2.再びの牽制
執務室に入ると、まずリアンが受けたのはバルトロスの鋭い目だった。何か伝えんとして、しかしそれを口から出すのは耐えている。その表情がリアンには滑稽だった。
「宰相殿、おはようございます」
「あぁ」
声はいつもより低い。不機嫌なのは明白である。並みの人間ならば、その声を聞いた瞬間からバルトロスの機嫌を取るためにあらゆる手段を講じるだろうが、生憎リアンは他人の機嫌は気にしない。木を隔てた反対側の席に腰を下ろし、ドレスの裾を整える。暫くの間無言が続いたが、やがてしびれを切らせたのはバルトロスの方だった。
「気付かないとでも思ったか」
「……何がでしょう」
リアンは慎重に問い返す。
「白々しいな。愚鈍を演じるほど、馬鹿な女ではあるまい」
「えぇ、ですので純粋なる疑問を述べているのです」
空気が張り詰めそうになる。バルトロスが細く長い息を吐いた。
当然のことながら、リアンは相手が何を言おうとしているかわかっていた。そして、それを直接口にするのを避けていることも。リアンはオスカー侯爵家に命令を下したのはバルトロスだと確信していた。あれほどまでの忠義を貫いていた侯爵夫妻が、独断で動くとは思えない。だがバルトロスがそれを素直に白状するわけがない。
「宰相殿に何かご無礼でもしたでしょうか」
リアンは相手の出方を伺うために、質問を返した。
バルトロスが敢えて回りくどい方法を取るということは、確証は得ていないに違いない。もし確証があるならば、こんなところで悠長にリアンを待ち受けるのではなく、公爵家の私設兵を引きつれてシンクロスト家に乗り込んでいるはずだった。いくつもの貴族や大商人を歴史の狭間に打ち捨てたように。
「無礼だと? 無礼でない時があったか」
「未熟ではあったと自負いたしますが、宰相殿の御心の広さに甘えておりました」
「儂の心の広さも限界がある。これ以上……」
「あぁ!」
バルトロスの言葉を遮る形で、リアンは明るい声を出した。
「宰相殿が何を仰っているのか、ようやく理解いたしました。王妃選びの件ですね」
自嘲的なものを声に滲ませ、リアンは相手に見えないのを承知の上で額を抑える真似をしてみせた。
「察しが悪くて申し訳ありません」
「……そうだ、そなたは」
「ですが、あのような華やかな場は苦手でして」
バルトロスが口を閉ざした気配がした。
「それに、一応私も貴族の娘。パーティの場にいれば、誤った憶測を周囲に与えないとも限りません。そのため、人目につかないところにいたのです。陛下の一大事に駆け付けることが出来なかったことをお詫びいたします」
「……それだけか」
「パーティが始まる前に、陛下とはお話を」
「そうではない」
しかし、それ以上二人とも何も言わなかった。どちらかが踏み込むか、あるいは退けば、ただの牽制で終わらなくなる。
バルトロスにとって、侯爵夫妻が死んだことは大した問題ではない。ハイリットのことですらも、彼自身が持ついくつかの駒の一つに過ぎない。だが、その駒を使った盤面を崩されたことが、老獪なる自尊心を傷つけたのは確かだった。だが、その自尊心がバルトロスの口を重くしている。たかが伯爵家の小娘相手に、負けを認めるような真似は出来ない。
リアンはそれを想像して、思わず笑いたくなるのを堪えた。閉じた扇子の先を口元に当てて、口角を押し下げるように撫でる。後ろでゾーイが呆れているのはわかったが、そちらを振り向くのは止めた。
不自然な沈黙が、先ほどよりも長く続く。バルトロスがリアンを警戒しているのは、先ほどからの態度で容易に知れた。それ自体はリアンにとっては想定の範囲内である。いくらごまかしを重ねたところで、警戒心の強いバルトロスを長く騙すことは出来ない。ミルレージュ男爵という厄介な政敵が現れたとは言えども、バルトロスが持つ権力そのものが削がれたわけではない。目障りな男爵家と共に、シンクロスト家を排除しようと考えるかもしれない。それを防ぐには、さらなる障害物をバルトロスの前に配置することだった。
「二人とも早いね」
静寂を破ったのは、相変わらず緊張感のないアルケイルの声だった。枝越しにその顔を見れば、随分とだらしなく弛緩している。絹で出来たシャツの襟が少しよれて、微かに化粧品らしき赤色がついているのが見えた。色と付着範囲からして、口紅ではなく頬紅だろうとリアンは推測する。薔薇の匂いを漂わせた令嬢が、アルケイルの首元に頬を寄せる姿が想像出来た。
「お待ちしておりましたぞ、陛下。随分と遅い御到着だ」
「僕にも色々あるんだよ」
「色々。色々ですか」
苛々とした態度を隠しもせずにバルトロスが言ったが、アルケイルは浮かれているのか全く気にしていない。その様子に嫌味の一つでも投げたくなったらしいバルトロスが、慇懃無礼に口を開いた。
「アリセ嬢に鼻の下を伸ばすのは結構ですが、政治を疎かにしていただいては困りますぞ」
「そんなつもりはないけど」
「それに陛下。王妃が決まったからといって大事なことをお忘れではないでしょうな」
「大事な、こと?」
不思議そうに首を傾げる王に、宰相は「左様」と頷いた。
「結婚式でございます」
「あ……そうか、そういうのがあったね」
「何を呆けたことを仰いますか。王妃選びのパーティ以上に素晴らしい物にしなければなりません。ましてあのような不祥事が起こったあとですぞ」
「うん、わかってるよ」
少し気圧されたように返したアルケイルだったが、バルトロスはそれには何も言わずに話を続けた。というより、そもそも誰かの相槌も同調も不要だと言わんばかりの態度だった。
「何をするにも必要なのは資金でございますぞ。それに他でもない、国王の婚礼。ここは一つ、国民からも税として取り立て、有史以来ともいえる盛大な結婚式にするべきかと」
「つまりそれは、増税ってこと?」
襟の乱れを正しながら、アルケイルが問い返す。
「でもそういう……王族のみが利を得る増税はよくないと思うんだけど」
思わぬ反論に、バルトロスが一瞬だけ声を詰まらせる。リアンも内心少し驚いていた。何も考えずに唯々諾々と宰相に従うだけの男だとばかり思っていたが、少々評価を改める必要がありそうだった。
出鼻を挫かれた形になったバルトロスは、わざとらしい咳ばらいを何度かしてから仕切り直す。
「……陛下。何も正直に明かす必要はございません。確かに結婚式の資金のために増税を……となれば、民の反感を買うでしょう。しかし、陛下の婚礼は民の安心にも繋がります。別の名目で資金を調達すれば良いのですよ。そう、例えば城の修繕など」
「修繕?」
「城は国の象徴。それを直すと言われれば民も反対はいたしますまい。更に工事のために人を雇えば、王の評価も上がります」
「そ、そうかな?」
「そうですとも、そうですとも」
気持ちの悪いほどの猫撫で声でバルトロスが煽る。アルケイルは少し頬を紅潮させて、今にも首を縦に振りそうだったが、ふとリアンと目が合うと、表情を強張らせた。数拍の間をおいてから、どこかぎこちない声を出す。
「えーっと……、リアンは、どう思う?」
「増税についてでしょうか」
「陛下」
憤りを隠せない声でバルトロスが割って入る。
「女に税金のことを尋ねてどうなさいますか。リアン嬢、そなたもいい加減に分をわきまえろ」
「なぜ女に税金のことを尋ねてはいけないのです」
「女に計算など出来ないからだ」
「初耳です。陛下、幼い時のように算術の腕比べでもいたしましょうか?」
アルケイルが無言で首を左右に振った。当時、それが原因で勉強時間を倍増させられたのを思い出したようだった。
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