9.彼女ならば
「相手が何かを求める場合、そこには理想の答えがございます。理想に少し届かない答えを出せば、相手はどうにかしてその答えを変えようといたします。そうすれば理想の答えが手に入るからです」
「なるほど。交渉術にも似たようなものがありますね」
「えぇ。大抵の殿方にはそれで通用いたします。しかし、それは相手が素直に手の内を明かしてくれる場合です。宰相様相手にはそれが通用しない」
「それは」
ゾーイは腕組みをして考え込む。
「……宰相殿も同じ手を使うから、ですか」
「いいえ、少し違います。宰相様は嘘の目的を吐き、そこに飛びついてきた方を利用するのです」
それにはゾーイも心当たりがあった。
オスカー侯爵家が良い例だろう。バルトロスはそうして自分に都合の良い手駒を手に入れてきた。
「そのような方に正攻法は通用しませんわ。堅実に「証拠」を集めて宰相様に突きつけ、リアン様を助け出したとしましょう。それは宰相様に私たちの手の内を明かしたことにしかならない。次は、そんな暇も与えずにリアン様を抹殺しようとするでしょう」
「確かに、それはあり得ますね。では奇策を講じるのが良いと?」
「はい。私は愚かな女ですから、殿方のことと薔薇のこと以外は詳しくありません。しかし、薔薇を狙う害虫をどうすれば良いかは知っております」
スコーンを手に取ったアリセは、行儀よくそれを口に運ぶ。何度か咀嚼して飲み込んだ後に、口元を手で隠しながら
「退路を断てば良いのです」
と言った。口元が隠されているために、その目の笑みが殊更強調される。
リアンのものとは徹底的に違っていて、それでいて同等の凄みがあった。
「進むも退くも出来ないようにして一気に仕留めます。諭したり慈悲を与えてはいけません」
「進むも……退くも……」
アルケイルが難しい表情をした。
「言い逃れ出来ないようにするってこと?」
「それでもいいですけれども、先ほど言った通り宰相様に正攻法は通用しませんわ」
「じゃあどういうこと?」
「私、あまり頭はよくありません。殿方とのお話で、私にはさっぱりわからないことが出てくることがございます。徴兵だの徴税だの、歴史だの」
アリセは急に違う話を始めたが、二人の男は黙ってその続きを待つ。この場で全く関係のない話を始めるような人間ではないとわかっているためだった。
「陛下のお話もよくわかっていないことがございます」
「でもこの前、増税に反対した時には淀みなく話をしていたじゃないか」
「えぇ、でもそれは「陛下だったらどう考えるか」を基準として話をしているからなのです」
「僕だったら?」
「陛下は次に何と言うか、次はどのようなことを求めてくるか。そういったことを考えれば、大した知識はなくとも対等に話すことが可能なのです」
「それには相手の話を聞き逃さないという技術を要すると思いますが」
ゾーイが指摘すると、アリセは視線をそちらに向けた。
「駆け引きの基本でございます」
その顔を見て、ゾーイはリアンが彼女を王妃にしようとした意味を理解出来た気がした。
「話を戻しますわね。私は誰の気持ちになってみるのが一番効果的か考えました。誰が一番、正解に近いのか。恐らくはリアン様です」
「リィだったらどう考えるかってこと?」
「はい。陛下はご存じないでしょうが、私はリアン様と何度かお話をしたことがあるのです」
アリセは何でもないような口調でリアンとの邂逅について明かしたものの、その追及がアルケイルから来る前に話を元に戻した。
「リアン様だったらどうするか。どうすれば宰相様を追い詰めることが出来るのか。残念ながら追い詰める方法まではわかりませんでした。しかし、いつ追い詰めるかはわかりました」
「本当ですか」
「えぇ」
勿体ぶるような間が開いたが、テーブルの上に置かれたアリセの指先は白くなっていた。
自分が今から口にする言葉が正解かどうか、果たして口にして良いのか。その葛藤をテーブルの縁を握りしめることで耐えているようだった。
「陛下」
アリセは小さな溜息を挟んでから、アルケイルに視線は合わせずに口を開く。
「リアン様の処刑を、宰相様に進言してください」
「は?」
アルケイルが素っ頓狂な声を出す。緊迫した空間に相応しくないほどの上ずった声だったが、アリセはそれに構わず続けた。
「処刑の日です。宰相様を追い詰めるのはその時しかございません。シンクロスト家の令嬢が処刑されるとなれば、大勢の方が集まるでしょう。大衆を前にして、宰相様は誤魔化しも退却も出来なくなる。否が応でも陛下と対峙せざるを得なくなる」
「それは……確かにそうかもしれないけど」
「リアン様ならそこを狙います」
未だにテーブルを握りしめながらも、アリセは淀みなく続ける。
「あと少しでリアン様を処刑出来る。しかし処刑をするためには陛下の追求を逃れなければならない。そして大衆を納得させなければならない。追い詰めるには非常に効果的です」
「でもそれは僕たちも同じだよね。宰相を追い詰めると同時に、見ている人たちも納得させないといけない」
「えぇ、その通りです。これは賭けに近いでしょう」
アルケイルはテーブルに肘をつき、眉間を指で摘まんだ。紫色の瞳はテーブルの上を見ている。
その恰好のまま、アルケイルはアリセではなくゾーイの方に声を掛けた。
「どう思う?」
「アリセ様の仰ることには賛成します。お嬢様ならそこを狙うでしょう」
「僕もそう思う。あとは、どうやって宰相を……」
「それについては俺に考えが」
ゾーイは静かに告げる。銀髪をかき上げながら口元に薄く笑みを浮かべた。
「アリセ様は良いことを仰ってくださいました。この中でリィの思考を一番上手くなぞれるのは俺でしょう」
「何か思いついたの?」
「えぇ。リィならこうするだろうな、という仮説ですが。これを実行するのは陛下にしか出来ません」
陛下にしか、とゾーイは繰り返した。アルケイルは目を何度か瞬かせる。
しかし、最後には強く目を閉じると、決意を固めて思い切り見開いた。
「僕がすることに意味があるんだね?」
「そうです。俺やアリセ様では。まさか、ミスト閣下に頼むわけにはいかないでしょう?」
ゾーイの冗談に、アルケイルは口角の片方だけを吊り上げるようにして笑った。
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