3.処刑の日

 シンクロスト家の令嬢にして現国王の相談役、リアン・エトリカ・シンクロストの処刑について御触れが出た時、民衆が主に驚いたのは「国王暗殺未遂」という罪状であって、リアン本人には殆ど意識を向けなかった。表舞台に殆ど出てくることもなく、他の令嬢たちのように着飾ることもしない彼女のことを知る者は少なかった。処刑場でリアンを見たことがある者もいるが、それは仮面を被って黒い服を着た処刑人であり、その下の素顔までは見ていない。

 しかし民衆にとって、誰が処刑されるかは大した問題ではなかった。処刑とは貴族にとっては儀式だが、民衆にとっては娯楽である。綺麗な服や装飾品で着飾り、自分たちを下に見ている貴族が、ただの肉塊になるのを見に行くことこそが、彼らの退屈な日々を楽しいものへと変える。


 処刑広場に集まった民衆は、それぞれ興奮した表情で断頭台を見据えていた。広場の奥に設置された木製の断頭台は、もう随分前に作られたものに違いなかったが、木材の表面に施された塗料や、四隅を補強する金具のおかげで古臭いものには見えなかった。左右に階段を設置していて、民衆は処刑の瞬間を下から見上げる形となる。首を斬られる者は当然ながら下を見るので、死に際の罪人と目を合わせたい者は、徹夜してまで断頭台のすぐ下に陣取りたがる。


 そんな最高の見物席を手に入れた者たちは、貴族令嬢が首を刎ねられる一部始終をその目に焼き付けようと、そしてそれを家族や友人への土産話にしようとしていた。民衆の中にいる熱心な王室派は、これから出てくる「王様を殺そうとした大逆人」に罵詈雑言を浴びせてやろうと口元をうずうずと動かしていた。またバルトロスの息がかかった富豪たちは、どうにかしてリアンに軽蔑の目を向けてやろうと、必死になって肉に埋もれた両目を鋭い物に変えていた。

 そんな中、断頭台に一人の男が現れた。処刑に相応しくない豪奢な服で肥えた体を包み、豚の毛を仕込んで増量した口髭がよく目立つ。この国の宰相である男の登場に、民衆はさらにどよめいた。バルトロスはそれを咎めるどころか嬉しそうに見回してから、断頭台の裾に控えていた兵士たちに視線を向けた。


「連れてこい」

「処刑の段取りは伯爵が」

「構うものか。処刑の儀式だなんだと言っても、所詮は罪人の首を斬るだけだろう。第一、奴は罪人の父親だ。妙な真似をされては敵わない」


 兵士たちは不安そうに顔を見合わせたが、バルトロスに逆らう気力はなく、そのまま奥にある部屋へと消える。部屋と言っても扉の代わりにシンクロスト家の髑髏の紋章が描かれた布が下がっているだけで、少し強い雨でも降れば中まで濡れてしまうそうなほどに簡素な作りをしている。罪人が最後を待つ部屋としては非常に相応しいとも言えた。

 バルトロスは髑髏の虚ろな眼窩を見つめながら、リアンのことを考えていた。あの生意気な娘の命運も尽きたと思うと、つい口元が綻ぶのを抑えられなかった。若い娘としては、リアンはよくやった方だろう。それはバルトロスも素直に認めるところだった。財力も人脈もない状態で、口先だけでここまで伸し上がる度胸。常々、その父親が「娘だけは理解出来ない」と零していたのも頷ける。


「シンクロスト家でなければ、早々に潰しておいてもよかったのだがな」


 リアンの小賢しい立ち回りを、バルトロスは敢えていくつか見逃していた。何もかも上手くいっていると思わせ、油断させるために。

 無論、それはリアン本人を潰すためではなかった。父親であり伯爵家当主でもあるリヴァンスを自分の味方につけるためである。処刑人という立場から、シンクロスト家は中立を保ってきた。誰が相手であろうとも、儀式としての処刑を遂行する一族。バルトロスにとっては厄介な存在だった。だが、伯爵家を取り潰したところで、処刑人という業を受け入れる家などありはしない。一番良いのは、伯爵家ごと宰相派に組み込んでしまうことだったが、リヴァンスもその子供たちも積極的に政治に介入してくるわけではなかったため、なかなか実行に移せなかった。

 リアンが相談役になると聞いた時に、バルトロスはそれを好機と捉えた。惑わし、陥れ、そしてリヴァンスの弱みを握るための。結果として目論見は成功したと言える。リアンは罪人であり、バルトロスはそれを断罪する立場になった。シンクロスト家を掌握してしまえば、今後の政治は更に楽になるだろう。都合の悪い存在は、こうして断頭台に登らせれば良い。多少の不都合はリヴァンスが辻褄を合わせてくれるようになる。


「リヴァンスには気の毒なことだ。中立は破られ、一番出来の良い娘は死ぬ」


 全く気の毒とは思っていない口調で、バルトロスは呟いた。王族も貴族も平民も、自分の駒に過ぎない。国を大きな盤面のようにして、バルトロスは自分に都合の良い局面を作ることを好んだ。対戦相手はおらず、ただ美しい駒の配置を極めるだけの遊戯。今までもこれからも、その遊戯は続けられる。

 その夢想は、再び起きたざわめきに遮られた。先ほどより、どこか遠慮がちなものだった。バルトロスは階段の方へ目を向ける。そこには、黒いドレスを身にまとった女が、左右を兵士に固められて立っていた。紅茶色の髪は結い上げられて、シンクロスト家の髑髏の紋章が入った髪飾りでまとめられている。その姿は、あとは手に黒い扇子さえあれば、アルケイルの即位が発表された日と同じだった。ゆっくりと階段を上がってきたリアンは、バルトロスの前まで来ると微笑を浮かべた。


「出てきたぞ」

「王を殺そうとした罪人め」


 群衆が騒ぎ始める。しかし、リアンは今度はそちらに顔を向けると、一歩だけ前へと出た。途端に静寂が場を満たす。

 これから処刑される貴族令嬢。群衆が想像していたのは、怯えて頬を涙で濡らした姿か、あるいは憔悴した姿だったに違いない。しかし、リアンはあまりに堂々としていた。その顔にも目にも一切の迷いなく、逆にそこに集まる人々の中から、罪人を探しているかのようだった。その態度は、群衆たちに一抹の不安をもたらす。自分たちが見ているのは、本当に罪人なのかと。処刑を見に来た、別の貴族令嬢なのではないかと。


「随分と人が集まりましたね」


 リアンは静まり返った広場を見ながら、バルトロスに話しかけた。


「少々、呼ぶのが早いのでは? まだ父は準備が出来ていないと思いますが」

「儂の判断だ」

「宰相殿の?」


 まぁ、とリアンは滅多にしないであろう、淑女然とした感嘆符を上げた。


「シンクロスト家の儀式に口を出すのですか」

「そなたには関係のないことだ」

「いいえ、私は死ぬまでシンクロスト家の者です」


 バルトロスは、リアンがあまりに落ち着きはらっていることが気に入らなかった。泣き叫んで崩れ落ちるようなことは期待していなかったが、不安の一欠片ぐらいは見せてくれるものだと思っていた。


「虚勢を張るな。それとも最後のプライドか?」

「生憎と、そのような女々しいものは持ち合わせておりません」


 リアンはバルトロスに向き直る。両手首に嵌められた木製の手枷が小さな音を鳴らしたが、リアンはそれをまるで新しいブレスレットか何かのように、気にも止めていなければ恥じる様子も見せない。

 バルトロスは苛立ちを隠しながら脳を回転する。どうにかして、この余裕に満ちた女の顔を歪ませてやりたい。処刑される人間に相応しい表情に変えてやりたかった。


「今の気分はどうだ。これから、処刑される身だ。せめて願いの一つぐらいは聞いてやらないでもない」


 その言葉を聞いたリアンが、眉間に皺を寄せる。しかし、それはバルトロスが期待したような顔の歪みや、感情の乱れではなかった。リアンの翡翠色の瞳は、哀れな者を見るような眼差しになり、その眼差しのままバルトロスを射抜く。


「呆れたな」


 敬語も何もない、男のような口ぶりでリアンが呟く。


「趣味があまりに幼稚すぎる。もう少し気の利いた文句は言えないのか」

「無礼な口を利くな」

「いいか、宰相。貴方は私を追い詰めたつもりだろうが、それは間違いだ」


 群衆のことなど目に入らないように、リアンは淡々と言葉を紡ぐ。


「貴方は私を敵だと認識した。それでいい。私の狙いはそこにあった。私だけが敵なのだと、私だけ封じればいいのだと安心させたかったからな」

「……何?」

「貴方は盤面を弄るのが得意だ。人を、家を、全て利用して盤面を動かしてきた」


 先ほどまで考えていたことを見透かすような台詞に、バルトロスは思わず息を飲む。リアンはその反応を確認してから言葉を続けた。


「しかし、一人では寂しいだろう。対戦相手がいたほうがゲームは盛り上がる」

「そなたが務めると?」

「それも面白そうだが、私には大事な仕事が残っている」


 断頭台の下に備え付けられた銅鑼が、二回大きく打ち鳴らされる。王族が到着したことを知らせるための、特別に短く、そして目立つ音にバルトロスは群衆の方を見た。隙間もないほどに埋め尽くされていると思った見物客たちが、綺麗に左右に道を開けていく。土埃の舞う道を、一人の男が真っ直ぐに歩いてくるのが見えた。

 一瞬、バルトロスにはそれが前王のロインに見えた。だがすぐに間違いであると気が付く。父親には似ていない栗色の巻き毛が風に揺れ、紫色の瞳がその下で輝く。


「陛下が相手なら不足はないだろう?」


 リアンは手枷を嵌めたままの手で口元を覆い隠したが、好戦的な目の光は全く隠れていなかった。


「お前たちは罪を償うべきだ」

「罪だと? 馬鹿な、儂に何の罪がある」

「国を背負うつもりなら、命の一つや二つ賭けてみせろ。今から始まるのはお前の一人遊戯じゃない。最初で最後の殺し合いだ」


 そして令嬢は、断頭台の上で笑った。

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