6.不自然なこと
アルケイルはひじ掛けに右肘をつくと、自分の体重をそちらに預けた格好でゾーイを見た。
「リィは僕を脅して、ゾーイの爵位を得ようとした。宰相はそう言ったね」
「はい」
「そしてリィもそれを認めた。普通ならそれで終わりだ。宰相は僕の身に迫る危険を排除した英雄で、リィは愚かな謀反を企てた犯罪者。そういう構造になっている」
ゾーイは黙ったまま答えなかった。肯定も否定も今はあまり意味がない。
「宰相がそう主張するまではいいよ。でもリィが認めるなんてありえない。絶対にありえない」
「ありえない、というのは」
「ちょっと待って。僕も混乱してるから。……なんて言えばいいのかな。リィが僕に頼み事なんてするわけないんだ」
アルケイルは眉を寄せて、小さく頷いた。
「リィが本当に爵位が欲しいと思ったなら、こんな無茶苦茶な手は取らないと思う。もっと証拠が残らなくて、かつ成功確率が高い方法を選ぶ」
「脅し自体は否定しないのですね」
「だってリィは出来るだろ、国王を脅すぐらい」
そう言って、アルケイルは笑った。ゾーイも釣られて口角を持ち上げる。
「宰相の告発は、あまりにリィという人間からかけ離れている。なのにリィは否定することなく認めた。これっておかしいよ」
「確かに、そうですね」
此処に至って、ゾーイは漸く平素の落ち着きを取り戻そうとしていた。時間が経過したこともあるが、何よりも自分と同じく混乱しながらも状況を判断しようとしているアルケイルの姿を目の当たりにしたためでもある。
一度落ち着こうと考えてからは早かった。リアンの行動とその意味が次々に頭の中で組み合わさり、一つの形を作り出す。
リアンはバルトロスの追求から逃れられないと悟り、そして彼女にとっては荒唐無稽とも言えるバルトロスの仮説を受け入れた。それはシンクロスト家やゾーイを守るためだったかもしれないが、何よりも「不自然さ」を際立たせるためだったのかもしれない。それに気が付くことが出来るのは、共犯の立場であるゾーイを除けばアルケイルのみである。
「それにリィは、陛下に頼るより自分でどうにかするでしょう。十年前に俺を助けたように」
リアンのあの不自然なまでの素直な態度は、アルケイルに疑念を抱かせるためのものに違いない。ゾーイはそう解釈すると共に、自分がすべきことも悟った。
今のアルケイルは、謀反者とされたリアンではなく、それを告発したバルトロスに不信を抱いている。それを上手く誘導すれば、リアンを助け出せるかもしれない。
リアンが自分にそれを期待していると、ゾーイは迷いもなく信じることが出来た。
「陛下もそれはよくご存じでしょう?」
真っ直ぐに見つめながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
リヴァンスが宰相側についたとなれば、頼ることが出来るのはアルケイルだけである。即位直後であれば、それは困難極まる方法だったに違いない。しかし今のアルケイルであれば話は別だった。
リアンもそう考えて、ゾーイに後を託したのだろう。こうして、一種の信頼を寄せられている幼馴染がゾーイには少し羨ましかった。
「よく知ってるよ」
アルケイルは短い溜息をついた。
「でもそれはさ、リィにとってそこまでの価値がないからだよ。リィはもし価値を見出せたなら泥でも毒でも食らう人間だし、僕に頭を下げることだって厭わない」
紫色の瞳が細められて、遠くを見るような眼差しになる。
「でもリィは、あの状況ですら僕に助けを求めたりしなかった。弁解の言葉一つ出さなかった。何でだと思う?」
問いかけは、しかしアルケイル自身も既に答えを知っているようだった。ゾーイはその答えに沿うように、誠実な態度で口を開く。
「宰相が言ったことは事実ではないからです。しかし、あの場で反論をすることは避けるべきだった。なぜなら……」
「僕やゾーイを、巻き込むわけにはいかなかった。彼女の単独犯だということにしなければ、ゾーイは一緒に連れていかれたし、こうして僕が引き留めることも出来なくなる」
「その通りです。リィは陛下を信じて、自らその罪を引き受けた」
静寂が一瞬走る。アルケイルは眉を寄せて、笑っているような泣いているような中途半端な顔をした。
「ねぇ、ゾーイ。僕だってそこまで馬鹿じゃないよ」
椅子から立ち上がったアルケイルは、ゆっくりとした足取りでゾーイの前へと進んだ。
「信じた、だなんて綺麗な言葉でまとめないでよ。そんなのお話の中だけで十分だ。リィは僕がそうせざるを得ないように追い込んで脅してるんだよ。此処にいなくなってからも、ずっと」
吐き出すような言葉にゾーイは返事を忘れた。何かを言うべきだとわかっていたのに、どうしても喉が動かなかった。そんなゾーイの態度を見て、アルケイルの紫色の瞳が陰る。
「幽霊のこと、ゾーイも知っていたんだろ?」
「……いえ」
「ゾーイは窓を開けるために幽霊に近付いた。どんなものだったかは知らないけどさ、偽物だとしたら近付いた時にわかるはずだよ。ゾーイの目は節穴じゃないからね。なのに何も言わなかった。何故ならゾーイはそれが幽霊じゃないって知っていたから」
だろう? と念押しされたゾーイは、諦めたように首を左右に振った。
知らないと嘘をつくことは出来る。だが、今のアルケイルには通用しない。
「リィは陛下を立派な王にしたいと言っておりました」
真実でもあり、嘘でもある言葉をゾーイは放った。それはリアンの目的の一部にしか過ぎないが、それでも真実である。
「即位しただけの王は要らないと。王は王になろうとすることで初めて生まれるのだと」
「だから僕を騙した」
「申し訳ございません」
「いいよ、別に謝罪しなくたって」
思いのほか、アルケイルの言葉は呆気なかった。責められるとばかり思っていたゾーイは少々面食らう。その顔を見てアルケイルは仕方なさそうに微笑んだ。
「幽霊は偽者でも、僕の気持ちは本物だ。僕はあの時に、立派な王になると誓った。それは消えるわけじゃない。寧ろ偽者で安心したよ」
「安心した?」
「幽霊がいないなら、あれは僕の本心だって正々堂々と言えるじゃないか」
踵を返したアルケイルは、再び自分の椅子のところまで戻ったが、振り返ることも座ることもなく話を続ける。
「もし僕が宰相たちを恐れてリィを見殺しにしたなら、立派な王なんて影も形もなくなる。リィはきっとそこまで計算しつくしている。僕の首に斧を突き付けてるんだ。「それで陛下、立派な国王は何をするのですか?」ってね」
「その斧はリィのものではありません。陛下の剣です」
「あぁ、そうだね。僕は今自分で自分を試している。ここで逃げたら、僕は死ぬまで仮初の幽霊に怯える腰抜けのままだ」
アルケイルが黙り込む。何か考え込んでいる背中に、ゾーイは何か言うべきか悩んだ。そして同時に、リアンならどうするかを考える。
恐らく、此処でリアンが何かを言うことは無いだろう。アルケイルの口から結論が出るまで辛抱強く待ち続けるはずだ。だがそれはゾーイの性には合わないし、真似事をするつもりもなかった。
「アルケイル様」
久しく呼ぶことの無かった相手の名前を口にする。親愛に満ちた呼びかけにアルケイルが振り返った。視線が交わると同時に、ゾーイは椅子から降りると膝を床につけた。両手を交差し、互いの手首に指先を乗せただけの状態で、それを自らの頭より高く掲げる。
「リィは貴方には命乞いをしない。でも俺は違います」
「そうする価値があるってことだね」
「えぇ。十年程度で満足するほど、俺は人間が出来ていないんですよ」
ゾーイは顔を上げて、いたずらっぽい笑みを浮かべて見せた。
「リィが俺を手放さなかったのではありません。俺が離れなかっただけです」
「……だと思った。ゾーイもリィも素直じゃないよね」
いいことを聞いた、と言わんばかりにアルケイルが微笑む。しかしそれはすぐに真剣な表情に変わった。
「時間がない。すぐに作戦を立てよう」
「此処でですか?」
「いや、ずっと此処にいたら宰相に怪しまれる。幽霊に怯えるような国王には、もっと適した場所があるだろ?」
片目を瞑ってみせたアルケイルに、ゾーイは不思議そうに首を傾げた。
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