5.謀略の第一歩

 アルケイルは、まず最初に理解出来ないような顔をした。そして続けて、怯えた表情を浮かべて一歩退く。一瞬だけ、視線をそらそうとしたのが遠くからでもよくわかった。リアンを見てはいない、というアピールのためか、あるいはただの逃げか。どちらでもリアンは構わなかった。アルケイルが大衆の中から自分を見つけたこと自体は、驚きでも何でもない。

 処刑人でもあるリアンは、鮮やかな色の中で黒い色がどれだけ映えるかを知っていた。アリセも他の者たちも、それぞれ美しいことには変わりないが、流行の色やデザインをこぞって取り入れたために代わり映えのない外見となってしまっている。リアンにとっては彼女たちとて自分を引き立てる舞台装置に過ぎなかった。

 黒衣の令嬢に微笑まれたまま、アルケイルはまだ固まっている。そろそろ頃合いだと見切ったリアンは、扇子を持った手を動かして、自分の元に来るようにアルケイルに告げた。先ほどの父親への態度など問題にもならぬほどの不敬行為に、しかし相手は怒るどころか一層怯えた顔をした。再度同じ行動を繰り返すと、アルケイルは父王に何かを耳打ちしてから檀上を下りる。

 壇上よりほど近い場所にいたアリセが、まずそれに気が付いて近づこうとした。だが、アルケイルはそちらに一瞥もくれぬまま、どこかぎくしゃくとした動きで、しかし速足にリアンの方へと向かってくる。突然の王子の奇行を見て、何人かがその理由を確かめようと視線を動かし、そしてリアンを見つける。その頃にはリアンは態度を改めていた。


「リ……、リィ」


 漸くリアンのところまでやってきたアルケイルは、ぎこちなく愛称を口にする。リアンは恭しく腰を屈めて、敬礼を示した。


「ご無沙汰しております、王子殿下」


 そう呼ぶと、アルケイルは自分の二の腕を抱えるようにして身震いをした。


「な、なんで此処に?」

「アリセ嬢と同じことを仰る。招待状を出したでしょう」

「いや、そうなんだけど……、それは、そうなんだけど」


 口ごもる相手に、リアンは扇子の向こう側で溜息を吐く。幼少期からこういうところは何一つ変わっていない。


「私が来ては迷惑ですか」

「迷惑なんて、そんなことないよ。でも、驚いたんだ。だってあの時からリィは……」

「だから、そのおどおどとした態度を止めるようにと昔から言っているでしょう、王子殿下」


 いや、とリアンは言い直した。


「シンドラ三世国王陛下」


 瞬間、相手が猫を踏みつけたような声を出しかけた。しかし、それは新たな来訪者を知らせるラッパの音でかき消される。


「ちょっと待って。どうしてそれを君が?」

「雨と話はどこからでも漏れる、と言います」

「だってこの話は、父上を除けば宰相と……」


 リアンは扇子を再び閉じた。その音にアルケイルも一緒に口を閉ざす。


「この国の王ともあろう方が、この程度の話術に翻弄されてはいけません」

「……でも、リィ」

「私がこの話を聞いたのは、ある筋からです。その者が、どうしても殿下にお会いしたいからと」


 思わせぶりにリアンがそう言うと、アルケイルは不思議そうに首を傾げた。だが、すぐにその表情が明るくなる。


「ゾーイが来てるの?」

「使用人の身ゆえ、此処には来れません。しかし、馬車のところで殿下のことを待っています」


 頷く代わりに肯定を意味する言葉を返すと、アルケイルの頬に赤みがさした。


「殿下さえ許していただけるのであれば、ゾーイと引き合わせたいのですが」

「それは、願ってもいないことだよ。ねぇ、ゾーイは元気なの? 僕はね、ずっとあの日から……」


 興奮気味に喋り出したアルケイルの鼻先に、リアンの扇子の先が突きつけられる。


「声が大きい」

「……ごめん、なさい」


 素直に謝ってしまった王子に、リアンは慈悲深い笑みを返した。

 気が小さくて他人の顔を伺ってしまう王子と、他人の目など何も気にしない伯爵令嬢の組み合わせは、一言でいうなら最悪に尽きる。ましてその関係が幼馴染ともなれば尚更だった。


「では参りましょう。ゾーイも待っております」

「でも、勝手に離れるわけには」

「殿下、恐れることはありません。胸を張り、堂々と向かえばよろしいのです。それとも、その情けないお姿でゾーイと対面なさるつもりですか」


 声音は柔らかに、しかし有無を言わせぬ態度でリアンは相手を詰める。

 ゾーイの名前に、アルケイルは少しだけ顔を持ち上げて、そして左右に首を振った。リアンはこの男のことを実に退屈な人間だと思っていたし、今もその評価は変わらない。だが美点を挙げるとするならば、リアンに対して弱気なところと、ゾーイに対して親愛を向けているところだった。


「そんなことは、しない。しないよ」

「素晴らしい。それでこそ次期国王です」


それでは、とリアンは自らの左手を、手の甲を上に向ける形で宙に上げる。アルケイルはそれが何かわからぬような顔をしていたが、手を引くことを求められているのだと気がつくと、不愉快そうなものを一瞬目の奥に過らせた。


「どうなさいました?」

「何でもない」


 洗練された動作で、王子の手が令嬢の手の下に添えられる。周囲の人間たちが何事かと興味津々に視線を送る中、二人は外へと続く扉の方へと歩き出した。

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