6.導く先に

 王子とその幼馴染の行く末を、邪魔する者はいなかった。使用人たちは勿論のこと、貴族たちも少し驚いたような顔をして、しかし静かに道を開ける。誰にも邪魔されることなく門を抜けた後、数歩歩いてからアルケイルはリアンの手を離した。


「エスコートは終わりですか、殿下」

「リィはそういうことは嫌いだと思っていたよ」


 馬車の方へと向かいながら、アルケイルは溜息を吐く。


「そういうこと?」

「他の女性と同じような振る舞いってこと」

「恐れながら、淑女としての嗜みは身についておりますが」

「そうじゃないよ」


 アルケイルは不満そうなものを声に含める。リアンはその様子を数秒ほど眺めた後で、「あぁ」と小さく声を零した。


「なるほど、殿下は私がアリセ嬢たちと同じだと思っていらっしゃる」


 敢えて回りくどく言えば、アルケイルは眉間に皺を寄せてリアンの方を見た。


「僕の即位を聞いたから、此処に来たんだろ。それって、そういう理由じゃないの」

「私が殿下の寵愛でも得ようとして、十年ぶりに王城に参上したと?」

「あり得ない話じゃないだろ」

「確かに、そう考えるのが普通かもしれませんね。しかし、それだけはあり得ない。私は殿下に男性としての魅力はおろか、王族としての魅力もついぞ感じたことはありません」


 はっきりと言い切ったリアンに相手がたじろぐ。月夜の下でその紫色の瞳が揺れていた。


「そ、そこまで言わなくても」

「美辞麗句が欲しいなら、他の方に頼んでください。殿下に相応しい女性は私ではない」


 アルケイルはまだ疑っているのか、リアンの目を見ようともせずに、ただ視線を彷徨わせている。リアンはそれが終わるのを待った。優しい言葉も厳しい追及もせず、ただ待ち続けることに徹する。まだ幼い頃に、癇癪を起して泣きじゃくっていたアルケイルを、只管黙って見続けていた時のように、リアンの心中は穏やかだった。

 暫くすると、不意にアルケイルの目の動きが止まった。そして、先ほどよりは幾分柔らかな表情と共にリアンの方を見る。


「……本当に?」

「殿下に嘘を吐くわけがないでしょう」

「いや、リィは嘘を吐かないというか、本当のことを言わないだけじゃないの」


 意外と鋭いところを指摘されたリアンは、しかし笑うことでそれを誤魔化した。


「良いですね。その調子で、臣下の言葉に惑わされずにご自分を貫いてください」


 馬車の方に歩き出したリアンを、王子は慌ててついていく。もう広間から離れてしまったため、男を立てる必要もない。


「ねぇ、リィ」

「何でしょうか」

「十年間、王城に顔を出さなかったのは……ロスター侯爵家のことが原因? ゾーイの爵位を取り上げて、領地から追い出すような真似をしたから……」

「それは陛下のしたことであって、殿下の行いではないでしょう」


 リアンがそう返すと、アルケイルは安心したように胸の辺りを撫でる仕草をした。そして次の瞬間、まるで堰が切れたかのように早口でまくし立てた。


「よかった。それだけが不安だったんだ。ほら、リィがまだ婚約していないって話はよく話題に上るし、僕も気になっていたんだよ。ロスター家のことは兎に角としてシンクロスト家にとっては迷惑な話だったに違いないから。もしリィさえ良ければ縁談を用意しようかなって。本当だよ。父上には僕から……」


 リアンは内心で淑女らしからぬ舌打ちをした。今、相手が言っていることは「余計なお世話」に他ならない。一番手に負えないのは、アルケイルに一切の悪気がないことである。失礼以外に言い表すことが出来ない言葉を、心底の善意から言っているに違いなかった。

 この点は早めに矯正する必要があるだろう、とリアンは続けて考える。前の人生では、アルケイルは何度もそれで失敗した。国民を怒らせ、臣下を呆れさせ、そしてその自己弁護によって皆から見捨てられた。同じ過ちは繰り返すべきではない。


「どうかな、リィ」

「結構です。自分のことは自分でどうにか致します」

「そうも言っていられないじゃないか。女性の身ではさ」

「それは私への侮辱ですか、殿下」


 軽く睨みつけて告げると、アルケイルはあっさりと態度を変えて首を思い切り左右に振った。


「そ、そんなことじゃないけど」

「以前も申し上げました。男だの女だのくだらないことで優劣を決めるのは、他の者に任せるべきです。殿下は烏合の衆に染まるべきではない」

「そう、そうだね。忘れてたよ、うん」

「二度とお忘れにならぬよう。それに、良い機会なので言っておきます。私が王城に顔を出さなくなったのは、陛下の決定を不服としたからではありません」


 凛と背筋を伸ばし、リアンは顎を持ち上げる。処刑人として断頭台で斧を持つ時と同じように、そこには誰も口を挟めぬ威圧感があった。


「王城に行かなくとも、常にゾーイは私の側にいるからです」

「……まだ、ゾーイのこと」

「縁談だの婚約だのは、気になさらなくて結構。私の相手は既に決まっております」


 その視線の先、黒い馬車の前に立っていた男が静かに頭を下げるのが見えた。

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