2.宰相と令嬢

「相談役としての装いとしては申し分ないな。先日のような奇抜なドレス姿でなくて安心した」

「恐れ入ります。どうにも私は流行に疎いもので」

「だろうな」


 ふん、と男は鼻の下に蓄えた髭を揺らす。薄くなった頭頂部と比べると過剰とも言える量だった。恐らくはその中に地毛は半分しか存在せず、豚の毛を仕込んでいるのだろうとリアンは推測していた。


「十年も処刑の場以外では表に出てこなければ、世情に疎くなるのも当然のこと。それでよくも相談役など引き受けたものだ。大人しく引きこもっていれば良いものを」

「お気遣いありがとうございます」

「それで、その下男も連れていくのか」


 バルトロスは顎をしゃくるようにしてゾーイのことを示した。


「いけませんか。側仕えの者を同伴することは禁じられていないと思いますが」

「良いと思っているなら問題だな。その男が誰か知らないわけではあるまい」

「えぇ、存じております。宰相殿も今申されたではありませんか。ただの下男です。それとも、他に何か思いつく身分でも?」


 その切り返しにバルトロスは不機嫌な表情になったが、何も言わずに踵を返した。


「陛下の元に案内しよう」

「ありがとうございます、宰相殿」


 城の中に足を踏み入れると、途端に外界の音が遠ざかる。これも月影石の効果の一つだった。硬質な石と変わらぬ密度を持ちながらも、加工しやすい柔軟性がある。それが防音効果を生み出しており、城の他では街中の劇場などに使われていた。

 長い毛足の絨毯を踏みしめて歩きながら、リアンは四方に視線を配る。幼い頃に何度もこの場所は訪れたが、視点が変わったためか当時と随分印象が違った。シャンデリアはもっと輝いていたように思うし、壁に飾られた歴代の王たちも暖かな笑みを浮かべていたように思える。勿論それは過ぎ去った過去を美化しただけなのかもしれないが、ふと目が合った初代国王の肖像画は、随分と冷たい目をリアンに向けていた。


「此処も久しぶりだろう」


 一歩前を進むバルトロスが声を出す。まるで自分の城のように横柄に歩く姿は、リアンにとっては滑稽だった。


「えぇ、本当に」

「これらは全て歴代の王により築かれてきた。言わば王家の魂の結晶とも言うべきものだ。そなたがそこの下男と引きこもっている間も、前陛下により城は、国は、保たれ続けた。儂も微力ながらその片手片腕となって政を動かしてきた。良いかね」


 歩調を全く崩さず、まるで当然のように男は言葉を続ける。恐らく、メイドに部屋の掃除を言いつける時も同じことをするに違いないとリアンは確信出来た。


「政治に女は不要だ。相談役だからといって、増長するでないぞ。女は女らしく、男の言うことに従っていればよい」

「増長などはしておりませんが、責務は全ういたします」

「それが増長していると言うのだ。良い年にもなって結婚も婚約も出来ぬようだが、それだけで女としての器は知れたもの。それともその貞節を、すでに散らしているのではなかろうな」


 侮辱に満ちた言葉だったが、リアンはそれが相手の手だと見抜いていた。これは所謂「腕試し」であって、この程度の挑発に乗る人間かどうかを見極めようとしているのだろう。バルトロスはいけ好かない老人ではあるが、ただの嫌味と家柄だけで宰相になった人物ではない。

 初手を誤らないのは簡単なことである。相手が言うところの女らしさを前面に出し、目でも潤ませれば良い。ついでに謝罪にも似た卑下を口にすれば相手は満足する。だがそれでは弱い。リアンの目的は、自分がアルケイルの良き相談役となり、良き王になるように導くことである。ここで宰相に見くびられては元も子もない。


「私は女らしくないと父にはいつも言われているのです」

「自覚があるのなら改めることだ」

「心に留め置きます。しかし、宰相殿の経験の豊かさには恐れ入りました」


 リアンは無知な娘が憧れを口にするような、少し幼さの滲む声を出した。背中を向けたバルトロスは、どうやら鼻で笑ったようだった。自尊心をくすぐり、こちらへの警戒を下げた瞬間に、リアンは次の言葉を放った。


「どちらで男性相手の貞節を学ばれたのですか」


 バルトロスの足が止まった。そしてそこで初めて振り返り、感情の読みにくい眼差しでリアンを見る。先ほどのような値踏みをするようなものではなく、リアンの奥底を覗き込もうとしているようだった。

 リアンは不思議そうに小首を傾げたまま相手を見つめた。どうしてバルトロスが振り返ったのかわからない、と言うように。だが、それは勿論演技だった。今しがたリアンが放った言葉は、解釈によってはバルトロスに「処女ではないのか」と言っているようなものである。しかし、その一方で単純に女性遍歴や恋愛経験を尋ねただけにも受け取れる。

 睨みあうような時間は数秒続いた。先に視線を反らしたのはバルトロスだった。


「下らない話をするために、陛下はそなたを呼んだのではないだろう。今のような軽口は慎むように」

「これは失礼いたしました。何しろ、父曰く私は変わっているそうですから。無作法があれば遠慮なくご指摘を」


 背中から、ゾーイの小さい溜息が聞こえた。そして、前方を進むバルトロスに聞こえぬよう、小さな声でリアンへと囁く。


「お嬢様、揉め事は起こしませんようにお願いします。男尊女卑は気に食わないでしょうが」

「宰相殿は賢い」


 リアンは前方を見たまま呟いた。


「今のは私を怒らせて、上っ面を剥ごうとしただけだ。恐らく、彼は女性を下に見てはいない。本当に下に見ているのなら、私を迎えになど来ないだろうからな」


 侮れない相手であることは間違いない。だがリアンは怖気づいてはいなかった。それぐらいの障害がなければ張り合いがない。命を賭しての二回目の人生に、リアンは全身全霊で挑もうとしていた。

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