まし下さい、陛下。その情け深い心には、儂も涙を堪えきれません。しかし、垂れ流した涙は二度と戻ることは無い。この者を生かしておいても、また再び陛下の心を乱すだけでしょう」


 バルトロスは空を仰いで、目元の涙をぬぐう真似をした。無論、そこには涙どころか汗すら浮かんでいないのだが、民衆たちにその真偽がわかるはずもない。


「誤解をしないでいただきたい。儂とて非情な人間ではありませんぞ。彼女を喜び勇んで捕らえたと思っているのであれば心外です。何かの間違いであってほしいと、そう願いながらも苦渋の決断で告発したのですから」

「色々と悩みが多くて大変だね、宰相」


 バルトロスの力説に、アルケイルは白けた声で返した。


「間違いっていうのは、勿論あの夜のことだよね?」

「この者がその不純な動機を抱き、陛下を殺そうと……」

「宰相殿」


 再び長々しい台詞が出てきそうだと踏んだリアンは、静かな声でそれを遮った。


「不十分でしょう。あの夜に起きたのはそれだけではありません」

「そなたは黙っていろ。今更、ここで何を言うつもりだ」

「罪状を正確に述べないことは、神への虚偽となります。私は宰相殿のために、シンクロスト家の者としてご忠告したまで」


 バルトロスは不機嫌な表情で、リアンに何か言おうとした。だが今度はアルケイルが口を開く。


「彼女の言うとおり。あの夜に起きたことは、ただの暗殺未遂じゃない。カルトン・ルパート・ロスターの幽霊を巡る騒動だ」


 その言葉に反応したのは、バルトロスではなかった。民衆の間に、忘れられかけていたざわめきが走る。

 彼らはリアンの罪状を「国王の暗殺未遂」としか知らされていない。城を騒がせていた幽霊騒動のことを知っているのは、ほんの一握り程度である。


「幽霊?」

「ロスターって、あの侯爵家の……」

「まさか。城に幽霊が出るなんて」


 そんな声が微かに聞こえた。リアンは話を上手く誘導出来たことに満足する。こうなればバルトロスも無視して話を進めることは出来ない。

 後は、アルケイルが想定通りに動いてくれるか。そのリアンの懸念はすぐに解消された。


「宰相は、幽霊が偽者だと言ったね」

「えぇ、……勿論」

「じゃあ、あれが本物だとしたら話は変わってくるよね」

「それは、どういう」


 警戒しながら聞き返した宰相に、王は真剣な眼差しと声を返した。


「昨日、僕の寝室にロスター元侯爵が現れた。そしてリィの処刑を取りやめるように僕に言ったんだ」

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