7.狡猾な手管
ゾーイの姿を視認したアルケイルが、傍から見てもわかりやすいほどに喜悦を浮かべるのがわかった。そして、リアンをそこに残したまま、足早に馬車の方へと近づく。他の者の姿など、もうその眼には入っていないようだった。
「ゾーイ!」
恐らく、年齢と身分、どちらか一つでも低ければ抱き着いていたのではないか。そう思わせるような勢いで王子はかつての遊び相手兼護衛役の前へと出る。ゾーイは、いつものように丁寧に礼をした。
「ご無沙汰しております、殿下。この度はおめでとうございます」
「ありがとう。あぁ、本当に久しぶりだね。元気だった?」
「はい、お陰様で。お嬢様には今回無理を言って連れてきていただきました」
「お嬢様?」
アルケイルはきょとんとした後に、それが誰を示すのか思い出すと「あぁ」と気の抜けた声を出した。
「そうか、お嬢様か。なんだか似合わないね」
少し悲しそうに、アルケイルはゾーイの姿を頭から爪先まで見回す。そこにいるのは黒い御者用の服を身に着けた一人の男であり、そこに元侯爵の姿を見つけるのは困難だった。
「あの時は、僕はまだ何の力もなかったから。ゾーイが領地を追放されたって聞いて、何かしたいとは思っていたんだ。思っていたけど、父上や宰相に何か言える筈もないし」
「殿下、懺悔はそのぐらいで」
リアンが後ろから嗜めるように言う。貴重な邂逅の時間を、王子の意味のない懺悔で費やすことは、リアンの望むところではない。十年前に、リアンは十二才であったが、四方八方に手を尽くしてゾーイを自分の従者にした。ここでアルケイルがどんな言葉を並べたところで、彼が当時何も出来なかったことには変わりない。
「ゾーイ、お渡ししたいものがあるのだろう。殿下はお忙しい。早く済ませろ」
「はい、お嬢様」
ゾーイは一度馬車の方に体を向けると、御者席に置かれていた箱を手に取った。
華美すぎず、質素すぎもしない赤紫色の箱。その色はロスター家の紋章にも使われていたものだった。
「もっと立派なものがご用意出来ればよかったのですが……」
少し眉を寄せて、箱を差し出す姿は完璧だった。リアンはそれを見て満足する。事前に何度か打ち合わせた通りの演技と態度で、ゾーイは自らを「王子を慕ってやってきた男」に見せることに成功していた。
アルケイルは不思議そうに箱を受け取ると、その色をまずは数秒ほど見た。そして、それには何も言わぬままに蓋に手をかける。紙製の蓋は何の抵抗もなく開き、中にあったものを月明かりに晒した。
「これは……」
アルケイルの体が少し跳ねた。その瞳には箱の中に鎮座した葡萄のパイが映っている。リアンはアルケイルの傍まで来て箱を覗き込むと、わざと呆れたような声を出した。
「ゾーイ。陛下への贈り物だぞ。もっとマシな物はなかったのか。言えば少しばかりは工面したものを」
「申し訳ありません、お嬢様。殿下への贈り物だけは自分で用意したかったのです」
「そうは言っても……」
「リィ」
言葉を続けようとしたリアンを、アルケイルが制止した。
「いいんだ。僕は今、非常に感激している。ゾーイが僕のために……僕のために贈り物を用意してくれた。それが何より嬉しいんだ」
「有難きお言葉です。これからの殿下の……いえ、陛下の政治が上手くいくことを願っております」
ゾーイの言葉に、王子が動揺を見せた。リアンは予想通りの反応に口角を僅かに持ち上げる。少しの諮詢を挟んだ後に、アルケイルはパイに視線を落としたまま、絞り出すような溜息をついた。
「そう、だね。僕も明日……、いや、あと少ししたら国王になるんだ。ゾーイが傍にいたなら、ここまで心細くはなかったかもしれない」
「俺などよりももっと優れた臣下が大勢いらっしゃるでしょう」
「宰相の息が掛かった、ね。それはゾーイだって十分知っているでしょ」
探るような視線と言葉に、ゾーイは何も答えなかった。答えるべき言葉を失っているわけではなく、簡単な返事で済まないことを知っているからこその沈黙だった。
この国の政治の半分は、宰相が牛耳っている。国王の発言権もそれなりにあるが、しかしその発言すらもいくつかが宰相によるものだと、貴族たちは知っていた。ロスター侯爵家が廃絶されたのも、彼の政敵と認定されてしまったためである。謀略により父親が殺され、病弱だった母親がそのショックで亡くなり、子供であったゾーイから爵位と領地を奪うことなど、宰相には容易かったに違いない。
「ゾーイが僕の傍にいてくれたら……、なんて言っても仕方ないよね」
「そんな気弱なことを申してはいけません、殿下。殿下は皆を導く存在です。幼い頃の護衛役にいつまでも縋る年ではないでしょう」
「導くのにも足元を固めてくれる人は必要だよ。火を掲げてくれる人も。僕には何もない」
「ならば、我々が殿下の足元を固め、火を燈しましょう」
リアンはすかさず、しかしこの機を待っていたことを悟らせぬように穏やかな声で言った。
「殿下が望まれるのであれば、ゾーイをお傍におくことは可能です」
「どういうこと? 流石にゾーイを側近には出来ないよ」
「これだから陛下は純情で困ります。側近になどしなくても、傍でご相談を受けることは可能です」
微笑みながら、リアンは扇子を自分の口元に寄せた。
「私の横で、ならば」
「……リィを?」
目を見開いて聞き返すアルケイルに、リアンは頷いてみせた。
「不思議なことではありますまい。私は王子殿下の幼馴染にして、中立を掲げしシンクロスト家の者。相談相手としては適任かと。しかし、結婚もしていない男女が一つの部屋にいるのは誤解を招きます。私とて嫁入り前の身に不要な詮議はかけられたくない。お目付け役として従者を伴っても、淑女として当然の行動です」
そして、と相手に余計な思考を生み出す前に次の言葉を放つ。
「その従者が我々の話を聞いていたとしても、外部に持ち出さないように言いくるめれば良いのですよ」
「でも……リィは女だ。女性、男性で分けるべきじゃないってリィは言うし、僕だってそれは正しいと思う。でも女が王の相談役になるなんて前代未聞だよ」
「下らない」
まるで小石を足蹴にするかの如く、リアンは鋭く言い切った。
「女が政治に口出しすべきではない。女は無教養だ。それは夢見がちな妄言に他なりません。男でも女でも、無能は無能、有能は有能です。少なくとも、殿下の乳母は殿下の家庭教師よりも賢かったし、庭師の男は殿下の伯母上よりも優れていた。シンドラ三世陛下、その夕闇の目で私をご覧ください。無能な娘が此処にいると思うなら、それでいいでしょう。潔く諦めます。しかし、有能な臣下がいると思うのなら迷わず取り立てるべきです」
一気に言い切ったリアンに、アルケイルは気圧されていた。紫色の瞳の中で、リアンは顔色一つ変えずにアルケイルを見据えている。その視線から逃れることは出来ないと、王子の本能が告げていた。
「陛下、どうぞご決断を」
背後からゾーイも優しい声音で囁く。アルケイルの、細い喉に隆起した骨がゆっくりと上下した。
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