3.執務室の中で
「此処に陛下がおられる」
長い廊下といくつかの階段を経て、二人が連れてこられたのは分厚い木製の扉の前だった。北の方に生息する頑丈な木材を使用し、緻密な彫刻を施されている。幼い頃から何度も王城に出入りしていたリアンだが、この部屋の前に来るのは初めてだった。
「執務室、で良いのでしょうか」
「その通り。此処で国の全ては話し合われ、そして全てが決まる。王子や王女ですらも容易には入ることを許されない場所だ」
「そのような場に入れることを光栄に思います」
「陛下が此処に呼べと仰ったからだ。儂としては反対だがな」
そう言いながら、バルトロスは扉の前にいた衛兵騎士に声を掛ける。門前にいた者よりも更に年を取った男二人は、年季の入った一礼をしてから扉を開いた。扉に使われていると思しき金属が擦れる音と共に、部屋の中の様子が徐々に露わになっていく。リアンは柄にもない興奮が胸を満たそうとするのを誤魔化すかのように、口を真一文字に結んだまま、それを見ていた。
扉と同じ素材で作られた六角形のテーブル。それに合わせた特注の革張りの椅子。テーブルの中心は空洞になっていて、そこから真っすぐに一本の木が立っている。この国を象徴する植物の一つ、「エルドゥールの木」。主神エルハの名前より取られ、ファリティーニ家の紋章にもその独特な菱形の葉が用いられている。
「陛下。リアン殿をお連れしましたぞ」
バルトロスがそう言うと、木の陰になっていた椅子から、アルケイルが立ち上がって顔を覗かせた。金刺繍のシャツに黒い天鵞絨のガウンを重ねており、見かけだけは国王らしいものになっているが、相変わらず威厳はなかった。
「リィ、よく来たね。待っていたよ」
「リアン・エトリカ・シンクロスト、参上いたしました。本日より陛下のために務めさせていただきます」
リアンが腕を組んで頭を下げると、その後ろでゾーイも同じ格好を取った。
「そんなに固くならなくていいよ」
「そういうわけには参りません。私はどちらに腰を下ろせば?」
「あ、うん。えぇっと……」
アルケイルは落ち着きなく左右を見た後に、助けを求めるようにバルトロスを見た。口髭の下で、渇いた唇が弧を描く。
「リアン殿は陛下の相談役。となれば儂と対をなすように、陛下の左側がよろしいでしょう」
「そ、そうか。そうだね」
安堵の表情を浮かべたアルケイルを見て、リアンは早速不安を抱いた。自分で招いた臣下を一人座らせるのすら自分では決められず、宰相の顔色を見るようでは話にならない。
「わかりました。ゾーイ、お前は私の隣に控えていろ」
「はい、お嬢様」
三人が椅子に座ると、互いの顔は中央に生えている木の陰になってしまい、殆ど見ることが出来なかった。リアンがその意味を考えていると、バルトロスが咳ばらいをする。
「この部屋の構造は、神話に基づいて作られている。そなたは知らないかもしれないが、主神エルハは」
「その祖神、リ・ハーと世界の在り方について話す時に、自らが創造する世界と祖の国を隔てるために一本の木を植えた。それにより祖神は世界をエルハに任せることとなった」
リアンはそこに本でもあるかのように流暢に説明をした。
「ほう、よく勉強しているようだな」
「遊び相手として王城に出入りをしていた頃に王家の由来を父より叩き込まれました。意味もわからず覚えていただけでございます」
「知らないよりは上等だ。少なくともそなたの頭の中に鳥の羽が詰まっていないことの証明にはなろう」
「恐縮です」
木の向こう側で老人は笑ったようだった。しかしそれを見ることは出来ない。リアンを此処に座らせたのは、これを狙ってのことだろうと解釈出来た。互いの顔が見えない以上は、言葉だけで応酬をするしかない。表情や仕草を伴わないやり取りは、時として相手に誤解を与え、そして言質を取られることも多い。
バルトロスにとって、突然現れたリアンの存在は邪魔に違いなかった。早急に排除したいのは想像に難くない。しかし何もしていない相手に、武力行使や謀略を行うことは出来ない。だからこそバルトロスは、「不敬罪の材料」がリアンの口から出てくるのを待っている。
「それでは今後について話し合いを行いましょう、陛下。よろしいですね」
バルトロスがそう言うと、アルケイルが肯定を返した。
「うん。構わないよ。僕は何をしたらいいのかな。父上には政治について教え込まれてはいるけど、どうやって進めればいいのかわからないんだ」
「そのためにこの部屋はあるのですよ。儂が陛下の手足となり、国政を考えます。陛下はそれに是か非かを仰ってくれればいいのです」
「そ、それでいいの?」
「勿論、陛下がなさりたい政策があれば遠慮なく。より良き国を作るため、協力は惜しみませんよ」
優しい言葉を紡ぐ声は、それだけ聞けば王を想う忠臣のものだった。だがその裏に潜むのは巨大な支配欲と権力への執着である。バルトロスは王の承認のみを欲しており、意見などは求めていない。自分こそがこの国を思い通りに動かせるという自信と傲慢。リアンは前の人生でもそれを嫌というほど思い知っていた。
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