第三章

1.閣下の御前

「閣下、ご機嫌いかがですか」


 リアンはステンドグラスの下で優雅に寝そべっている白い猫に話しかける。少し灰色がかってしまった毛は高齢の猫らしくところどころに強い癖がついている。リアンが首の下を撫でてやると、猫は満足そうな声を出した。しかしそこに人間に対する媚びはない。撫でてもらうのを当然の権利として受け止めている様子だった。


「閣下は相変わらず気品高くいらっしゃる」

「お嬢様、ドレスが汚れます」


 屈みこむリアンに、ゾーイが注意をする。


「立ったまま閣下に謁見するのはよろしくない」

「その閣下に対する優しさの半分でも陛下に向けていただければと思うのですが」

「私に優しくされても困惑するだけだと思うが」


 立ち上がったリアンは、結い上げた髪に手をやって、先ほど馬車の中で乱れた一房を直した。


「それに私が慰めなくとも、アリセ嬢がいるからいいだろう」

「それはそうかもしれませんが……、まだ正式な王妃というわけでもありませんし」


 王妃選びのパーティは、俗物な言い方をするのであれば「誰が見ても明らかな」結末となった。

 オスカー侯爵の頭蓋を貫いた矢は、その命を一瞬で奪った。恐らく侯爵は自分に何が起きたかわからないまま絶命したに違いない。当然、周囲は騒然となった。気の弱い令嬢たちが揃ってか細い悲鳴を上げる中で、気丈だったのはアリセだった。アリセはこの顛末を知っていたわけではない。だが、この混乱がリアンによってもたらされた物だと理解していた。


「やはりアリセ嬢は頭の良い女性だ。私の見立てに狂いはなかった」

「急に大声を上げた時には、流石に俺も驚きましたけどね」


 事態を理解したアリセが次に取った行動は、至って単純明快だった。自慢のよく通る声で、アリセは「殿下!」と叫んだ。大きな瞳いっぱいに涙を浮かべて、ドレスの裾を持ち上げて走り出した彼女を誰も止めることは出来なかった。足を出したはしたない恰好で、アルケイルの前へと飛び出したアリセは、乱れた髪を直すことすらせずに両手を広げて、アルケイルを誰かから守るかのように背筋を伸ばした。


「殿下より陛下のほうが相応しかった気もしますが」

「わかっていないな、ゾーイ。あれはアリセ嬢の計算だ。異常な事態を前にして、長く親しんできた呼び方が咄嗟に出た、と皆は解釈するだろう。なりふり構わず飛び出して、王の命を守るために自分の体を盾にせんとした乙女。誰が文句をつけるものか」


 殺したのが侯爵夫人のコーネリアだとわかったのは、それからすぐのことだった。彼女は胸元に「計画書」を忍ばせていた。そこには侯爵の筆跡で、男爵を暗殺するための手順が事細かに書かれていた。計画書と弓矢と短刀、そして殺された侯爵。そこまで揃えば誰もが「真実」を察してくれた。それがリアンによって仕組まれたものだとは、アリセ以外は気付いていない。


「宰相殿が何も言ってこないのが不気味ですね」

「こちらに構う暇がないだけだろう。何しろ、オスカー侯爵家廃絶の危機だ。元々、侯爵の子はハイリット嬢一人。王妃になれれば、その生まれた子供によって侯爵家を継がせることも可能だったが、今やその希望は潰えた。それよりも侯爵家の「跡取り」を早急に探さなければならない」


 オスカー侯爵家を廃絶させないためには、ハイリットが婿養子を取るしかない。当主不在の状態でハイリットが王妃になってしまえば、それこそ終わりである。宰相バルトロスの目論見は、ハイリットを王妃にさせて公爵家の権力を高めることであり、王妃にさせることそのものではない。

 

「こういうことはお前のほうが得意だろうから、敢えて尋ねるが」


 リアンは猫に丁寧な礼をしてから歩き出した。ゾーイもその後ろに続く。


「宰相殿が次に求めるのは何だと思う?」

「富、ですね」


 ゾーイは即答した。


「ハイリット様を使って、王室に強い繋がりを持つことは出来なくなりました。となれば、次に求めるのは富です」

「正解だ。前の人生でもバルトロスは、アルケイルを言葉巧みに誘導して国民から搾り取れるだけの税金を搾り取った」

「そんなにお金を集めても、使い道などなさそうなものですが」

「全く持って同感だな。宰相殿の賢いところは、最初は軽微な増税だったことだ。しかも「王城の修繕のため」という尤もらしい理由がついていたし、実際に修繕は行われた。そのために集められた大工たちは、随分と給料を弾んで貰ったようだ」

「……そうして国民を油断させた」

「その通り。その後に今度は「街道の整備のため」として大幅な増税を行った。城の修繕よりも大規模な工事。そのために集められる作業者は前回よりも多いと予測出来る。国民はそれを期待して税金を支払った。だがその金は、王城で連日開かれた宴に費やされてしまった」


 リアンは一瞬だけ、苦い表情を浮かべた。あの時、リアンは新しい国王が何の役にも立たないことを見抜いていた。しかし、既に王子でなくなったアルケイルに会うことは出来ず、その悪政を咎めることも出来なかった。そもそも、もし謁見出来ていたとしても、アルケイルがリアンの言うことを素直に聞いたとは思えない。バルトロスに煽てられて増長したアルケイルにとって、もはやリアンなど過去の人間に過ぎなかった。


「公爵家と宰相殿は十分に金を持っている。これ以上増やすことはない」

「ですが、今は宰相殿はハイリット様の件で気が立っていると思われます。より慎重になられた方が良いかと」

「わかっている。私は別に宰相殿の邪魔をしたいわけではない。陛下に善政を行って欲しいだけだ」


 ゾーイがその言葉に対して短い溜息を吐く。


「今度は何を企んでいらっしゃるのですか」

「企むとは人聞きが悪いな。悩んでいると言え」


 執務室が近付いてくる。リアンは少し歩調を緩めて、背後を歩くゾーイとの距離を縮めた。


「陛下には増税をしてもらう」

「ですが」

「それこそが、アルケイルを良き王とする最短の道だ」

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