2.記憶の彼方

 目を覚ましたリアンは、そこが自分の部屋ではなく城の牢であることをすぐに思い出した。父親が見たら激怒するであろう大きな欠伸をしながらベッドの上で体を起こす。牢の中では上等と言えども、寝心地のいいベッドまでは用意されていない。木の板一枚で眠らなければならない罪人と比べれば恵まれているが、それだけである。

 ベッドから下りて、古ぼけた鏡台の前に腰を下ろす。鏡の中に映る自分は、いつもと変わりないように見えたが、目の下に薄っすらと隈が出来ていた。


「夢見が悪くて寝不足とは笑えないな」


 自嘲気味に吐き捨てる。あの時の夢を見たのは初めてだった。そもそも処刑の夢を見たことなど、一番最初に斧を振った日以来である。あの時は斬りおとした生首が滅茶苦茶な歌を歌いながら飛び跳ねるという荒唐無稽な内容だったが、昨夜のそれは記憶をそのまま再現したものだった。

 前の人生で、アルケイルはゾーイを自分の家臣にしようとしてシンクロスト家に命令を下した。それは王命であり、逆らうことなど許されなかったし、そもそも当主であるリヴァンスに断る理由などなかった。いくら屋敷の中で父親相手に、ゾーイは自分の物であると主張したところで、外部の人間から見れば「シンクロスト家の使用人」でしかない。

 ゾーイは爵位を与えられ、アルケイルの側近となった。そして、処刑された。


「あの女神なら、勘違いしたことを述べそうだな。私の目的はゾーイを救うことだったのではないか、とか」


 鏡の中で笑う自分を見つめながら、リアンは呟いた。

 ゾーイが死んだのは仕方がないことだった。あの状況からリアンに出来ることと言えば、苦しませずに首を斬りおとすことぐらいだった。アルケイルのために死ねるのだから満足だろう、と思っていたほどだった。

 しかし、アルケイルを処刑する時にリアンはかつてない後悔を味わった。こんな男のためにゾーイが死んで、宰相は逃げて、そして自分は斧を握っている。あまりに下らない幕引きだと思った。

 女神が現れた時に、リアンはそれを好機と捉えた。味気もない下らない処刑劇を変えたかった。アルケイル自身が人生をやり直したところで、また似たような結末になるのはわかっている。それどころか、もっと悲惨な物になるかもしれない。リアンは処刑人として、それだけは阻止したかった。正直、アルケイルがどうなろうと知ったことではないし興味もないが、自分が不利益を被るのは我慢がならない。

 それに、宰相が逃げたままなのも気に入らなかった。ゾーイを家臣にしたのはアルケイルだが、それを唆したのはバルトロスに違いない。いざという時の身代わりの一人として、ゾーイを選んだ。


「前の人生に比べれば、今回は上等だ。そうだろう?」


 自分自身に問いかけるように言って、リアンは目を細めた。

 「立派な王を処刑したい」と女神に言ったことは本心である。処刑人であるリアンにとって、人の首を斬りおとすことは穢れた行為ではなく誇りある仕事である。だから、アルケイルたちがそれを穢したことに我慢出来なかった。

 あの二人には罪を償わせなければならない。碌な罰も受けずに死んだアルケイルも、それすら投げ出して逃げたバルトロスにも。


「リアン」


 鉄格子を嵌めた扉の向こう側から、父親の声がした。リアンがそちらに目をやると、自分と同じ色の瞳が、どこか暗い影を孕んで格子の隙間から覗いていた。


「おはようございます、父上」

「そろそろ時間だ。用意は出来たか」

「まだ身支度が終わっておりません。ゾーイがいないと手際が悪くて」

「……呼ぶか?」


 父親らしい不器用な温情に、リアンは思わず笑いそうになるのを堪えて立ち上がった。


「本気で仰っていますか?」

「冗談を言うほど余裕はない」

「父上らしい。ですが結構です。ゾーイは今頃、陛下のところにいるでしょうから」


 リアンがそう返すと、父親が眉間に皺を寄せた。


「誰かに聞いたのか」

「いえ? ですがここは城内です。ゾーイが屋敷にいるのであれば、呼び寄せる間に私の処刑の時間になるでしょう。城にいるからこそ、そのような提案をなさったのでは?」

「最後の最後まで、よくまぁ口の回る。お前が男なら文句なしに家を継がせたものを」

「男も女も首を斬ってしまえば同じですよ、父上。それにその言い分は、義兄上たちが可哀想です」


 リアンは扉に近づくと、格子の上を指さした。


「目隠しの幕を落としていただけませんか。父上が娘の裸を見たいのであれば御止めしませんが」

「妙なことを考えていないだろうな」


 遠回しな言い方に、リアンは口角を吊り上げた。


「ご安心を。ドレスの裾で首を括る真似はいたしません。まだ私にはすべきことがございます」

「すべきこと? 今更何をすると言うんだ」

「一から説明するには時間も言葉も足りそうにない。ですが、父上には一つだけ教えて差し上げます」


 格子の隙間から右手を出したリアンは、その上にまとめられた目隠し用の黒い布を引っ張りながら告げた。


「私は罪人ではなく、処刑人として断頭台に登ります」


 父親がどんな顔をしていたかは、幕を落としてしまったために見えず終いだった。

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