11.侯爵の怒り
「き、聞いた? 聞いたよね。幽霊の話」
「陛下、落ち着いてください」
ゾーイは困惑しながらも、相手を宥める言葉をかける。だがアルケイルは興奮気味に首を左右に振って、悲痛とも取れる声を出した。
「ゾーイの御父上の幽霊が出たんだよ。いや、僕は信じてないけどさ、でも皆がそう言うし、百合の花の匂いもそうだけど、今日は雷も鳴ってるから……」
「雷……? あぁ、雷ですか」
かつてゾーイ・ルパート・ロスター侯爵だった男は眉を寄せる。ロスター家が祀る神は、雷神ルパであり、ゾーイや歴代の当主が有していた名前もそれに因む。普段なら気にも留めないであろう雷雨を、アルケイルがロスター侯爵家と結びつけてしまうのも無理はない話だった。
「陛下、その男は既に陛下の護衛ではありません」
リアンが静かに告げたが、アルケイルの耳には届いていなかった。
「無駄だ。やめておけ」
すぐ傍の椅子に腰を下ろしていたバルトロスが、うんざりした声を出した。
「しかし、陛下ともあろう方が」
「普段なら儂もそう言うが、馬鹿馬鹿しい話をそこの下男が引き受けてくれるなら願ったり叶ったりだ」
どうやらリアンたちが来るまで、アルケイルの話し相手を務めていたらしい老人は、視線を一切合わせぬままでそう言い切った。話しながらの手慰みにしていたのか、右手に握りしめたハンカチーフが皺だらけになっている。余程面倒だったのだろうと、リアンは珍しく同情した。
「侯爵の亡霊などくだらない」
「全くです」
「ほう。てっきり女は幽霊の話には怯え泣き叫ぶものだと思っていたが」
「ではそのようにいたしましょうか?」
リアンが尋ねるのに対して、バルトロスは不愉快そうに鼻を鳴らした。
「くだらんな。実にくだらん」
「しかし、このままでは陛下の醜聞になりかねません。幽霊に怯える国王など」
「わかっている」
苛々と吐き捨てたバルトロスだったが、言葉は続かない。リアンはその様子を冷たい眼差しで見つめる。いつもと違い、老人の言葉には勢いしかなかった。くだらないことだと自分自身に言い聞かせているようにも見える。カルトン・ルパート・ロスターが幽霊となって現れる筈がない、と自信を持って言うことが出来ず、そしてそのことに自分自身で憤りを感じている。リアンはそう分析した。
「この騒動を納めないことには、政治どころではありませんね」
「あぁ、その通りだ」
「いかがでしょう、宰相殿。ゾーイを今日はこの城に泊まらせるというのは」
「何?」
渋い表情になったバルトロスが何かを言いかけるのを、リアンは手で制して続けた。
「恐らく、陛下を宥めることが出来るのはゾーイだけです」
「夜通し子守唄でも歌うつもりか」
「そうではありません。本当にロスター侯の幽霊がいるのであれば、息子に会いに来るはずです。もしゾーイのところに幽霊が現れなければ、そんなものはいないと陛下も納得していただけるのでは」
バルトロスが考え込む。その後ろで、今もアルケイルは怯えているのか虚勢を張っているのか、よくわからない言葉を喚き散らしていた。ゾーイは慣れ切っているため、涼しい表情のままその相手を務める。
「ずっとおかしかったんだ。ミスト閣下は幽霊が出た日から不機嫌だし、中庭の花は枯れちゃうし、僕は階段からこけるし」
「最後のは陛下の不注意かと」
「絶対そうだよ。カルトンが怒ってるんだ」
「何故父上が怒るのですか」
「だって、僕が……」
アルケイルが口を開きかけた時、バルトロスがわざとらしいほどに大きな咳ばらいをした。それに驚いたのか、アルケイルが瞬時に黙り込む。
「良いだろう、リアン殿。貴女の考えに乗ろうではないか」
「ありがとうございます」
「但し、その下男が陛下と寝食を共にすることは許さぬ。あくまで、衛兵騎士の手助けとして城に滞在するのだ。良いな」
まるで自分が王であるかのように振舞うバルトロスに、少し冷静になったアルケイルが不満そうな顔をした。
「それは宰相が決めることじゃないだろ」
「身分の違いを明確にしているだけです」
「だったら主君の違いも明確にしなきゃいけないと思うよ。ゾーイはリィの従者で、宰相の命令を聞く立場じゃない」
思わぬ反撃にバルトロスが口を噤む。その禿げ上がった額に青筋が薄く浮かぶのが見えた。
「陛下。宰相殿のご指示は的確です」
青筋が濃くなる前にリアンが口を開いた。
「そして陛下のお気持ちも、主君としてはありがたいこと。此処は私も城に滞在することで、両者の顔を立てたく思いますが」
いかがですか、と結んだリアンに対して、男二人はそれぞれ視線を逸らした。どうやら今のやり取りが、いかに馬鹿げたことかを自覚したようだった。
「……まぁ、儂としてはどちらでも良い」
「僕も別に構わないよ。リィの好きにしたらいいと思う」
「ありがとうございます。あぁ、御安心下さい。このリアン・エトリカ・シンクロスト、例え誰かに脅されたとしても、陛下と浮名を流すような真似はしませんゆえ」
「それって僕の相手なんて頼まれても御免だって言ってない?」
「ご随意に」
優雅に礼をしたリアンに、アルケイルは複雑な顔をしたままだった。
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