第五章
1.傾国の処刑人
群衆の歓喜の声がどこまでも響き渡る。悪政を強いた王が処刑されることを、心から喜んでいるようだった。
王の処刑の日に並べられた、他の罪人たちの中にバルトロスだけがいなかった。どこかに逃げおおせたのだろう。リアンは処刑人の仮面の下で、そんなことを淡々と考える。返り血を浴びた黒い服は、見た目ではそうとわからないながらも血の匂いを濃く漂わせていた。
今しがた斬りおとした男の体から出た血は、酷く重いように感じた。リアンはそれでも、いつものように真っ直ぐとした足取りで断頭台の階段を下りる。仮面の中まで血の匂いが染み込んでいた。
「処刑人様」
使用人の一人が、静かな声でリアンを呼ぶ。処刑においてシンクロスト家の人間は、その固有名詞を呼ばれることがない。個人の人格をそうやって切り離すことで、人の命を奪うことに対する罪悪感や躊躇いを消すことが目的だとされている。
「今、王城のほうより連絡が。シンドラ三世から王の資格が剥奪されたそうです」
「そうか。思いの外粘ったな。大方、王家の縁戚どもが次の国王を決めるのに揉めただけだろうが」
リアンの冷静な物言いに対して、使用人は顔を少し歪めた。
「王の護送は」
「既に。あとしばらくすれば到着すると思います」
「くれぐれも失礼がないように。傾国王とて王だったことには変わりない。その祖先に対する礼儀は必要だ」
「心得ております」
伯爵家に長く仕える使用人の男は神妙な面持ちで言った。
少し収まりかけた群衆の声が、再び一気に膨れ上がる。リアンは断頭台に続く階段の陰から、その声の方を見た。真っ赤なドレスのようなものが見える。実際には朱色で染めたシーツに過ぎないが、かつてその人間が身にまとっていた赤いドレスによく似ているように見えた。
「引き出すのが早すぎるな。まだ斧を清めていない」
「申し訳ございません。旦那様の指示でございます」
「まぁ下手に出し惜しみをすれば、見物客が儀式を台無しにするかもしれないな。父上らしい判断だ」
リアンは地面に置かれていた石造りの桶に、処刑用の大斧を置いた。そして傍らにあった甕を手に取り、中の水をゆっくりと桶に注ぎ込む。聖なる泉から汲み上げた水で清めた斧でないと、処刑を行うことは出来ない。数多くの処刑の取り決めは、全てリアンの頭の中に入っていた。
「彼女の髪は切ったか」
「先ほど、男爵により。髪を持ち帰りたいからと」
「少しは娘のために命乞いでもすればいいものを」
「無意味だと、ご存じなのでしょう」
男はあまりにあっさりとした口調で言う。恐らく、その断髪の儀式を見届けたに違いない。
処刑に携わる人間、要するにシンクロスト家の重臣たちはそういったことに慣れている。慣れなければ、早々に自分たちの精神が潰れることを知っているからである。
「男爵は宰相の行方は?」
「御息女と同様です。全く知らないと。処刑が終わるまで待機していただいておりますが、詰問いたしますか?」
「いや」
リアンは赤く染まった水を見下ろしながら否定を返した。
「知っているのであれば、すでに口を割っている。オスカー侯爵と違って彼らは盲信的に宰相に従っていたわけではない」
処刑人のための控室には、いまや血の匂いが充満していた。早急に清掃を行わなければ、明日には悪臭と変わっているだろう。
一日に五人もの処刑を行うのは、リアンは初めてだった。いつもなら二人ぐらいは自分で処刑して、あとは異母弟や血の繋がらぬ兄たちに任せるところであるが、生憎彼らは此処にはいない。アルケイルに擦り寄って地位を得ようとした結果、バルトロスに利用されて全員死んだ。死に方もその理由も様々で、確か二番目の兄は衛兵騎士団の隊長と共に処刑された。濡れ衣を重ね着したような罪状があまりに馬鹿げていて、リアンは嘆くより先に笑ってしまったことを思い出す。
兄や弟のことは嫌いではなかった。だからこそ、一応は忠告した。しかし彼らは女であるリアンの言うことなど聞き入れなかった。
「布を」
リアンの言葉に、男がすぐに清潔な白い布を手渡した。
処刑の度に作られる、シンクロスト家の紋章を染めた白い布。それを使い、斧についた水分を拭っていく。
「しかし皮肉なものだな。処刑という稼業のために、革命の標的にならずに済むとは」
「皆、神罰が恐ろしいのです。儀式に則り行われなかった処刑がどのような結果を生むか」
「本当に神がいるのであれば、今こそ力を見せるべきだと思うが」
誰かが戸を控えめに叩く。使用人はそれに気づいて扉を細く開けた。外にいる誰かと短く言葉を交わした後に、銀色に塗られた籠を受け取る。重さのあるそれを大事そうに抱えたまま、リアンの近くに戻ってきた。籠には黒い布がかけられ、その下にある何かによって中央が盛り上がっている。
「先ほどの首です」
「此処に持ってくる必要はない。然るべき処置を行い、遺族に渡せ」
男は一瞬驚いた顔をした後に、首を左右に振った。
「この者には遺族はおりません」
「知っている。冗談だ」
趣味の悪い冗談を、リアンは笑いもせずに言った。笑ったところで顔は仮面に隠されていて相手には伝わらない。
「誰が持ってきた」
「カリーチェです。旦那様に言われたそうで」
「父上の気遣いは、どうにも的を外しているな」
リアンは斧を片手に持ったまま、男の抱える籠の前に立った。黒い布を手袋を嵌めた指で摘まみ、ゆっくり持ち上げる。
血で汚れた銀髪と、虚ろな青い瞳がリアンを見ていた。
「お前も馬鹿な男だな。侯爵に戻りたかったわけではないだろう。アルケイルなど放って逃げればよかったのに」
頬に触れようとして、しかし思いとどまる。処刑の前に余計な血は要らない。
手に何か付着すれば、斧を振るうのに支障が出る。処刑人にとって一番大事なのは、いかに罪人を苦しめないかだった。そういう点では、目の前にある首の断面は、リアンがいかにそれに注力したかを物語っている。
「お前は私よりアルケイルを選んだ。でも結局こうして私のところに戻ってきたのだから、許してやろう」
布から手を放し、リアンは踵を返した。喉元までせり上げた言葉は、アルケイルの処刑を終えるまでは堪えておくつもりだった。
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