第二章
1.正門から
シンクロスト伯爵家の変わり者の娘が、新しい国王の相談役になったという噂は貴族たちの間に瞬く間に広がった。
彼らは一様に驚き、それからリアンのことをどうにか記憶から引きずり出し、それから一部の貴族は伯爵家との「繋がり」を自らの中に見つけ出そうとした。国王の勅命により処刑を行うシンクロスト家は、その稼業を疎んじられることもあるが、それでも伯爵家という称号の前には子細なことだった。貴族たちにとって、地位や財産は自らの命よりも尊く、それを得るためになら身内すら喜んで犠牲にする者も多い。
「旦那様が嘆いていましたよ。急に親戚が増えたと」
「どうにかして父上に取り入り、そのおこぼれを頂戴しようと言うのだろうな」
「お嬢様への縁談を申し込むお手紙も百通を超えました」
「給仕係に渡して焚き付けにでもしろ。私には不要だ」
馬車から降りたリアンに手を貸しながら、ゾーイが愉快そうに口角を緩める。
王城の正門前にある広場は、西側のそれと比べると規模は小さい。なぜなら正門に馬車を停めて中に入る人間は限られるからである。そこに自分の所持する馬車を停めること自体が名誉なことだとされていた。現に今も、シンクロスト家の馬車の他には数台しか停められていない。どれも朝日を浴びて誇らしげに輝いていた。
「旦那様に釘を刺されました。下手なことは考えるなと」
「あぁ、父上は私がお前の爵位を取り返さんとして、殿下に取り入ったと考えているようだ。面白いだろう」
「えぇ、とても」
ゾーイは肯定を返して、そして正門の方に向かうリアンの後に続いた。灰色と白のドレスに身を包んだリアンは、先日よりも更に地味な装いとなっていたが、見る者が見ればドレスの生地が最高級の代物であると気付く。王の相談役としては相応しい恰好とも言える。
「しかし、お前が望むなら殿下に進言してもいい」
「今更、貴族に戻ったところで困るだけです。それに俺がいないとシンクロスト家の庭は荒れ果てます」
「庭師はよくやっている。お前が好き勝手に花を植えているだけだろう」
背後でゾーイが笑ったのがわかった。今の言葉の前半部分は嘘ではないだろう、とリアンは若干の期待も込めて考える。半ば強引に自分の従者にしたが、ゾーイはそれを早い段階で受け入れた。教養と若さを兼ね備えたゾーイにとって、従者としての振舞いを身に着けることは容易だったに違いない。
最初はリアンの身の回りの世話だけだったのが、気付けば庭師に混じって土塗れになり、給仕係と一緒に手を粉に染め、若い使用人たちのまとめ役のようにもなっている。そのうちの何人かは、ゾーイが元貴族であったことすら知らない。
「花は良いですよ。死んだ母がよく育てていました。特に百合を。あれは綺麗なんですが匂いが強いので、お嬢様のお部屋の近くには植えていませんが」
「ロスター家の紋章にも入っていたからな、百合は」
城の門の前には槍や剣を携えた兵隊が列を作っていた。国王直属組織の一つ、衛兵騎士団。城の内外において、王の安全を守ることを最大の任務とする。美しい赤い制服とその役目から、他国でも有名な存在である。
近づいてきたリアン達に気が付くと、先頭にいた一人が一歩前に出る。唯一赤い帯がついた上等な帽子を被っていることから、隊長であることを認識したリアンはそちらへと視線を向けた。年は四十前後。日焼けして衰えた肌とは逆に若々しい眼差しが印象的な男だった。
「陛下の勅命により参上した、リアン・エトリカ・シンクロストだ。入城の許可は下りているはずだが」
「お待ちしておりました。シンクロスト様がいらしたら、すぐに連絡するように言われております。少々お待ちいただいてよろしいでしょうか」
「構わない。陛下にもご都合があるだろうからな」
そう告げると、男が部下の一人に何か合図をする。部下は略式の敬礼をしてから、早足に、しかし決して走らずに城の中へと消えていった。「衛兵騎士団は走らず、歩まず、休まず」と語られることがある。その意味するところは、どんな非常時でも常時と同じように行動することである。急いでいる時ほど落ち着いて見せ、落ち着きべき時にも気は抜かない。それこそが、王を守るために必要な才能とされていた。
「陛下はこの数日、お忙しいようだな」
リアンがそう口を開くと隊長の男は肯定を返した。
「即位について知らされていなかった方が多かったため、この数日はお祝いを述べるために来る方が後を絶たず。それゆえか、陛下はシンクロスト様がいらっしゃるのを心待ちにしておりました」
「リアンで良い。それが本当であれば喜ばしいことだ。女が相談役など、と眉をひそめる者も多いようだがな」
男は困ったような顔をした。否定も肯定も返しかねる、ということだろう。リアンとしては、わざわざ他人を困らせる気はないため、すぐに話を切り替えた。
「王城に来るのは実に十年ぶりとなるが、前国王の愛猫は健在だろうか。確か名前は……」
「ミストです、お嬢様」
「そうだ。ミスト閣下だったな。思い出した」
えぇ、と男は肯定を返しながら少し親しみのある笑みを見せた。
「閣下はご健在です。若い頃と比べますと動きは緩慢になっており、ネズミ捕りの公務からも退かれましたが、今朝も機嫌よく寝ておられました」
ミスト閣下という仰々しい名前を付けられた猫は、十一年前にこの王城で生まれた。どこからか迷い込んだ身重の猫が、夜のうちに王妃の部屋の前で産み落とした五匹のうちの一匹である。前国王のロインは、猫は戦の神ティティルの化身であるからと喜び、生まれたての子猫に王城のネズミを狩る大役を与えた。
リアンはまだ幼い子猫が、誇らしげにネズミを持ってきたことや、それを見たアルケイルが悲鳴を上げて逃げ回っていたことを思い出す。
「後程、閣下にもご挨拶をしたい」
「それでは陛下の元に行く時に……」
「陛下の前に猫に挨拶だと?」
低く重みのある声が、リアン達の会話を遮った。隊長の男は少し驚いた顔をしたが、衛兵騎士に相応しい態度で振り返り、敬礼をする。そこには肥満体の老人が立っていた。首からは金色の鎖と宝石、香木を組み合わせて作った悪趣味な装飾品が下がっている。それがその男の生家の紋章を元に作られた物だと、恐らく国中の誰もが知っていた。
「陛下に無礼を働くとは、衛兵騎士も偉くなったものよ」
「宰相殿、今のは……」
弁解を口にしようとした隊長を制して、リアンは一歩前へと進んだ。
「私が是非にと言ったまでです。戯言と聞き流していただければ」
「リアン殿」
男は脂肪で張り詰めた頬の上で、茶色い目を上下左右に動かしてリアンを見回した。不躾な行動であるが、リアンは敢えてそれを受け入れる。この程度で腹を立てたり、恥じらったりするほど子供ではない。
何より、この男の前で不用意なことは出来ない。宰相、バルトロス・オーディ・マグレットの機嫌を損ねることは貴族たちの中では自殺行為とされていた。ロスター家の失脚などはまだ人道的である。「不敬罪」で断頭台に送られた人間が過去にどれだけいたか、リアンは処刑人であるからこそよく知っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます