12.命懸けの一撃

 緩やかに、しかし一切の拒否を認めぬ口調にコーネリアは恐怖を感じたようだった。先ほどと違い、今度は関節部が青白く変わっていく。


「男爵を射抜いた場合、貴女は当初の目的を果たしたことになる。しかしその場合は、私がいずれ貴女を処刑すべく守衛を呼ぶだろう。アリセ嬢についても同じだ。まぁアリセ嬢はやめたほうがいいだろう。その震えた腕では万一のことがないとも限らない。後妻とはいえ、ハイリット嬢の可愛い顔に傷がつくのは避けたいだろう?」


 コーネリアは何も答えない。何か言うべきなのはわかっているのに、言葉が見つからない様子だった。リアンはそれを無視して先に進める。


「第三の選択肢だ。アリセ嬢を王妃にしなくても済む唯一の方法かもしれない。アルケイルの心臓を狙えばいい。そうすれば王妃どころではなくなる」

「な……、何を、そんなっ」


 意味をなさない言葉を、コーネリアが口にする。視線が左右に泳いでいるのが、リアンからは良く見えた。


「その場合は侯爵ともども断頭台に昇ることになる。素晴らしい夫婦愛だな。私だけはそれを讃えてやろう」

「そんなことをするわけがないでしょう!」

「なるほど。その程度の良識はあるのか」

「侯爵家の……いえ、ハイリットの経歴に傷を残す真似は許されません。あの子は宰相殿からも目をかけられた特別な娘です」

「では、残る選択肢は一つだな。ハイリット嬢に汚名を着せることなく、この場を収める良い方法だ」


 リアンはコーネリアの弓を握る手に、自分の右手を重ねた。そして、耳元に口を寄せる。


「侯爵を射抜け」


 コーネリアの肩が大きく跳ねる。リアンの左手がそれを抑えるように添えられた。


「何も驚くことはない。男爵も陛下も射抜けない、ハイリットの名誉は守りたい。となれば侯爵を射抜くしかないだろう」

「貴女は、自分が何を言っているかわかっていらっしゃるの? 夫を射抜き、どうしてその名誉が守られると?」

「こういう筋書きだ。侯爵は貴女に男爵を殺すように命じた。しかし、貴女はそんな夫の企みを恐ろしく思った。しかし、侯爵はハイリットの命を盾にして脅してくる。だから貴女は、ハイリットとオスカー侯爵家の名誉を守るために、夫を手にかけた。これで文句はないだろう」

「私がそんなことに従うとでも思いますか。あぁ、なんて恐ろしいことを」

「やるしかないだろう? それとも夫婦揃って首を斬られ、ハイリットを橋の下にでも住まわせたいのか」


 当然のように言うリアンを、コーネリアが殺意の籠った目で睨む。しかしリアンが鼻で笑うと、すぐに怯えた小動物のように目を逸らしてしまった。


「諦めろ、侯爵夫人。貴女に退路はない。あらゆる最悪の結末から最良のものを見つけ出すだけだ」

「で……ですが、夫を殺せば私もその罪で」

「それは無様に生き残った場合の話だ。美談に収める方法はあるだろう?」


 コーネリアはその意味を悟って、唇を震わせた。


「夫の不始末を片付け、自らも命を絶つ。貴女が生き延びればハイリット嬢には「夫殺しの母親」が残るが、貴女が死んでしまえば、「忠義なる母親」が遺る。どちらがいいかは貴女が選ぶが良い」

「あ……貴女は……。最初から夫を……」

「気付くのが遅かったな。もう少し賢く立ち回れば、あと一つくらいの良い結末もあっただろうに」


 眉間に力を入れることで抑えていた、とでも言わんばかりにコーネリアの両目からは涙が溢れていた。それが後悔なのか、罪の意識なのか、あるいは単に悔しさゆえの物かはリアンには判別がつかない。だが、どれでも大した違いはないと思っていた。

 不意に涙が止まる。すると次の瞬間、コーネリアはドレスに忍ばせていた短刀を取り出して、リアンに向かってそれを振り上げた。宝石をちりばめた柄が月明かりに反射する。リアンがそれを避けようとして右足を動かした刹那、振り下ろしかけた刃が宙で止まった。


「あ……」


 息が零れる音がする。リアンは視線を短刀の先から、コーネリアの顔へと移した。そこには殺意など既になく、ただ驚愕と涙だけがあった。そしてその二つをもたらしたのは、喉に突き刺さった鈍い色の刃に違いなかった。コーネリアの持っている豪奢な短刀とは似ても似つかぬ、しかし鋭い切っ先を持つそれは、衛兵騎士団が帯刀している護衛用の短剣だった。


「お嬢様」


 リアンの後ろから現れたゾーイが、心配そうに顔を覗き込んだ。右手に握られた短剣から垂れる血が床に疎らな染みを作る。


「お怪我は?」

「ない。何故余計なことをした」

「お守りするのが仕事ですから」

「あの程度、一人で防げた」


 コーネリアは喉に何が刺さったのかわからないらしく、突然訪れた痛みと衝撃を紛らわすかのように手すりを右手で掴む。何度か咳き込みながら座り込むのを、リアンは冷静な目で見下ろす。しかし、すぐに思い直したように、コーネリアの足元に落ちた弓を拾い上げ、今にもその命を終えそうな女の手に握らせた。

 首から流れ出した血を、コーネリアのドレスが吸い込み、その色を濃く変えていく。


「侯爵夫人。ここで死んでは、名誉も何もありません。伯爵の娘に斬りかかって、かつて陥れた侯爵に刺されたなどと言われたくないでしょう?」


 もはや正常な判断能力は失われているのか、コーネリアは血走った眼差しを自分の夫に向けながら何度か頷いた。その動作をする度に首の裂傷から血が零れる。震える手で弓を持った女は、何度か大きく息を吸い込もうとしたが、どれも失敗に終わった。リアンは優しくその肩に触れる。


「夫人ならば出来ます。さぁ、自信を持って」


 コーネリアはまた頷くと、弓をしっかりと握った。リアンはそれを見てから、踵を返す。


「行くぞ、ゾーイ」

「見なくても良いのですか?」

「必要ない」


 コーネリアから離れ、バルコニーを少し迂回するようにして、階下に続く階段へ向かう。


「騒ぎが起きるのに合わせて、陛下の元に戻るぞ」

「畏まりました。……人任せにしないと仰ったのに、最後は夫人を使いましたか」

「私自身が夫人を導いたのだから、人任せではない。それと」


 リアンはゾーイに一瞥を向けた。


「もうあんなことはするな。私はお前にそんなことは望んでいない」


 短剣を鞘に戻したゾーイは、それを服の中に隠しながら慇懃に返す。


「お嬢様が危険な真似をしない限りは、お約束いたします」

「嫌味な言い方だな」

「主君に似ました」


 大広間から悲鳴が上がった。リアンはコーネリアが命を掛けた一撃が、功を成したことをそれで知った。恐らくはこの城の中で最も悠然とした歩みのまま、リアンは大広間の方へと進む。人々のざわめきが、リアンには自分への祝福のように聞こえていた。

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