12.王の告白
むせ返る、という表現は本来は相応しくないのだろう。しかし、空から流れ落ちるかのように光りながら轟く雷を聞いていると、そんな表現しかゾーイには思いつかなかった。
広々とした廊下には、窓にはめ込まれた格子の影がくっきりと浮かんでいる。幼い頃に大人に連れていかれた狩りで見た、鹿用の罠にも似ていた。父親はその罠のことを「死への誘い」と呼んでいた。きっとそんなことを言ったら、アルケイルは余計に怯えるし、リアンは鼻で笑うに違いない。
「何考えてるの? 御父上のこと?」
恐々と伺うような声に、ゾーイは我に返る。廊下の壁を背にして立ったアルケイルが、ゾーイを見ていた。既に夜も更けているが、二人とも昼間と同じ格好で、違う点と言えばアルケイルは王家の印が入った片手剣を、ゾーイは衛兵騎士が持つのと同じ細剣を携えていた。アルケイルがあまりに、幽霊の存在を否定しようと声高に叫ぶため、バルトロスが「ならばそれは賊でしょう。武装をしたほうがよろしいですぞ」と言ったためである。どう好意的に解釈しても、その時のバルトロスの態度は、面倒な人間を相手にするときのそれだった。
「そうですね。王城で剣を持つのは、父が亡くなってから初めてです」
「ゾーイは剣を持っていたほうがいいと思うよ。僕よりずっと強かったし、似合ってた」
「恐縮です。しかし、お嬢様が嫌がります」
「お嬢様、ね」
アルケイルは左右を見回してから、声を潜めて何かを言った。だがそれは雷鳴に掻き消されてしまう。そのため、結局普通の声量でアルケイルは繰りかえす羽目になった。
「リィのこと、どう思ってるの?」
「無茶をするな、と思っています」
「そうじゃなくて。リィがゾーイを手元に置いているのは、ゾーイのことを愛してるからだろ」
「どうでしょうね。答え合わせは難しいと思いますが」
「絶対にそうだよ。だってリィは非合理的なことはしない」
「えぇ、お嬢様は小さい頃からそういうお方です」
はぐらかすようなゾーイの答えに、アルケイルは眉を寄せた。
「リィのこと、嫌い?」
「それはあまりに子供っぽい質問ですよ、陛下。嫌いな年下の女に仕えるほど、俺は酔狂じゃありません。そして自惚れるほど自信家でもない」
「僕はリィが苦手だよ」
子供っぽい、と評されたことなど意にも介さぬ様子でアルケイルは呟いた。
「僕が持ってる常識とか理想とかを全部ひっくり返してくる」
「大袈裟ですね。ボードゲームで大敗を喫したぐらいでは?」
「子供の頃のボードゲームは一大事だろ。ポトラ・テンダで五連敗した時に、家庭教師がリィを𠮟りつけたの覚えてる?」
「えぇ、少しは手加減をしろ、という内容を非常に回りくどい表現で言っていましたね」
「じゃあリィが何て返したかも覚えてるよね。「負けを知るからこそ、勝つことの意味を得ると思います。全ては殿下のためです」だよ? 六歳が言う言葉じゃないよ、あんなの」
幼い頃からリアンは賢かった。周囲の大人たちは、リアンのその賢さが対人関係にも効果を発揮すると信じていたに違いない。アルケイルの「良き遊び相手」となり、その自尊心を育てていってくれるものだと。
だが現実にはそうならなかった。リアンはその頭脳を王子のご機嫌取りのために使うことは一切なかった。大人たちが怒鳴ろうと宥めすかそうと、幼い令嬢は眉一つ動かすこともなく、「わかりません」とだけ返していた。傲慢で狡猾で、自分の価値というものを決して過小評価も過大評価もしなかった。ゾーイはその当時のことを思い出して思わず微笑む。あの幼い世界で、アルケイルとリアンの力関係は決まってしまった。苦手に思うのも無理からぬ話だし、かといって今更それを変えることなど出来ない。
「陛下はお嬢様が嫌いですか」
「嫌いじゃないよ。苦手と嫌いは別物じゃないか」
「まぁそれは確かに」
ゾーイが笑っているのに気が付いたアルケイルは口を尖らせた。
「何かおかしいこと言った?」
「いえ、別に。……そういえば、先ほど執務室で何かを言いかけましたよね。父が怒っているとか」
話題をすり替えたゾーイだったが、その途端にアルケイルの表情が強張ったのを見逃しはしなかった。窓から入り込んだ雷光に照らされて、その表情が肌に印影を刻む。
「それは……」
「父が陛下に怒りを向けるなど、あってはならないことです。もしそれが本当であれば、俺は陛下に謝罪をしなければ」
「ゾーイには関係のないことだよ」
「いいえ、関係はあります。絶えたとはいえ、俺の一族は王室の安寧のために存在したのですから」
少し芝居がかった言い回しだと、ゾーイは冷静に考える。どうやらリアンの話し方を無意識に真似してしまっているようだった。十年以上も一緒にいれば、多少の仕草の類似は避けられない。そういうことだろうと自分を納得させる。
言いにくそうに口元を歪めるアルケイルに一歩近づき、落ち着かせるように優しい声をかけた。
「今なら他に誰もおりません。陛下の意のままに話して結構です」
「……十年前」
視線を少し伏せたまま、アルケイルが口を開く。声は小さくて、注意して耳を傾けないと、すぐに外の音にかき消されてしまいそうだった。
「宰相がカルトンを……ロスター家を邪魔に思っていたのは知ってた。父上もどうにか止めたかったみたいだけど、宰相派の力が大きくて止めることが出来なかったんだ」
「止める? それだとまるで宰相殿が何かを画策したように聞こえますよ」
「ゾーイだってわかってるでしょ。いや、皆わかってる筈なんだ。ロスター家は王城における兵力を統括する立場にあって、地方の貴族たちをまとめ上げる力を持っていた。宰相はまだ地方への影響力を持っていなかったし、政治には口を出せても、兵力には手を出せなかった。二つの欲求を満たすには、ロスター家に消えてもらうしかなかったんだよ」
「しかし、それでどうして父が陛下に怒りを向けるんですか。宰相にならわかりますが」
口調は優しいまま、ゾーイは続きを促す。しかしその眼は冷たい感情に満ちていた。
心の奥底に閉じ込めたはずの負の感情。誰にもぶつけることが出来なかった憎しみや悲しみが、そこに集まろうとしていた。
「……父上は、カルトンを守ろうとしたんだ。だってそうだろ。カルトンは父上の戦友だったし、信頼されていた。父上はロスター家から護衛としての任務を外そうとしていたんだ。そうすれば、宰相も思い切った行動には出ないはずだと思って」
「……しかし、そうはならなかった。二つの役目は一日ではありますが、俺の元に残った」
「僕が嫌だって言ったんだ。護衛じゃなくなれば、ゾーイが城に来なくなると思って。ゾーイだけじゃない。きっとリィだって来なくなる。だから……だから父上に、護衛の任を解かないように頼んだんだ」
一際大きな雷鳴が、アルケイルの言葉の最後をさらっていった。ゾーイはその音に我に返ると、前髪を手でかき上げる。その眼はいつもと同じ、穏やかなものに戻っていた。
アルケイルの告白は、存外つまらないものだった。本人が自責の念に苛まれていること自体は、ゾーイが口出しできる領分ではないため放っておくしかないが、少なくともその原因である「父王に頼んだためにロスター家が滅んだ」というのはアルケイルの思い込みである。称号を持つ侯爵家を、前王がどうにかして存続させようとしていたならば、王子の子供っぽい懇願でそれを覆すことはない。恐らくは単純に、手を回すのが間に合わなかったのだろう。そしてそれはアルケイルの責任ではない。
「陛下。そこまで俺のことを考えてくださり、ありがとうございます」
「ゾーイ、僕は」
「ですが、前言は撤回いたしましょう。父は陛下に怒っています」
驚いたように顔を上げたアルケイルは、しかしそのまま硬直した。その視線の先には格子の嵌められた窓がある。その向こう側に白いぼんやりとした影が、まるでアルケイルを嘲笑うかのように揺れていた。
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