3.後世に残す

「陛下は私の算術の知識について疑義はない様子です」


 自分の望む反応が得られたリアンは、しかし特に態度を変えることはなかった。下手に一喜一憂しては、バルトロスから余計な反感を買うことになる。


「教書通りの算術と政治の算術は違う」

「おかしなことを仰いますね、宰相殿。先ほどから私に何か不満でもあるのでしょうか。宰相殿ほどの才覚に優れたお方が、そのような振る舞いをされるとは。私のような小娘の発言が、まさか貴方の妨げになるとでも?」

「そなたの、その発言が」


 気に入らない、と続けたかったのだろう。実際、わずかに漏れ出た言葉の欠片は想像通りの発音をしていた。だがバルトロスは、そこで大きく息を吸ったかと思うと、残りの言葉も一緒に体の中へと飲み込んでしまった。

 バルトロスのこういった行動を、リアンは既に何度か見ていた。自尊心と猜疑心を攻撃するように言葉を重ねれば、大抵の人間は苛立ち、そして腹の内に隠した本音を見せてくる。しかし、バルトロスにはそれ以上の自制心が備わっている。それを更に崩そうとすれば、今度はリアンの方が本音を晒す羽目になりかねない。バルトロスとの会話は常に、剣を背中に隠し、盾と盾で斬り合うような感覚だった。


「まぁ良い。儂とて老いたとは言えども耳と頭は健在。そなたの意見を聞き入れるくらいの器は持ち合わせている」

「ありがとうございます。では、増税について私の意見を……と言いたいところですが、その前に宰相殿は前年比としてどれぐらいの増税を想定しているのでしょうか」

「うむ。一割五分といったところだ」

「なるほど。領主の頭数で簡単に計算しただけでも、国庫の二割ほどは潤いますね」

「実際にはその半分ほどだろう。これ以上少なくすることは出来んぞ」


 反論など許さない。バルトロスの声音はそう語っていた。リアンはそれを受け取り、口元に笑みを浮かべる。


「でしたら、もっと増やせばよろしいのでは? そうですね、三割ほど」

「三!」


 驚いた声を出したのはアルケイルだった。紫色の瞳を瞬かせ、信じられないものを見るような眼差しをリアンに向ける。


「それは、やりすぎだよ」

「一割では小銭をかき集めるようなもの。それで婚礼など行ったところで、何になります。民も馬鹿ではない。自分たちの出した税金が陛下の絹のシャツに変わったことぐらいはお見通しです」

「でも三割増しなんて……」


 アルケイルは狼狽えながら、今度はバルトロスの方を見る。しかし、そちらからは唸るような声が聞こえただけだった。バルトロスは明らかに、この提案に対して動揺している。シンクロスト家はその稼業ゆえに、昔から増税には消極的な立場を取っていた。民が飢えれば、それだけ犯罪も増える。犯罪が増えれば、その分土地も痩せていく。そうなればその土地の領主は自らの富を守るため、納税を逃れるために犯罪を犯す。結果として自分たちの仕事が増えるだけ、というのがシンクロスト家の考えだった。

 バルトロスは勿論そのことを知っている。リアンが増税に反対するものと思って、発言を遮ろうとしていたに違いない。だがリアンの提案は増税に反対するどころか、後押しするものだった。


「よろしいですか、陛下。税を徴収するのであれば、民に還元されるものでないといけません。城の修繕に人を雇えば、なるほど確かに少しは還元されたと言えるでしょう。それに城を修繕したというのは大工の名誉にもなります。ですがそんなことは、地方の民には何も関係ありません」

「関係ないって……自分の国の城だよ?」

「一生に一度見るか見ないかの城など、正直言ってどうでもよろしいのですよ。陛下、私の屋敷にある虎の敷物が新調されたと聞いて、「それは屋敷の景観を保持出来るし、領民たちにとっても喜ばしいことだね」などと言えますか?」

「言わない、けど」


 無茶苦茶なリアンの言葉は、しかし背筋を伸ばして真っ直ぐに相手を見つめることにより一定の効果を生み出していた。アルケイルはリアンの言っていることが何かおかしいと感じながらも、それを言語化することが出来ずに固まっている。否、よしんば何かを言い返したところで、リアンはそれを十倍にして返すくらいの準備は出来ている。


「陛下。陛下の名前は後世にまで語り継がれるべきです。宰相殿もそう考えておられます」

「……当然だ」


 漸くバルトロスが口を開く。決めつけるような口調でリアンが述べたことに対する抗議はなかった。


「ですから陛下。城の修繕よりも大規模な工事を行うのです。全ての民が増税に納得するような」


 勿論、とリアンはいつもよりやや大人しい声で繋げる。少し声量が小さくなったため、アルケイルが身を乗り出すのが見えた。


「工事に不測の事態はつきものですから、実際には予定した期日に間に合わないこともあります」

「えーっと、それってつまり……、工事はしないで税金だけ手に入れようってこと?」

「陛下、人聞きの悪いことを仰らないでください。私はそのようなつもりはございません。ただ、一般的なことを申し上げているのみです」

「でもさぁ」


 どこか子供っぽい口調で、アルケイルは反論にもならない中途半端な言葉を口にする。その視線はリアンの更に向こう側、ただ黙って立っているゾーイへと注がれていた。


「お嬢様」


 その視線に気が付いたゾーイが、リアンを呼ぶ。


「何だ」

「肝心の、何の工事をするかをご説明しませんと」

「あぁ、そうだな。失礼いたしました、陛下」


 アルケイルは何も言わず、ただ不安そうな顔をしている。リアンはその分を補うかのように、自信に満ちた笑みを返した。


「街道の整備でございます」

「……かい、どう?」


 未知の単語を聞いたかのように、アルケイルがのろのろと繰り返す。


「この国は王城のあるこの区画から、蜘蛛の巣のように複数の街道が存在いたします。しかしそれらの殆どは整備もされず、中にはただの山道と化しているものもある。それらを整備すれば、物流が現在よりも簡便になり、より新鮮でより多くの食べ物が城下町に流れてくることでしょう」


 二人に口を挟ませない勢いでリアンは続ける。


「これは全ての国民にとって、ありがたい事業となります。街道の工事に駆り出された人々は賃金を得る。そして出来上がった街道により国の経済は潤う。この国が更に栄えることも予感させるでしょう」

「でも工事はしないんでしょ」


 アルケイルの言葉の途中で、大きな咳払いが聞こえた。誰のものかは考えるまでもない。


「陛下、リアン殿は可能性の話をしたまで。そこまで穿って考えることはありますまい」


 珍しく庇うような台詞を聞いて、リアンは笑いたくなるのを必死に堪える。引っ掛かった、と呟く代わりに扇子を音を立てて広げる。

 きっと今の自分を画家が見たならば、悪女とでも言うかもしれないと思いながら。


「街道の工事、儂も賛成いたしますぞ。これは将来、この国を支え、そして陛下の名を後世まで残すこととなりましょう」

「そ、そう?」

「儂に任せてくだされば、全て良きように運びましょう。リアン殿も文句はあるまいな?」

「私は陛下のご意向に従うまでです」


 宰相と相談役、二人の視線をまともに受けたアルケイルは、椅子の上で少し後ずさる。だが、その歪んだ口元を見れば、「陛下の名を残す」という甘言に心を奪われていることは明らかだった。

 悩む素振りを見据えながら、リアンはゾーイを手招きする。身をかがめた相手の、その形の良い耳に口を寄せた。


「ミスト閣下を中庭にお連れしろ。後で向かう」

「畏まりました」


 ゾーイがそう返したのと、アルケイルが口を開いたのは、ほぼ同時の事だった。

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