10.幽霊への期待
迷いもなく言い切ったゾーイに、ユーリは少し怯んだようだった。そこに、在りし日の前侯爵の姿でも見たのかもしれない。少しばかりの躊躇を挟んでから、しかしユーリは再度口を開く。
「シンクロスト様も同じ考えですか?」
「私は処刑人だ。死者の魂には敬意を払う。従って幽霊話の存在を頭ごなしに否定することはない。だが、ゾーイの意見には賛成だ。もし本当に侯爵の幽霊がいるのであれば、まずは苦労を掛けた愛息子の前に出てくるべきだろう」
「意外です。シンクロスト様は幽霊は信じていないものかと」
リアンはあまりに安直な解釈をした相手に、首を左右に振って見せた。
「そうではない。幽霊の存在はともかく、幽霊話は存在するというだけだ」
「何が違うのでしょうか」
「話には意味がある。それがどんなくだらない理由だとしても」
そう言って柔らかい笑みを零したリアンに、ユーリは虚を突かれた表情になった。幽霊の話をしているにしては、その笑みはあまりに優しかった。
「隊長殿。既にご存じだろうとは思うが、夜通し城を歩き回ったところで幽霊がいない証明にはならないぞ」
「そ、それは勿論です」
「第一、衛兵騎士団が幽霊探しなどしていては、士気も下がろうというもの。陛下のお戯れに時間を費やすことはない」
「しかし、そういうわけには」
「私が手を貸そう」
雷の音が響く。そして数秒経ってから雨が階段を打ち付ける音が鳴り始めた。急な雨ではあるが、外にいる騎士団がそれに慌てた様子はない。
「シンクロスト様がですか?」
「理由は三つだ。一つ、貴方がたの本来の職務を尊重したい。二つ、この騒動が外に漏れれば王家にとって不名誉なこととなる。三つ、陛下には仕事をしていただきたい」
手袋に包まれた指を一本ずつ立てながら述べたリアンは、「特に三つ目が重要だな」と軽い口調で言って指を動かした。
「シンクロスト様には、この事態を収める手段があると?」
「私は出来もしないことを口にしたりはしない。勿論、これはただの提案だ。話を受けるかどうかは、貴方次第。騎士団が幽霊に怯えて女の力を借りた、などと言われたくはないだろうしな」
挑戦的にそう言ったリアンに対して、ユーリは腕組みをして考え込む。寄せられた眉間に刻まれた皺は深い。加齢のせいもあるだろうが、その動作を日常的に繰り返しているに違いないと思わせるほど影が濃い。
そうしている間にも雨音は次第に強さを増していく。この時期の雨は珍しいことではないが、雷を伴う場合は特別な意味を持つ。雷神ルパが人々に種を撒く日を教えるため、その両手に自らの髪を握りしめて空で踊っているのだと言い伝えられていた。
雷が一つ落ち、その音が城へと届く。それに合わせるように、ユーリが顔を上げた。
「お知恵を貸していただけないでしょうか」
「良いのか」
「こういったことは速やかに対処すべきだと思います。長引けば長引くだけ、収束が難しくなるかと」
「良い選択だ。では後程、策を貴方に教えよう。今でもいいのだが、一度陛下のご様子を確認したいからな」
ユーリはそれを聞くと黙って頷いた。そして、扉の周囲に誰もいないことを確認してから二人を外へ導く。分厚い扉の陰から出た途端、外の雨が一層音を増す。
「それでは後程、お待ち申し上げております」
「わかった。この件、他言は無用だ。速やかに事を終わらせるためにも」
相手が頷いたのを確認してから、リアンは歩き出した。一度も振り返ることなく歩き続け、やがて背中に感じていた視線が消えたのを認識すると、ゾーイにだけ聞こえるように呟いた。
「上手く行ったな」
「本当に尤もらしいことを言うのは得意ですね」
「説得力があると言え」
堂々と返したリアンだったが、ふと伺うような視線を肩越しにゾーイへと向ける。
「怒っているか?」
「はい?」
「お前の父上、カルトン殿を幽霊にしたことを」
「いえ、別に。さっきも申し上げましたが、俺は幽霊は信じておりませんので」
ゾーイは口角を吊り上げて可笑しそうに笑った。
「父上も母上も俺のところに来てはくれませんでしたから。まぁ信じたい方は信じればいいと思いますけどね。俺はそういうものに期待をするのは一切やめました」
「その割に、神や精霊は信じているではないか」
「幽霊はいないとわかると哀しいものですが、神や精霊はいないところで困りませんので。やっぱりいないんだな、程度のものです」
しかし、そこでゾーイは「あぁ」と短く声を出した。
「でもお嬢様は女神の力で戻ってきたんですよね」
「あぁ、だから神はいる。喜ばしいな」
「うーん……。いるんだなぁ、程度の感想です」
「そうか。私は腹立たしくて堪らなかった」
執務室への道を少し早足に進みながら、リアンは苦い顔をした。
「前の人生で恥もなく祈ったのに、彼らは応えてくれなかった」
「お嬢様が神に祈るなんて、相当ですね」
「仕方ないだろう。悪政に抗う術を持っていなかったのだから。結局、私も神に期待するのはやめた。辞めた途端にこれだ。人生とはわからないものだな」
他人事のように溜息をついたリアンは、執務室の扉の前に立つ。いつもと同じ、老いた衛兵騎士が恭しく礼をして扉を開けた。リアンは扉が開ききるのを待ってから、中へと踏み出す。耳障りな悲鳴が聞こえたのは次の瞬間だった。
「ゾーイ!」
誰の声か考えるまでもなかった。こんなに切羽詰まった声でゾーイを呼ぶ者は、この部屋には一人しかいない。
自分の席を立って出入口に近づいてきたアルケイルは、リアンのことなど目に入らないように通り過ぎて、ゾーイの前にたどり着く。その顔には焦燥が色濃くにじんでいて、いつも以上に何かに怯えた表情だった。
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