11.命を狙う者

 広間の上に位置するバルコニーから見下ろす客たちの頭は、一様に同じ方向を向いていた。そこには身分やら年齢やら性別やらは大した意味を持たない。国王の言葉を一つでも聞き逃すまいとして、全員が真剣な眼差しをアルケイルに向けていた。

 女はそれを見回して、そして小さく息を吐いた。失敗は許されない。ためらいすらも。人の命を奪ったのはこれが初めてではないが、それでも重圧が胸に伸し掛かる。上等なドレスの袖から伸びた白い指は狩りで使う弓をしっかりと握りしめていた。力の入りすぎた関節部は赤くなり、細い血管が浮かんでいる。

 アルケイルの話は全く聞こえなかった。何か話しているのはわかるが、その意味を理解するには、置かれた状況が緊迫しすぎていた。皆がアルケイルに集中している間に、事を済ませねばならない。誰かに見られたら全てが終わる。女は再び息を吐いて、弓矢を構えた。


「感心なことだな」


 唐突な声が女の呼吸を一瞬止める。弓を持ったまま首だけで振り返った先には、月を背にして立つ紅茶色の髪と翡翠色の目をした若い女がいた。銀色と黒色のドレスにその明かりがつぶさに反射して、星空のような静かな輝きを放っている。


「シンクロスト家の……」


 弓矢を持った女は渇いた喉から声を出した。若い頃はそれなりに美しかったであろう整った顔立ちをしているが、長年染みついた険しい表情がそれを殆ど食いつぶしていた。四十手前とは思えないほど、その眉間には深い皺が刻まれている。


「覚えていただいて光栄でございます、オスカー侯爵夫人」


 リアンはそう言ってから一歩近づいた。


「さて、ここで何を?」

「こ、これは……」


 侯爵夫人であるコーネリアは、慌てて弓矢を隠そうとしたが、彼女のふくよかな体をもってしても狩り道具を隠せるわけがなかった。それに気が付いたコーネリアは、今度はそれをリアンに渡すまいとするように両手で抱え込む。波打つ黒い髪と、白い肌、それに合わせて作られた濃紺のドレスと黒いショール。恐らく月夜の中でショールを頭から被ってしまえば、その姿は闇に紛れてしまうと思われた。


「巣ごもりのネズミのような真似をなされるな、侯爵夫人。それで誰を射抜くつもりだったのです?」

「射抜く……など、そんな」

「まぁ聞かずとも、貴女の夫が取った行動を見ればわかる。男爵の命を狙おうとしたのでしょう」


 リアンはまるで、旧知の友でも見つけたかのような気やすい足取りで、コーネリアの傍に近づくと、閉じた扇子の先で侯爵の後ろにいる男爵を指し示した。二人のいる場所からは、ほぼ一直前上にある。


「アリセ嬢を狙って、万一ハイリット嬢に矢が当たったら大変だからな。男爵を侯爵が招き寄せ、狙いやすい状態にする。そこに貴女の献身の一撃が放たれるというわけだ。それなら外しても、貴女の愛する夫がとどめを刺すだろう」

「何を言っているのかわかりませんわ。えぇ、えぇ。そうですとも」


 コーネリアは青ざめた顔をしながらも必死に抗弁を試みる。


「私が男爵を殺そうとしたとでも? いくら処刑人とは言え、無礼にもほどがあります。侯爵家に対する侮辱として受け取ってもよろしいかしらね」

「こんなところで弓を構えていたくせに、往生際が悪いことだな。侯爵夫人ともあろう方がみっともないとは思いませんか」

「お黙りなさい。伯爵家の娘に言われる筋合いはありません」

「これは失礼。しかし、伯爵家が侯爵家の土地と城を奪う筋合いもなかったように思えますが。まぁそれを言い出すと際限がないのでやめましょう」


 リアンはたどたどしく話し続けるアルケイルを一瞥した。事前に、開催の挨拶についてはバルトロスと共に内容を確認している。まだ暫くはかかりそうだった。


「貴女が、というよりも貴女がたが男爵の命を奪おうとすることは想像がついていた。なぜなら、そう誘導したのは私だからだ」


 突然のリアンの告白に対して、コーネリアの眉間の皺が一瞬解けた。しかし質問する余裕は与えずに、リアンは次の言葉を紡ぎ出す。


「パーティの開催が決まった後、宰相殿は人に命じて私の馬車を尾けさせた。私がアリセ嬢と会うのを見て、尾行者は私が彼女を王妃にしようとしていると考えたに違いない。それは間違っていない。しかし、その尾行者は私が気付いていることには、気が付いていなかった」


 ミルレージュ男爵家に着いた後、リアンはゾーイに「王城まで往復してくるように」と告げた。それはアリセと二人で話すためではない。尾行者の存在を確認するためだった。リアンが想像した通り、ゾーイが去ってから暫くして、屋敷の外から馬の興奮する鳴き声が聞こえた。ミルレージュ家の馬たちは、アリセの言葉通りなら裏門の方に繋がれている。となれば、慣れぬ薔薇の香りに興奮しているのは、全く別の馬ということになる。



「どれほど世事に疎い私でも、王妃候補になれるほど美しい娘と言われれば、ハイリット嬢かアリセ嬢を思い浮かべる。つまり、アリセ嬢を亡き者にしようとするのは、貴女たちにとっては当然の結論だ。しかもアリセ嬢についているのは「陛下の相談役」である私。パーティが始まってから、何らかの手段で陛下とアリセ嬢を会わせようとするのではないか。そう考えるだろう。貴族の世界は先んじた者の勝ちだからな」


 リアンは最初から、アリセが狙われる可能性は低いと考えていた。王妃選びのパーティで候補の一人が殺されたとなれば、疑いは自ずともう一人の王妃候補か、その親族へと向けられる。しかし、その男親の場合は話が違ってくる。「王妃の父」という特権を手に入れさせまいとする政敵の存在はいくらでもいる。特に男爵の場合は身分の低さにそぐわない野心家であることは広く知られていて、隙あらば失脚させようとする者も後を絶たない。


「つまり狙うとすれば、今の時間帯しかない。身分を問わずとは言っても、男親がなければ流石に王妃に選ばれることは難しくなるだろう。それにパーティ自体も仕切り直しになる。そうなれば後は簡単なことだ。オスカー家は男親のいなくなった家を蹂躙するのが得意だからな」

「あれは私たちがやったのでは……!」


 反論しかけたコーネリアが慌てて口を閉ざした。リアンは口角を吊り上げて「ほう」と呟く。


「貴重な証言をありがとうございます。しかし今はその話はどうでもいいな。重要なのは、貴女が誰を射抜くのかということだ」


 リアンの言葉にコーネリアは目を見開いた。既にその答えは出ているはずだったし、リアン自身がそれを論じたばかりである。だが、リアンの翡翠色の眼差しは、決してふざけてはいなかったし、呆けてもいなかった。


「私は貴女が矢を放つのを止めに来たわけではない。寧ろ、その逆。貴女の矢を最も効果のある場所に導いてやろうと思っている」

「何を……」

「今更、その弓矢を無かったことにすることは出来ないだろう。それに事が露呈すれば、貴女は二度と王城には招かれない。となれば、貴女が矢を放つことが出来るのは今だけだ」

「ゆ……弓は捨てます。それでいいでしょう」

「そんな勿体ないことをすることはない。折角の弓だ。貴女の腕前を見せて欲しい」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る