13.覚悟の宣誓

 アルケイルは目と口を同時に大きく開いたが、悲鳴は上げなかった。どうにか理性の力で抑え込んだらしいことは、その額に浮かんだ汗を見ればわかる。ゾーイはそれが少し意外だった。白い影を見て叫び出すか逃げ出すか、あるいはどちらも一緒に行うことを予期して構えていただけに、肩透かしをくらった気分になる。だがそれを顔に出すことはせず、口を開く。


「陛下、どうしましたか」

「ま、窓の外に、カルトンが!」

「父の霊? 俺には見えませんが」


 無論、ゾーイの目にはその白い影ははっきり見えている。だがそれは父親の幽霊などではなく、古くなったシーツを裂いて束ねたものだと知っていた。日の高い時間であれば誰もそれを幽霊とは見間違えないだろうが、雷雨の夜の中で見るそれは、十分すぎるほどに不気味だった。裂かれたシーツは風によって無秩序に翻り、そこに雷光が当たる。何の意味もない動き。しかし、幽霊だと思い込んだ者の目には手足が動いているように見える。


「そこにいるんだよ、カルトンが!」

「でしたら陛下に会いに来たのでしょう。俺の前に出てこないことが何よりの証明です」

「何で見えないの? ほら、怒った顔でこっちを見てるじゃないか」


 何度見たところでそこにあるのはシーツでしかないのだが、幽霊に怯えたアルケイルには全く違うものに見えている。ゾーイは念のため、どのあたりが顔に見えるのか考えてみたが、恐らくシーツを束ねた箇所だろう、という推測しか出来なかった。


「ゾーイが言った通り、きっと僕を怒っているんだ。僕が侯爵家を」

「それは違いますよ、陛下」


 言葉を遮るようにして、ゾーイはアルケイルに告げる。


「父はそんなことで陛下に怒ったりは致しません」

「で、でも今、カルトンは怒っているって」

「えぇ、きっと父は怒っています。しかしそれはロスター家の顛末に関することではありません。陛下のふがいなさにです」


 アルケイルの視線が、窓の外からゾーイの顔へと移動する。驚いたような、戸惑うような、しかし怯えの色は消えていた。


「ふがいなさ?」

「えぇ、そうです。ロスター家に与えられた使命は、王族を守ること。そして命をかけてお守りした方が、立派な王に成長するのを見届けることです。父はその命を終える瞬間まで、それを望んでいた。息子として断言します」


 雷が空を走る。風が再び窓の外のシーツを揺らした。その動きは先ほどよりは少し鈍くなっている。シーツが水を吸い込んで重くなったためだろう。あまり話を長引かせるな、とリアンに言われたことを思い出しながら、ゾーイは言葉を続けた。


「それが今はどうですか? 陛下は既に十年前に消え失せた侯爵家のことを気に病み、父の亡霊に怯えている。もし俺が父ならば、そのふがいなさに悔しさと憤りを覚えるでしょう。我がロスター家が仕えるのは、王として生まれ王として生きる者でなくてはいけないと」


 堂々と、一寸の躊躇いもなく述べる姿に、アルケイルが気圧されたように目を瞬かせる。

 その瞬間にも、ゾーイはリアンに言われたことを頭の中で反芻していた。遊び場であった小部屋で、自らシーツを切り裂きながら、リアンはまるで詩でも口にするかのようにゾーイに命じた。アルケイルを混乱させろ。圧倒しろ。納得させろ。周りに流されやすく浅慮であるが、決して愚かではない。だから考える暇を与えるな。

 一国の王に対する評価とは思えない言葉を紡いだ後に、リアンは「信じやすいのが奴の長所だ」と締めくくった。

 細く分かれたシーツを手にして微笑んだリアンは、どこか幼くも見えた。それは場所がそうさせたのかもしれないし、あるいはゾーイがそう望んだのかもしれない。リアンが嬉しそうにしているのを見るのが、ゾーイは昔から好きだった。しかし、この十年間でリアンの心からの笑顔を見ることが出来たのは数えるほどしかなかった。特に前半の五年は皆無だったと言って良い。侯爵から平民になった元婚約者を守るために、幼い令嬢は全神経を張り巡らせているように見えた。


「陛下。父のことを少しでも哀れと思うなら、父に立派な王としての姿を見せてください」


 真っ直ぐに瞳を見つめ、ゾーイは力強く言った。アルケイルは反射的に数回頷いたあとに、不安そうに視線を彷徨わせる。

 誰かに助けを求めているような仕草だったが、此処にはゾーイ以外の人間はいない。残るのは窓の外で揺れるシーツだけである。


「で、でもどうやって?」

「宣言を。神の前にて王としての誓いを述べる時と同じです。ご自分が王としての責務を果たし、父を安心させることを宣言して下さい」

「そんなことでいいの?」

「そんなことと言いますが、陛下のお言葉は国よりも重い。覚悟して口にすることが大事なのですよ」


 ゾーイはアルケイルが何か言うより先に、どこか悲しそうな表情を作ってみせた。


「お願いします、陛下。俺も父が彷徨っていると思うと身を裂かれる想いです」

「ゾーイ……」


 紫色の目に同情の色が浮かぶ。一度、アルケイルは大きく息を吸い込んでから窓の方へと再び向き直った。その横顔は、まだどこか恐怖をにじませてはいたが、先ほどまでのみっともなく狼狽えていた時とは別人のように見えた。増税を巡る話し合いの時に見せたような、覚悟を持った国王がそこにいた。


「確かに、そうだよね。王は僕なんだから、しっかりしないとカルトンにもゾーイにも失礼だ」


 アルケイルは自分の剣を抜いた。そしてそれを顔の前に水平に掲げる。柄を握った右手に左手を添え、人差し指と中指を真っ直ぐに伸ばす。祖先の魂や、それに準ずる人間に対する最上級の仕草。その格好を保ったまま、アルケイルは声を張り上げた。


「カルトン・ルパート・ロスター侯爵に告げる!」


 折よく雷が鳴る。稲妻の光がアルケイルの顔と剣を照らした。ゾーイはそれを静かに見守る。宣言する相手がシーツの束でなければ、絵になる光景だった。


「僕は、アルケイル・シンドラ・ファリティーニはここに誓う!」


 廊下の先まで響く声。離れた場所を見回っていた衛兵騎士達が、何事かと近づいてくる。ゾーイは彼らが必要以上に近づかないよう手で制した。あまり近づかれては、シーツに気付かれてしまう。折角ここまでお膳立てをしたというのに、つまらない失敗をしたくはなかった。屋上で強雨に打たれながら、シーツを吊り下げているユーリのためにも。


「僕はこの国を守る王になる! いや、僕を支えてくれる全ての人を守る! 父も、カルトンの遺志も!」


 雷を打ち消すほどの大声にも関わらず、何を言っているかはその場にいる全員に届いていた。王妃選びのパーティでの挨拶や、増税を告げた時の書面とは違い、アルケイルの心からの言葉が続く。


「衛兵騎士やゾーイに護られているだけの弱い僕を、カルトンは叱責するために来てくれたんだろう? 僕はそれに応えなければならない。例え不十分でも不完全でも!」


 騎士達は黙って、アルケイルの言葉を聞いていた。誰もそれを遮るものはいない。雷すらも、もはやアルケイルの前では無力だった。

 ゾーイはその後ろ姿を見ながら、自分の首や腕に鳥肌が立つのを感じた。リアンが求めていた「立派な国王」が此処にいる。様々な工作も駆け引きも、きっと全てはこのためだったのだと、ゾーイは確信していた。リアンはアルケイルが自ら奮起することを望んでいたに違いない。


「だから、カルトン。安心して眠ってくれ。次に会う時には、良い知らせが出来るだろうから」


 アルケイルが目を閉じて、剣を自分の頭より高く掲げる。誓いが自分の命より重いことを証明するための動作。ゾーイはそれを見て、潮時だと判断した。アルケイルの傍らをすり抜けて、窓の方へ駆け寄る。窓枠に手を掛けると、そのまま力一杯外へと開いた。同時に、シーツの束が上へと引き上げられる。


「父上、お聞きになりましたか。どうぞ、ご安心ください。陛下には俺がついています」


 開け放たれた窓から、雨と風が中へと入り込む。ゾーイの銀髪が乱れ、頬や額に貼りついた。出来ることなら早く窓を閉めてしまいたかったが、流石に不自然なので我慢をする。シーツを隠してもらう合図であることを、アルケイルに悟らせてはならなかった。


「陛下、父はまだいますか」


 その問いかけに、アルケイルが顔を上げた。開け放たれた窓を、そしてその左右を見る。少しの間を挟んで、アルケイルは呆気に取られたような声を出した。


「……消えたみたいだ」

「きっと陛下のお姿に安心したのでしょう。俺も同じ気持ちです」


 窓を閉じると、まるでそれを合図にしたかのように、遠巻きに見守っていた衛兵騎士達が二人の前へと並んだ。いずれも熱い視線をアルケイルへと注いでいる。そこには若い国王に対する尊敬の念があった。

 アルケイルはその視線を真正面から受け止め、何かを確認するように頷いた。


「皆には迷惑をかけた。全ては僕の不甲斐なさが原因だ。二度とこのような姿を見せないようにしよう。それが亡きロスター侯爵の願いでもあるはずだから」


 騎士達が両手を組み、それぞれの手首に指先を添える。言葉はなくとも、一糸乱れぬその動作が、王への尊敬と忠実を示していた。

 ゾーイは彼らから少し距離を取った場所で見守っていたが、ふと何かの違和感を覚えて、視線を廊下の先へとずらす。何か白い影が、シーツよりも遥かに鮮やかな軌跡を描いて階段の方に横切っていくのが見えた。慌てて目を凝らすが、既にその影は消え去っていた。


「……まさか、な」


 自分自身に言い聞かせるような呟きは、雷と雨の音で掻き消された。

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