5.残された者

 リアンが騎士たちと部屋を出て行った後、ゾーイは暫くその場に立ち尽くしていたが、不意に肺が締め付けられる感覚が襲ってきた。自分が今まで息を止めていたことに気が付き、大きく息を吸う。

 何が起こったのか、状況だけを整理するのは簡単なことだった。しかし、それがどうして起きてしまったのかまでは考えられなかった。多種多様な情報が頭の中を跳ねまわり、そして霧散していく。ゾーイは目の前に立っているリヴァンスを見た。


「お前は知っていたのか」

「……何をですか。お嬢様が何を考えていたかなんて、俺にはわかりません」


 驚くほど滑らかに言葉は出てきた。きっとそれは長らく考えていたことで、そして未だに答えが出てこないことでもあった。

 リヴァンスはゾーイを睨みつけたまま口を閉ざしていたが、やがて大きなため息と共にそれをやめた。


「だろうな。あの娘が何を考えているかなどわからん」

「仰る通りでございます。俺は爵位など心底どうでもいいのです。それをお嬢様が取り返そうとするならばそれは……婚約状態を戻したいわけではなく、ご自分の利益のためだったのではないかと」

「それについては私も同意見だ」


 迷いもなく言い切る姿は、やはり二人が親子であることを物語っていた。ゾーイが知る限り、リヴァンスとリアンの親子関係は酷く淡白なものだった。親に対する甘えはなく子に対する甘やかしもなく、二人は互いが互いに対して評価を繰り返すことで成立しているように見えた。恐らくそこまで割り切ることでシンクロスト家は処刑人としての座を守り続けてきたのだろう。処刑においては私情も躊躇いも許されない。


「甘いぞ、リヴァンス殿」


 何度か椅子のひじ掛けを叩く硬い音がして、バルトロスが剣呑な声を出した。


「その下男が本当に何も知らないと、それを断定しうる証拠はない。貴殿の娘をたぶらかし、己の爵位を取り戻そうとした可能性もある」

「……あの娘に、男に誑かされるような愛嬌があれば、私もここまで苦労はいたしません」


 リヴァンスが躊躇いながらもそう返す。しかしそれはバルトロスの求める答えではなかった。


「貴殿の考えは聞いておらぬ。あの小賢しい娘と同じく、牢に入れるのが妥当と言うものだ」

「しかし、娘はそのようなことは何も」

「呆れた男だな。それも一つの情というものか? ならば儂が決めてやろう」


 今にもバルトロスが、まだ外に幾人か残っている騎士を呼びつけようとした時だった。小さな、本当に小さな音が場を静まらせた。ゾーイはその音の発信源に目を向ける。そこには椅子に座ったままのアルケイルが、両手を打ち鳴らした格好で中空を見据えていた。


「ゾーイと話がある。皆は出て行って欲しい」

「陛下、何を仰いますか。この下男に情けをかけようと? 今の話を聞いていたのですかな?」


 笑い混じりにバルトロスが、幼い子供を宥めるかのような口調で言う。しかしアルケイルは冷たくそちらを一瞥した。


「宰相こそ話を聞いていないようだね。ゾーイ・ロスターと話があるから関係のない者は退席しろと、僕は言ったんだ」


 アルケイルの声にははっきりとした敵意が含まれていた。木の隙間から見えるバルトロスの顔は明らかに面食らっていた。

 今まで自分がこの場を支配していたのに、それが突然奪われた。そう言っているかのように。


「陛下。戸惑うのは理解いたします。ですがどうぞこの場は儂に任せていただきたい。決して陛下の期待を裏切る真似はいたしませんゆえ」

「出ていけと言ったんだ。二度も言わせないでくれる?」


 それとも、とアルケイルは続けた。


「騎士たちに連れて行ってもらわないと出口がわからないの?」


 国王の命令と宰相の命令、今の衛兵騎士団が従うのはどう考えても前者だった。

 バルトロスは苛立った溜息をつきながら首を左右に振った。


「後悔しても知りませんぞ」

「……何?」


 一方のアルケイルは至極落ち着いていた。椅子に腰を下ろしたままなのに、バルトロスを見る眼差しは明らかに相手を下に据えていた。


「いつから僕はお前の家来になったんだ?」

「そのようなつもりは」

「じゃあ今のはなんだ。誰に向かって物を言っている」


 バルトロスは一瞬顔を赤くしたが、それ以上の反論は無かった。相手の質問に答える代わりに、リヴァンスの方を振り向く。


「行くぞ、伯爵。陛下は何やら大事なお話があるようだ」

「畏まりました」


 リヴァンスはアルケイルに一礼すると、来た時と同じように木を迂回して出入口の方へと向かう。ゾーイの方を一度だけ見たような気がしたが視線は交わらなかった。

 続けてバルトロスも部屋から出ていき、扉がゆっくりと閉ざされる。部屋には乱暴に置かれた椅子が二つに、アルケイルとゾーイのみとなった。ゾーイはどうすべきかわからないまま、しかしそこに立ったままでいることも出来ずに、一歩踏み出した。それを待っていたかのように、アルケイルが口を開く。


「話をしようよ、ゾーイ」

「今回のことについては……」

「違うよ」


 アルケイルは溜息をつきながら、手を宙で払うしぐさをした。


「そうじゃないよ。話をしよう」


 眼差しは真剣そのものだった。ゾーイは更に一歩近づくと、先ほどまでリアンが腰を下ろしていた椅子に座る。微かに、いつもリアンが扇子につけている香水の匂いがした。


「リィのことですか」

「うん。今の僕たちにはそれが必要だと思う」

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