4.王妃不在

「陛下が慣れるまでは、儂が全面的に助力をいたしましょう。税金のことなどは非常に難しい問題で、先代も苦労されていましたから。しかし陛下は幼少の頃より賢さは抜きんでていた。すぐに先代に匹敵するほどの政治力を培うことでしょう。なので、焦らず。それまでは儂に任せてください」

「そう、かな。宰相が言うなら……」

「陛下」


 リアンが口を開くと、木の枝の隙間でアルケイルが肩を跳ねるのが見えた。


「な、何?」

「申し上げたいことがございます」

「何か不満でもあったかね、リアン殿」


 バルトロスが不機嫌だと言わんばかりに語気を強める。


「先ほども言ったが、女が口出しすることではない。クローゼットの中で陛下の靴の色でも相談しているのが適任だ」

「宰相殿。私は陛下をお呼びしたのです。声が小さかったのであれば謝罪いたしますが」

「……結構」


 椅子の上で座りなおしたのか、物音がした。リアンは相手が少し苛立っていることを感じ取り、満足する。向こうが怒らせようとしてくるのであれば、こちらも同じ手を使うまでだった。


「陛下にはまず必要なことがあるのではないかと思います」

「必要なこと?」

「これは国政のため、外交のためにもすぐに取り掛かるべきことです。私などが言うまでもなく、宰相殿も懸念されていることでしょう」


 返事はなかった。リアンはそれを気にすることもなく言葉を続けた。


「陛下のお相手、つまりは王妃を探すことです」

「お、王妃……?」


 アルケイルがわかりやすいほどに狼狽える。枝の隙間から見えた顔は赤くなっていた。


「それはつまり、ぼ、僕の」

「結婚相手ということになります。皆がご存じの通り、陛下には婚約者どころか愛妾もいない。これは外交において非常に不利とも言えるでしょう。宰相殿も先ほど私に、結婚の大切さを説いていただきましたが、あれは陛下にも同じ懸念を抱いていたのではないかと」

「それは……、あの……」

「聞くところによれば、隣国のヘルベナ姫を迎え入れようとしたにも関わらず、かの国の情勢不安により解消となったと。しかしこのままではいけません。国が安泰している証左としても、一刻も早く王妃を見つけるべきです」

「でも、そんなことを急に言われても困るよ。リィだって知ってるじゃないか。侯爵家以上の家柄だと適任の娘はいなくて……」

「身分なら陛下が持っています。王妃の身分をいたずらに高くすることはない。例えば公爵家の分家などでも十分なわけです」


 アルケイルは何か言おうとして口を開く。しかしそれを遮るようにバルトロスの声が木の向こう側から聞こえてきた。


「儂も陛下に進言しようと思っていたところだ。余計な口を挟むな」

「これは失礼いたしました。しかし宰相殿も同じお考えなら話は早い。王妃がいるかいないかで外交の在り方も大きく変化いたしますし、民も安心するでしょう」

「その通りだ。誰を選ぶかという問題だが、ここは公爵家の血を引く……」

「陛下、女の浅知恵ではございますが聞いていただけますか」


 リアンはアルケイルの方を真っすぐに見つめて、というより殆ど睨みながら告げた。バルトロスの顔が見えないのが不便であるならば、それすらも逆手に取れば良い。周りに咎める者がいない環境は、リアンにとっては好都合ですらあった。案の定怯えた表情になったアルケイルが、脂汗をにじませながら頷く。


「いいよ、話して」

「陛下のお相手を決めるパーティを開くのです」

「パーティ……?」

「えぇ。勿論これには意味がございます。年頃の娘を持つ者は勿論のこと、誰が王妃殿下になるか知りたい者も参加する。殿下は王妃を見つけるだけでなく、貴族たちの間にある力関係をもその眼で確認することが出来る。王としてはまたとない機会でございます」

「でも王妃は誰が決めるの?」

「それは陛下に決まっています。他に誰がいるのですか」


 驚いたような声を出して言えば、アルケイルは戸惑いながらも肯定を返した。


「そう、だね。僕の相手だもんね」

「陛下。これは庶民の恋愛ではありませぬぞ」


 バルトロスが少し声を荒げた。


「王妃とは王に準ずる存在。ただの好き嫌いにより決めるべきではない」

「宰相殿。それでは陛下が顔の美醜のみでお相手を決めるかのようではないですか。陛下の判断能力に何か疑義が?」

「そういうわけではないが、今のそなたの言い方にも問題がある」


 言いがかりだ、とリアンは思ったが口には出さなかった。言い返そうとすれば、いくらでも言葉は紡げる。しかしわざわざ相手に有利な材料を与える意味はない。「新しい相談役は宰相に反抗的だ」という噂を立てられたら、シンクロスト家ごと終わりである。あくまで、相手が微妙に不快を感じるレベルに抑える必要がある。

 しかし、リアンとしてはこの案をどうにか通さなければならなかった。宰相に一任してしまえば、その息のかかった娘が王妃にされることは目に見えている。それではただ彼の地位を底上げするだけで、リアンにとっては何の意味もない。


「宰相殿にご無礼があったのであれば、謝罪いたしましょう。しかし、身分を問わずに王妃を選ぶのであれば、殊更にしてこのパーティは意味を持ちます」

「何故だ」

「例えば私が思いつくのは、宰相殿の縁戚にもあたります、オスカー侯爵家のハイリット嬢です。彼女は美しいし、教養もある。陛下のお相手にも相応しいと言えるでしょう。しかしそれを我々だけで決めたらどうなりますか? 他の貴族の反感を産むでしょう」

「別に儂は、ハイリットを……」

「物の例えでございます。では王妃選びのパーティで、陛下が自ら選んだとしましょう。それに多少の不満を得る者がいたとしても、そのパーティで陛下とお近づきになれたという実績が得られる。不満も少なくなるでしょう」


 それに、とリアンは柔らかい声で続けた。


「何よりも民にとっての娯楽となります。王の交代は程度の差こそあれ、民衆の不安を掻き立てるもの。息抜きは必要です」

「……息抜き、か。なるほど」


 一理あると思ったのか、バルトロスが呻くような声を出した。


「引きこもりにしては良いことを言うものだ。確かに、庶民への適度な娯楽や褒美の効果は侮れない」

「これも私が処刑人なればこそ。処刑の場には娯楽を求めて民衆が多く詰めかけますから。いかがでしょうか」

「その程度のことは儂にも思いつくが、まぁ今回はそなたの顔を立ててやろう」

 

 負け惜しみにしか聞こえない言葉にも、リアンは丁寧に礼を述べるに留めた。そこに至って漸く、アルケイルがまともに口を開く。


「えーっと……。つまり、どうなったの?」

「宰相殿の温情により、私の案が採用されました。あとは陛下の承諾を得られれば良いだけです」

「パーティを開くことの?」

「そしてそれに関連するその他諸々を」


 アルケイルは眉を寄せてリアンを、正確に言えばその向こう側に控えている人間に目を向けた。リアンはそちらを見なかったが、恐らくゾーイが頷くか何かしたのだろう。アルケイルの目に安堵が浮かぶ。


「わかった。パーティを開くことを許可する」


 告げられた言葉はあっさりとしたものだったが、リアンにとっては大きな意味を持っていた。恐らく、バルトロスにとっても同じだろう。王妃選びをすると、王自らが口にした。それは王室に一人加わることを決定づけたということである。

 誰が王妃になろうとも、何かは変わる。貴族たちの力関係、王室に関わる者の仕事、何よりもアルケイル自身。

 リアンはその変化を自分の糧にするための一手を、既に頭の中で考えていた。

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