3.女神と流転の泉

 銀色の部屋、というのが相応しいかどうかはわからない。少なくともそれは一つの空間ではあった。銀色の光に包まれた空間の中で、美しい金色の髪を持った、美しい女が佇んでいた。もし此処に国中の詩人を呼んできても、皆同じことを言うに違いなかった。陳腐な言葉で片づけなければ、却ってその美しさを損なってしまう。女の顔立ちはそういう類のものだった。

 女は身の丈の二倍ほどもある銀色の槍を携えていた。その槍の先には一房の髪がぶら下がっている。まるで何かの戦利品のようだったが、実際のところはただの「供物」である。一人の人間が自らの髪を供物として、神々に祈りを捧げた。その対価を払うべく、女はこの空間にいた。女はその槍の先を見て、そして自分の目の前に視線を向けた。そしてもう一度同じ仕草をした。美しい顔には焦燥のようなものが浮かんでいる。


「えっと……」


 女は薔薇の花のような口を開くと、その気品のある出で立ちにそぐわない、不安に満ちた声を出した。

 金色にも銀色にも見える瞳の中には、一人の人間が立っている。


「お前は誰ですか?」

「それは私の台詞だが」


 女の問いに対して、その人間はくぐもった声で答える。それは顔につけたカラスを模した仮面のためであった。呼吸や発生のたびに、仮面の中心から突き出した黒いくちばしが揺れる。

 それだけでも奇妙であるのに、その人間は皮膚を全く露出させないように、黒い服を幾重にも着込んでいた。肩や腕などの関節部には、黒く染めた革製の帯がついていて動きやすいように調整されているが、足元は重りを入れたブーツを履いているので、総合的に考えれば動きづらいに違いない。


 奇妙な恰好を一際目立たせるのは、右手に握りしめられた大きな斧だった。人間の顔よりも大きな刃を持つ斧は、持ち手の部分が刃の背のほうにまで伸びており、両手で振り下ろすための工夫が施されていた。そしてその刃や柄は、真っ赤な血で染まっている。そのいくつかの雫が足元に垂れるのを見て、女は顔を引きつらせた。しかし、どうにかそれを誤魔化すと、出来うる限りの毅然とした態度でその人間に向き直る。


「私は主神エルハの命により、流転の泉を司る女神アーシャルです。お前は誰ですか。どうして此処に現れたのです」

「女神アーシャル……」


 くぐもった声が女の名前を繰り返した。


「流転の泉と言えば、王家に伝わるおとぎ話だ。この世の政に未練を残した王が、死ぬ間際に再びの善政を望んで神に願ったという」

「失礼な。おとぎ話などではありません」


 女神は不機嫌にそう言うと、槍で自分の足元を叩いた。銀色の光がそれに合わせて何度か弾ける。


「王家に伝わる儀式をすることにより、王となった者は死に際に流転の泉に訪れることが出来るのです」

「それでもう一度人生をやり直すと」


 仮面の下で笑う声がした。明らかに馬鹿にしきったものだったが、女神がそれを咎めるより先に言葉が続く。


「儀式と言ったが、私はそんなものは知らない。つまり儀式を行った者が必ず此処に来るわけではない。そういうことだな」

「……えぇ、その通りです」


 アーシャルは人間風情が知ったような口を利くのを、どうにか我慢していた。主神の眷属にして自らも神である身、その気になれば人間など取るに足らない存在である。しかし、これが正統なる儀式の場であることや、女神自身のプライドが、目の前の人間に罵詈雑言を浴びせるのをどうにか踏みとどまらせていた。


「正しくは、契約者たる王の死の瞬間、その死を強く後悔した者が此処に来ることになっているのです」

「なるほど、王の死を後悔した者か。ならば私が此処に来たのも納得出来る。私はあの傾国王の首を斬りおとした処刑人だからな」


 黒い皮手袋を嵌めた右手が動いて、仮面のふちに指をかける。まるで皮を一枚剥ぐかのような仕草で仮面が脱ぎ捨てられると、その下から女の顔が現れた。仮面に圧迫されていた頬のあたりが赤く鬱血しているのが、銀色の光にさらされて、血がにじんでいるように見えた。


「処刑人?」


 女神は不可解な言葉を聞いたとでも言いたげに顔をしかめた。

 処刑人である女は、洗練された仕草で一礼をする。それは所謂上流階級の子女がするもので、黒づくめの恰好とは不釣り合いだった。


「女神の御前にて、このような恰好で失礼いたします。私はリアン・エトリカ・シンクロスト。この国で処刑の儀式を司るシンクロスト家の娘です」


 どこか慇懃無礼な名乗りだった。

 リアンは翡翠色の瞳を細めて、女神へと薄く微笑んだ。それに対して女神は不快そうに首を左右に振る。


「処刑。処刑ですって? それでは王は処刑されたというのですか」

「おや、それはご存じない。神というのも不便なものだな」

「いいから答えなさい。女神としての命令です」

「シンクロスト家が祀るのは、アーシャル神ではない。しかし、ご命令とあれば従いましょう」


 リアンは冷静に応じて、とりあえずは邪魔だった斧を床に突き立てた。重い音と共に銀色の光が弾ける。


「シンドラ三世こと、アルケイル・シンドラ・ファリティーニ国王陛下は、先ほどその地位をはく奪されたうえで処刑台にて露と消えました。後先考えない増税、特権階級の財産を肥やすための改悪条例、国民の生活を守るつもりなど毛頭ない領地没収。色々と理由はありますが、結論としてはただ一つです。国にとって不要な王であると、議会の多数決により決定されたので、王はその命を失いました」

「お待ちなさい。王は神の代理人であると定められているはずです。その王を殺したと?」

「だから国王の地位を奪ってから処刑しました。手順としては間違っていないはずです」


 ほら、とリアンは黒い服の中を探ると、内側に革のバンドで止めてあった古い本を取り出した。表紙には髑髏の顔が刻まれている。数百年に渡り、処刑の儀式を引き継いできたシンクロスト家の象徴だった。


「処刑指南書にも、そのように記載が」

「何ということを……。主神エルハからの加護を受けたファリティーニ家の末裔ですよ。一介の処刑人ごときが手をかける相手ではありません」

「仕方ないでしょう、役立たずだったんですから」

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