7.処刑人の親娘

 リヴァンス・エトリカ・シンクロストには子供と呼べる存在が六人いる。そのうち自身の子供は四人で、更にその中で正妻との間に生まれたのはたった一人だった。女では跡継ぎには出来ないと考えたリヴァンスは五人の息子を作ったが、そのうち誰一人として嫡子であるリアンには及ばなかった。頭脳も威厳も度胸すらも。

 十年前にロスター家が取り潰しになった時に、リアンは幼い顔には似合わない真剣な眼差しで言った。


「父上はゾーイ様を助けるつもりはございますか」


 リヴァンスは否定を返した。バルトロスに逆らう気持ちなど全く無かった。娘の婚約者はまた別に探せば良いだけである。そもそも、ただの少年に過ぎなくなったゾーイを助けたところで、何の意味もない。

 しかしリアンはそれを聞いて笑った。貴婦人のような優雅な笑みではなかった。この世界のすべてに立ち向かうかのような覚悟を込めた表情で、リヴァンスはそれを見た時に背筋が寒くなったのを覚えている。リアンは笑みを崩さぬままで言った。


「それを聞いて安心いたしました。計画に狂いが生じますので」


 リアンが男であればと、何度考えたかわからない。しかしその度に女で助かったとも思っていた。

 何を考えているのか全くわからない娘を前にすると、リヴァンスはまるで自分が試されているような気持ちになった。それは今も変わらない。


「父上、どうされたのです」


 記憶の中よりも大人びた、そして更に感情の読みにくい声が聞こえた。リヴァンスは椅子に座ったままこちらを見ている娘に視線を合わせた。高級な木材で作られた椅子に、リアンはまるで昔から自分の指定席であったかのように腰を下ろしている。その後ろには清潔なシーツが使われたベッドに、燭台が置かれたテーブル。知らない人間が見れば、どこかの宿場の一室だと思うかもしれない。だが高い天窓と扉に嵌められた格子が、そこが牢であることを示していた。

 城の地下にある牢は、身分のある人間を入れるために使われる。これはその人間に対する敬意というよりは、血筋に対する配慮だった。

 特に貴族の場合、いくつもの血筋が混じり合っている。ぞんざいな扱いをすることはそれらの血筋に対する侮辱と受け取られることがある。シンクロスト家は他の伯爵家に比べれば、そう高貴な血が多いわけではない。だが、バルトロスはリヴァンス本人に気を使ったのか、リアンを牢の中でも一番上等な部屋へと入れた。


「怖い顔をして睨まないでください」

「何を企んでいる」

「おや、父上。そんなおかしな文法を使ってはなりませんよ」


 リアンは可笑しそうに手を口元に沿える。愛用している扇子は取り上げられていた。


「企みは既に露呈したではありませんか」

「そうだな。だがそれにしては落ち着きすぎている」

「諦めが良いのが私の美点です」

「嘘を吐くな」


 思わず強い口調で返したリヴァンスだったが、リアンは全く表情を崩さなかった。

 処刑人の一族として、シンクロスト家の人間は「私情を抑えること」を求められる。顔を仮面で隠し、体を黒衣で覆っても、感情は斧を握る手に現れる。罪人に下手な情を掛けてしまえば、その途端にシンクロスト家の存在は意味を失う。誰もが忌避する処刑という業を、儀式として昇華させた祖先たち。それを裏切らないことがシンクロスト家に生まれた人間の義務である。

 リヴァンスは娘が今もそれを完璧に遂行していることを歯がゆく思った。


「……このままではお前は処刑される」

「王を手にかけようとしたのです。当然の報いでしょう」

「今からでも遅くはない。ゾーイに頼まれたことにしろ」


 外に誰もいないにも関わらず、リヴァンスは声を潜めて言った。


「ゾーイが黒幕だと言えば、宰相は喜んで奴を処刑台に送るだろう。十年前に奴を殺せなかったことは宰相殿の失態に違いないからな」

「娘への温情ですか」

「シンクロスト家から罪人を出したくないだけだ」

「別に私が初めてというわけではないと思いますが。まぁそういうことにしておきましょう」


 リアンは茶色い髪をかき上げる。天窓から差し込む夕日がその髪を少し赤く見せていた。


「使用人を身代わりにして生き延びよと?」

「どこの貴族もやっていることだ」

「父上」


 憐れむような声でリアンがリヴァンスを呼んだ。


「私にそんなことをしろと?」

「お前がどう思うかなど関係ない。シンクロスト家としてどうするかだ」

「シンクロスト家として、と仰るのであれば罪の隠蔽などすべきではないでしょう」


 射抜くような目は、リヴァンスと同じ色をしている。しかし、その奥にある光は瞳に映り込んだ父親を切り裂こうとするように鋭い。


「当主は私だ。お前は娘と言えども、一族を成す人間に過ぎない」

「そうですね。父上がそう仰るのであれば従いましょう」


 存外素直にリアンは言ったが、その目を見てリヴァンスはあの時と同じ感情を抱いた。少し紅の薄くなった口元が弧を描いている。

 リアンは父親を真っすぐに見たまま、冷たく言葉を放った。


「しかしその次は父上です」

「……何?」

「私を唆したのがゾーイなら、ゾーイを唆したのは父上ということにしましょう。宰相殿にそう思い込ませる方法はいくらでもありますから」


 リアンの笑い声が響く。心底楽しそうに目を細める姿は、本気であることを悟るには十分だった。

 冗談でもなければ脅しでもない。それはリヴァンスはよくわかった。周囲の者はリアンのことを生意気だとか高慢だとか評するが、それらはただの表面的なものに過ぎない。父親であるリヴァンスからすれば、リアンは自分の身に起こる全てを面白がっているだけだった。それが例え命に関わろうとも、リアンにとっては拘ることもない。


「さぁ父上、選んでください。六人いる子供の中の一人と、たった一つしかないご自分の命。どちらを守りますか」

「……そこまでしてゾーイを守りたいのか。私や、自分の命すら賭けても」

「守りたい?」


 リアンは眉を持ち上げた。


「そこまで思い上がっておりません」

「では何だ」

「私は退屈が嫌いなのですよ、父上。ゾーイがいない人生はつまらない。そして、同じ結末も気に入らない」

「同じ? 何のことだ」

「こちらの話ですよ、父上」


 その時、わずかにリアンの笑みが剥がれて、本当の表情が見えた気がした。

 しかしリヴァンスにはそれがどういった性質のものかはわからなかった。

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