5.馬車の行先

「ミルレージュ家に向かえ」

「は?」


 馬車に乗り込むなりそう告げたリアンに対して、ゾーイが素っ頓狂な声を出した。


「聞こえただろう。ミルレージュ男爵家に行け」

「何故ですか」

「陛下の王妃選びのパーティのことを教えに行く。御触れが出るのは明日だが、こういった情報は少しでも早いほうがいい」

「アリセ様にお会いになるのですか」


 聞き返しながら、ゾーイは馬の背を軽く手で叩く。仲良く並んだ二頭の黒馬は、いつものように小さく鳴いてから馬車を引き始めた。王城の正門から馬車はゆるゆると離れていき、やがて門扉も見えなくなると、リアンは口を開いた。


「それ以外に何がある。男爵も良い男には違いないが、陛下は王妃をご所望だ」

「別にそういう意味ではありませんが……。アリセ様を王妃に?」

「それが一番良い。お前も先ほどの宰相殿の言葉を聞いただろう。ハイリット嬢を王妃にしたいのが見え見えだ。もしそんなことになれば、陛下に対する彼の発言力が大きくなるだけで、私にとっては不都合極まりない」

「しかし、男爵家では釣り合いが取れないのでは」

「ミルレージュ男爵の祖母は、王家の血を引いている。身分は兎に角、家柄と由緒は問題ないだろう。そして何よりも男爵は野心家だ。もし自分の娘が王妃に選ばれたら、政治の場にしゃしゃり出るに決まっている」

「あぁ、なるほど」


 ゾーイが納得したような声を出した。


「宰相殿への当て馬になさるつもりですか」

「そうだ。策略と謀略を張り巡らせて宰相殿を陥れるのは時間がかかる。だったら彼の意識を私ではない方に向けさせれば良い」

「でも男爵がお嬢様の邪魔をすることも考えられるのでは?」

「そうならないように、今から恩を売りに行く。アリセ嬢ならば、どちらについたほうが利があるかを見極められるはずだ。教養ばかりが頭に詰まったハイリット嬢とはそこが違う」

「だといいんですけどね。ほら、お前たち」


 辻道に差し掛かるところで、ゾーイは再び馬の背を叩いた。


「右ではなく左へ。お嬢様は大事なご用事があるってさ」


 二頭が揃って鳴いて、鼻面の向きを変えた。いつもは通らない道の方へと馬車が入っていく。


「前から思っていたが、なぜ人間に話すように馬に指示をする」

「そうしてくれと馬を贈ってくださった方に頼まれたので」

「あぁ……あの変わり者の王子か」

「お嬢様にそう言われれば、あの方も本望でしょうね。知りませんよ、うっかり耳に入っても」

「どうやって耳に入る。私の声は山を二つ超えた先の国に届くほど大きくはない」


 リアンは揺れる馬車の窓から外を見る。この十年間、馬車に乗って出かける場所は限られていた。その大部分は処刑場だったが、余程のことがない限り、道はいつも同じだった。前の人生ではそれで充分満足だったが、今後はそうも言っていられない。

 傍観しているだけでは何も手に入らない。それは当たり前の事だったが、前の人生を覚えているリアンにとっては切実たる教訓だった。


「でもあの男爵家はどうかと思いますよ」


 馬を操りながら、ゾーイが話を元に戻した。窓の外に意識を奪われていたリアンは一瞬、何を言われたか理解するのに時間がかかった。


「反対か」

「男爵には気骨はありますが、どうにも血の気が多い。宰相に食ってかかるかもしれません」

「……前の人生で男爵が何をしたか教えてやろう」


 リアンは出来るだけ感情を混ぜぬように、静かな声を出した。


「野心家であった男爵は、宰相殿に擦り寄り、自分の娘を差し出した」

「アリセ様を?」

「彼が持つ、唯一にして最大の財産だからな。アリセ嬢は狡猾な老人の八番目の愛人にして十五番目の養女となった。そしてあの美貌を生かせぬまま、宰相殿の身代わりに牢獄へと放り込まれた」


 ゾーイが息を飲んだ気配がした。思わずその光景を想像してしまったのだろう。


「もしアリセ嬢が王妃にならなければ、男爵は同じことをするだろう。それ自体は、他人が口を挟むべきことではない。だが、彼女の人生に起こりうる不遇を回避出来るのなら尽力すべきだ」

「アリセ嬢のためですか?」

「何故そうなる。私が彼女の不遇を救おうとしていると思ったのなら、それは大いなる勘違いだ」


 的外れな問いを、リアンは笑いすらせずに否定した。


「彼女が王妃になっても、その栄華は長くは続かない。アルケイルが処刑されれば、彼女とて無傷では済まないだろう」

「あぁ……。それは、そうですね」

「彼女はアルケイルを立派な王にするための手駒に過ぎない。だがまぁ、老人への贈り物にされるよりはマシな人生かもしれないな。それを決めるのは私ではないが」


 リアンはゾーイの背中を、窓越しに見た。


「善行を積むべきか?」

「善行を積もうと思って行動することほど、傲慢なことはありません。第一、そんなつもりは微塵もないのでしょう?」

「私のことがよくわかっているな」


 車輪が石に乗り上げて、少し大きな音を立てた。その音に紛れるようにして、ゾーイが口を開く。


「努力はしましたから。貴女を理解出来るように」

「理解したか?」

「まだもう少しかかりそうです」


 馬車の車輪から伝わる、地面の感覚が変わる。先程までの砂利混じりの街道ではなく、石畳の上を車輪と馬が進んでいく。

 リアンは自分の右側の窓から顔を出して、前方を確認した。石畳の道の左右にはバラの木が並んで植えられている。そのいずれもが赤い蕾をつけていた。そして、その道の先には赤い屋根の立派な屋敷が見えた。まるで薔薇の花を集めて被せたような屋敷こそが、リアンが目指すミルレージュ男爵家だった。

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