4.くだらない話

 王城の中にはいくつかの庭が存在するが、城内からしか入ることが出来ない中庭は貴族階級であっても容易に立ち入ることが出来ない。そのため、庭師が丹精込めて育てた薔薇やら百合やら、美しく枝を広げる木々やら、そしてその中央にそびえたつ女神像やらを目にすることが出来るのは、一部の人間の特権とも言えた。無論、そんなことは老猫のミストにとっては知ったことではない。猫にとっては鼠がいるところならば全て自分の領域であり、それに制限を設ける人間こそが罪である。従って、老猫は自分を運んできた男に、感謝を述べることすらせずに女神像の足元で大きく伸びをした。


「気持ちよさそうだね」


 ゾーイはそんな猫の様子を見て、双眸を緩めた。中庭には他に誰もいないうえに、相手は猫である。いつもの従者然とした口調を保つ必要もない。


「天気もいいし、風も少ないし、お昼寝日和ってやつかな。俺もこういう日は馬でも走らせたい気分だけど」


 そう言いながら、ゾーイは空を見上げた。綺麗な青空が、壁で囲まれた歪な四角に切り取られている。小さい頃に何度も訪れた場所であるが、十年前に爵位を失ってからは存在すら忘れていた。美しく整えられていながらも、城の外を一切見ることが出来ない場所は、ゾーイにとってはあまり好ましくない。自分の城で過ごした最後の数日間もそうだった。老いた執事を一人残して、他の者は解雇された。城の外には王家直属の兵士たちが並び、ゾーイはそれを小さな窓から見ていた。あの時にゾーイは、自分が殺されるものだと思っていたし、恐らくあの兵士たちも同じように考えていたと信じていた。城を追い出された後に、森に入る小径で矢を放ったのは、あの中の一人だとゾーイは確信している。何しろ、あまり良い腕ではなかった。


「腕がよかったら死んでたから、まぁそれについては感謝しているけどね。閣下なら仕留めそこなうことはないだろうけど」

「誰が死んでいたと?」


 後ろから声を掛けられたゾーイは、冷静に振り返って一礼をした。


「お待ちしておりました、お嬢様」

「閣下と何を話していた?」


 リアンが首を傾げてゾーイを見上げる。


「昔の話ですよ。俺が死にかけた時の」

「矢の一本も掠っていないくせに大げさだな」


 それだけで何の話か察したリアンは、心底くだらなそうに溜息を吐く。


「そもそもお前の話だと、その兵士が当てるつもりがあったのかどうかさえ疑問だ。まだ十四才と言えども、王子の護衛を任されていた人間、しかも高貴な血筋を持つ相手に一介の兵士を寄越すものか」

「では、わざと外したと?」

「反撃を受けて殺されるために、矢を外した。その可能性もある。そうすれば王家としてはお前を犯罪者に仕立て上げることが出来るだろうからな」


 そのことを想像したゾーイは、わずかに口元を歪めた。


「それは……ぞっとしませんね」

「宰相殿が考えそうなことだ。本当にお前を殺したいのであれば、すぐ近くに弓の名手がいたのだから、そちらを使えば良いだけだろう」

「オスカー侯爵夫人のことですか。確かに、素晴らしい腕でしたね」


 掛け値なしの賞賛を口にしたゾーイに、リアンは鼻で笑う。


「主君の前で他の女を褒めるな」

「嫉妬ですか」


 場の雰囲気と話の内容がそうさせたのか、ゾーイはいつもより数段気安い言葉を放つ。それに対してリアンは、化粧が割れそうになるほど眉を寄せた。


「断じて違う」

「失礼いたしました。それで、お嬢様。言われたとおりに閣下をお連れしましたが、他にすることは?」

「そうだな。後はそのくだらないことばかり言う口を閉じておけ」

「ではくだらなくない話ならしてもいいでしょうか」

「何だ」


 リアンは自分が今しがた入ってきた扉の方を見ながら、短く問い返す。手短に済ませろ、とその横顔は語っていた。


「俺の反撃を狙って矢を放ったのではないかという仮説ですが、お嬢様はいつからその考えを?」

「お前が私に、森で殺されかけた話をしただろう。その時だ」

「お嬢様はその時は十二才でしたよね? 早熟すぎませんか」

「処刑人の家の寝物語は、冤罪と陰謀と殺人の話だ。それくらいはすぐにわかる」

「そういうものですか。……でも仮説を聞かせてくれたのは今日が初めてですよね? どういう心境の変化ですか」


 リアンは面倒そうな表情を隠さずにゾーイを振り返った。しかし、言葉を放つ前に再び視線を元に戻す。


「特に理由はない。強いていうなら、言う機会が今までなかっただけだ」

「前の人生でも?」

「そうだ。別に隠していたわけでもないし、特に楽しい話でもないだろう」

「そうですか」


 ゾーイはそこで口を閉ざした。数秒後に、リアンがその沈黙を埋めるように尋ねる。


「何だ。言いたいことがあるなら言え」

「前の人生で、陛下は悪政を繰り返したんですよね」

「そうだ」

「お嬢様は兎に角、俺はそれに何も言わなかったのかなと、ちょっと不思議に思いまして。ほら、この通り、気になったことは口にする性分ですから」


 おどけるような軽い口調で言ったゾーイだったが、リアンの対応は非常に冷ややかだった。というよりも、声や顔に浮かべるべき感情すら面倒くさいと言わんばかりに舌打ちをした。

 貴族令嬢どころか女性としても些か問題のある行動に、ゾーイは呆れた顔をする。


「お嬢様、はしたないですよ」

「死ぬほどくだらない質問をするからだ。もう黙っていろ。そろそろ中庭に薔薇が咲くころだ」


 少し離れたところから、ミストを探す女の声と、微かな薔薇の香りが漂ってきた。

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